意志を継ぐ者 -第六話 「本当に世話になったね。次の研修期間にはまた宜しく頼むよ」 「はい。もちろんです」 ウィザロとアベルが談笑する、その睦まじいやり取りを聞き流しながら、アレックスはあふれんばかりの荷物を詰め込んだ鞄を、ふん、と、一思いに閉じた。 「先生、支度できました」 「よし」 アレックスがウィザロの下で魔術師になるための研修を行ってから一週間がすぎていた。 その間に舞い込んできたのはどれもがS級の悪霊退治の依頼ばかりであったり、そのため休息はほとんどなかったりといい思い出と呼べるものはないに等しかったが、アレックスは最初よりかは幾分とウィザロと言う魔術師のことが理解できるようになっていた。 それは目まぐるしい日々の中で得られた、数少ない「確かなこと」であった。 こんな寒々しい土地の一軒家で一人暮らすよりも、もっと外に出ればいいのではないか。 ウィザロの能力と、多少は難があるがそれでもそこそこの人当たりのよさを考慮すれば、人間嫌いと言うわけではないらしいのだから、すぐにでも彼は周囲の人間と打ち解けることができるだろう。 荷物をしまい込んだ大きな鞄を抱え、アレックスはアベルの隣に並ぶとウィザロの顔を見上げた。 「じゃあこれで私たちは失礼するよ」 「……お世話になりました」 「アベル先生と、それに主席くんも、元気でね」 形だけの律儀な挨拶に突っ込まれるかと思ったが、意外にもウィザロはスルーして、それが当然と言う表情で胸の前でひらひらと手を振った。 アレックスはウィザロのその態度に、なんだか拍子抜けした。 「寂しくなりますねえ……。あんまり訪ねてくる人もいないから、オレ、いつか孤独死しちゃいそうですよ」 「ははは、それは大変だ。早速番犬でも送らないと」 パステルブラウンの癖毛が、ウィザロのおどけた仕草に合わせて揺れる。けれどそれは彼の虚勢を無意識のうちに表しているかのようにも見受けられた。 ああ、これからもこの人はずっとこの場所に留まるつもりなのだと、このときアレックスはぼんやりウィザロを見つめながら思った。 このあまりにも辺鄙な場所に立つ小さく寂しい家の中に、彼はこれから死ぬまでおとぎ話の主人公のように永遠に閉じ込められる。 アレックスの頭の中で、まるで鳥の視点で見ているかのごとく、すぐ手に届くような近さにあったこの家がどんどん遠ざかっていく。 その中に彼はずっとずっと存在し続けるのだろう。外でなにが起きても、大国同士が衝突しようと魔術師界がひっくり返って存亡の危機を迎えようとも、きっと彼は振り向かない。 そんなどこか寂れたイメージがアレックスの身を包み始める。すると、突然思い出したようにアベルが、「そう言えば」と声を上げたのが聞こえた。 「そうだ、ウィザロ。今回アレックスはどうだった?」 「え?」 アレックスは思わず隣にいたアベルを見上げた。それからややあってウィザロの顔を窺おうとしたが、なんと言われるかがどうしてか怖くなって、彼の首元辺りまで目線を上げてそこでやめた。 アレックスの視線に気づかないウィザロは、そうですねえ、と、しばらく躊躇いつつ何回か視線を宙に彷徨わせたあとで言った。 「ちょっと自意識過剰なところがあるかな? 悪いとは言わないけど、もう少し自分の能力を見極めて行動した方がいいね。それで失敗を招き寄せちゃいそうだから、あはは」 つい今し方まで彼の批評にびくびくしていた自分をぶん殴ってやりたいと、アレックスはウィザロが散々に自分のことを批評していくのを顔を伏せつつ聞きながら、ピキピキととこめかみに青筋が立っていくのを感じた。 それは自分と同じ歳くらいの頃のウィザロ当人にも当てはまるのではないか? と言うか、当てはまるよな? ここ一週間で打ち解けられたと考えていた自分がお人好しだった。今改めて分かった。このウィザロと言う人間は、自分と最も相性の悪いタイプだ。 先程までの情は本当にどこにいってしまったのか、いっそのこと早く機構に帰りたいと考え始めたアレックスの傍らで、でも、と、ウィザロが急に声色を変える。 アレックスは伏せていた目線をそれとなく上げた。 「才能はありますよ。彼なら多分、いい魔術師になれるんじゃないかな。将来が楽しみですよ」 欠点はいろいろあるけどね。 しかしそう言って笑むウィザロはなぜかひどく嬉しそうな表情をしていて、アレックスは一体彼はなにがそんなに楽しいのかと理解に苦しんだ。 そのわけが分からない頭のまま横を向くと、アベルはアベルで度肝を抜かれたようななんとも間抜けた顔をしている。 ややあってからアレックスと、それとウィザロのきょとんとした顔に気づいたのか、アベルはそうか、とだけ口にすると数回頷いた。 だがアレックスにとっては「そうか」ではない。彼らの反応の真意がまったく測れないのだ。 にもかかわらず、今のやり取りの中で納得したらしいアベルは、そっとアレックスの肩を引き寄せて佇まいを正すと言った。 「じゃあ、今度こそ私たちは行くよ。ウィザロ、身体に気をつけるんだよ」 「はい」 ウィザロの瞳と、アレックスの視線が出会う。 瞬間、まるで近所の子供を相手にするかのような屈託のない笑顔で、ウィザロはアレックスに笑みかけた。 「バイバイ」 ざくざくと、自分とアベルの立てる荒い足音だけが周囲の鬱蒼とした木立の中に響き渡る。 鳥も獣もなんの気配もしない、ただ茫漠と広がる森はまだ昼なのにどことなく薄暗い。ところどころに節のある歪な形をした木々のトンネルは、ここにやってきた当初とあまりにも変わっていなかった。 その下をアレックスとアベルは無言で歩いた。 ウィザロの仕事場である一軒の小屋の扉をくぐってから、アレックスもアベルも互いになにも口にしようとはしなかった。 元よりアレックスは饒舌なほうではなかったし、だからと言って不便なことはないから改善する気も起きない。 ゆえにただアベルの歩く速度に引けを取らぬようにとそればかりを考えていたのだが、ウィザロの元を離れていくらか経った頃に、出し抜けにアベルがぽつりと口を開いた。 「……ウィザロとは、仲よくやれたかい?」 「へっ?」 なんの前触れもなくいきなり訊かれたことに素っ頓狂な声を出してしまい、なんとなくきまりが悪くなる。 アレックスは小さく咳払いをしてから、少し考えたあとで呟くように言った。 「……まあまあだと思います。なんせあの人、ずっとマイペースなんですよ。最初はついていけなかったですけど、慣れました」 「ほお、それはすごいな」 アベルは珍しく、声を出して朗らかに笑った。 しかし折角の会話もそれっきりで、二人の間には再び沈黙が訪れる。またもや耳に飛び込んでくるのは寒さに萎びた草を踏みしめる二つの乾いた足音だけになった。 「ウィザロはね……」 しかしどうやらアベルだけは違ったようで、数分とも経たないうちに再び口火を切る。 「はい」 「あまり他人と深く関わらないんだよ、昔からね」 「はい」 まったくもってその通りだ。と、アレックスは思う。 とりあえずあの重要な場面で話をはぐらかす性格をどうにかしない限り、その問題は解決しないだろうなと言う気がした。 こっちだって過去のウィザロの機構での噂を聞き出そうとした途端煙に巻かれ、それでもしがみついてかつ危ない橋を渡りかけてようやく聞き出せたのだ。ここまで彼に固執した人間もそうそういなかっただろうと、我ながら自分の負けず嫌い精神が誇らしい。 「今までウィザロのところには何人か送ったんだが……。その、いつも研修が終わるときに彼に『どうだった?』と訊いても、お決まりのように『いい子でしたよ』としか返ってこなくてね」 アベルは少し苦笑を含んだ笑い方をした。 アレックスはそんなウィザロの姿を見ていないのにありありと思い浮かべられるような気がした。 へらっと笑って、まるで今日の天気について話すかのような軽い口調で、重要な案件さえも無難なものにすり替えてさらりと言ってのける。ウィザロはそう言う人間だった。 しかしこのときのアベルの言葉にアレックスは遅れ馳せながら、あれっ、と、心の中で首を傾げた。 別れ際のウィザロは、自分のことを「いい子」と評価してくれただろうか。確かウィザロは、自分に対して不平不満ばかりをつらつら述べていた。少し褒められた気もするが、あれはほんの気の迷い程度だった。 アベルはアレックスの思考をなぞるように、おっとりとした口調で言った。 「アレックス、君は余程彼の目に有望に見えたんだろう……。ウィザロがああ言うのは、本当に珍しいことなんだ。驚いたよ」 コートを胸の前で掻き合わせて、アベルが目を細める。 その瞳に期待の色が込められていると知ったアレックスは、なんだかアベルからも今この場には居合わせないウィザロからも褒められた気がして妙に恥ずかしくなった。 「あの人が言うことなんて、どうせ大したことじゃないです」 「そうかそうか」 しかしそう言って笑うアベルはすべてが分かっているかのように愉快そうであった。 これならむしろ肯定したほうがよかったのかもしれない。身体の末端まで熱くなった自分の体温を感じて、アレックスはしばらく口篭った。 今までの人生の中で、称賛は何千何万と受けてきたはずだった。 幼少から芽を出した魔術師としての類稀な資質に、人々は自分のことを百年に一人いるかいないかの人材、神童と口を揃えて褒め称した。 その賛辞に少しも追い立てられなかったわけではない。 けれどそのプレッシャーを打ち消すかのように魔術に関する能力は日に日に進歩していったし、それに見合うだけの努力も欠かさず行ってきた。一旦やろうと思ったことはすぐに自分のものにできた、順応性は高かったと思う。 だからこそこの十年の間、生きていく途中途中で褒められることはあって至極当然だった。 だがウィザロは、と考えて、アレックスはぞっと背筋に走る冷たい感触を覚えた。 自分より圧倒的に秀でた人間を目にしたとき、どうやらそれは嫉妬や僻みなどと言う生易しいものではなく、一足飛びに畏敬の念へ発展するらしい。 恐らく彼は、本来ならもっと表舞台の中心に立って、魔術師界を騒がせていいはずの人間だ。百年に一人と言う表現は、まさに彼のために用意されたものに違いなかった。 それなのに肝心の本人は歴史の背後へすっかり身を隠してしまって、まるで自分たち「そこそこ能力のある者」を嘲笑うかのように、神さえも感知することのできない裏側の世界から外界を眺めるだけでピクリとも動こうとしない。 だからこそ、そんな人物に褒められたからこそ、アレックスは久々に胸中を占める並外れた高揚感を味わっていた。 これまで毎度のことすぎて慣れてしまった感覚が、ウィザロと言う媒体を通して生まれ変わったみたいに、新たな空気を纏ってアレックスの頭上から降り注いできた。 その感覚は素直に嬉しかった。けれどそれを認めてしまえばウィザロに負けてしまう気がして、ゆえにアレックスは肯定するのが惜しかった。 (……負けたく、ない) これほどまでに自分のプライドに縋りつこうと思ったのは、これが初めてのことかもしれなかった。 今まで他の人間に勝っているのは決まり切った設定のようなものだった。その綺麗に整えられた設定を、ウィザロと言う人間は滅茶苦茶に掻き乱していった。 しかし例えそうやってウィザロに畏怖したからと言って、その配下に収まってやろうと言う気など、アレックスはこれっぽちも持ち合わせていなかった。 まだこちらは彼の半分程度しか生きていないのだ。大丈夫。まだ、まだ自分には彼を上回る猶予がある。アレックスはウィザロの顔を思い出そうと視線を宙にやった。あんなおちゃらけたやつに、この俺が、負けてたまるものか。 湿り気を抜き取った冷たい風が辺りを吹き荒ぶ。 一週間前より格段にひどくなったその寒さに驚いて試しに手元で息を吐いてみれば、透明のはずのそれは瞬く間に濃い白へと変化した。 ああ、もうすぐ冬が来る。 アレックスは肩越しにちらりと、背後ですっかり小さくなってしまった小屋を振り返った。 彼をすごいとは思う。だからと言って負けたくはないとも思う。 だがそこまで考えたとき、ふと次の疑問が湧き出てくるのだ。 生きているのに今にもふっとうしろに倒れてしまいそうな危うさ。 普段は読めない笑顔を湛え軽口を叩いてばかりいるが、たまに見せる儚い面差しがウィザロの本当の姿であるように思えた。身体全体を構成している色素もそうであったが、彼が身に纏う雰囲気がなによりもそのイメージを引き起こさせた。 自分が彼の能力を上回ろうとした瞬間、はたして彼はまだ"そこ"にいるのだろうか――? 「なんかあの人、自殺しそー……」 考えていたことがそのまま口を衝いて出てきた。 隣を歩いていたアベルはアレックスのその言葉に途端に目を丸くさせてから、一瞬の間を置いて口の端を緩めたのが分かった。 「なら君が彼の助手にでもなるかい?」 「はあ!? なんで俺!?」 「ウィザロに死なれちゃあ困るな。君がいたらウィザロも死のうなんて考えないだろう」 「絶っ対、嫌です」 力いっぱい答える。それは、褒められたときと違って嘘偽りのない自分の正直な気持ちであると断言できた。 「彼は、ウィザロは、幸せだねえ」 それなのに、またもやアベルのすべてを見透かしていそうなのんびりとした一言で、アレックスの身体からは力が抜けた。 その「幸せ」の要因は自分にあるのだと、なんとなくその場の空気から伝わってくる。 アレックスは心外だとしてすぐにでも弁解を試みたかったが、ますますドツボにはまってしまいそうだったので寸でのところでやめた。下手に反抗するとそれこそ反対の意味に取られてしまうと言う想像を作り出すのは容易かった。 けれど先の未来を考えたとき、本当にウィザロはどこかにいってしまいそうな気がしたのだ。 一週間でも放っておいたりしたら、恐らく彼の電話には繋がらなくなる。そのままどこか誰も与り知らぬところへ煙のように消えていってしまう。彼の姿を脳裏に思い描くたび、そんなネガティヴな映像ばかりが渾渾とあふれてくる。 誰か止める人が彼の傍にいればいいのに。男でも女でも、魔術師でも一般人でも構わないから、彼のことを気遣える人が彼の頬に手のひらを当て続けられればいい。早くそんな人間が彼の元に現れてくれるようにと、不本意ながらもなぜか願ってしまう。 しかし、これだけははっきりと言える。 そんな一人の魔術師のために自分が、しかもよりによってあのふざけた性格の魔術師の助手になるなど、こればかりは絶対にお断りだ。 BACK/TOP/NEXT 2011/08/05 |