意志を継ぐ者 -第四話 今までに聞いたこともないような割れんばかりの爆音がビリビリと空気を引き裂く。 大地の揺れる音と人々の悲鳴が重なる様は、本当の地獄を目の当たりにしているかのようだった。 アレックスは辺りに立ち込めた土煙を直接吸わないよう、服の袖で口元を押さえながらむっと眉を顰めた。 街の大通りで激しく繰り広げられている接戦に、アレックス以外の人間は見向きもしない。ただ慌ててこの場から逃げ出そうとするばかりだ。 だがそれは至極まっとうな判断だろう。悪霊に対抗する術を持たない人々は、危険地帯から一目散に逃げることでようやくその命を守ることができるのだ。 (……それにしても) 街のあちこちで、ドン、と爆発音が起こるたびに、衝撃で崩れた家々の破片が空からバラバラと降ってくる。 悪霊が出現した恐怖と、それに対抗する勢力が引き起こす破壊行為。 後者はもはや不可抗力の域であるが、この二重の悲惨な事態に人々はすっかり混乱しきっていた。 (あーあーあー……) アレックスは遠巻きにそんな光景を眺めながら、初めは多少興奮していたものの、今となっては嘆息ばかりしていた。 早く決着をつけないとこの街の地形そのものが変わってしまうだろう。 だが頼りになるはずの魔術師様は、現在あの煙幕の中でS級の悪霊相手に悪戦苦闘中だ。 「うおっと!」 これは時間がかかるな。アレックスがぼんやりそう考えていたとき、突然アレックスの目の前の煙幕が切り開かれ、一人の人間が躍り出た。 煙の中から現れたのはウィザロだった。放り投げ出されたと言っても過言ではないスピードで宙を舞った彼は、地面に叩きつけられる直前、咄嗟に地に手をついて態勢を立て直した。 そうしてウィザロはやっとのことで背筋を伸ばして立ち上がると、今しがた自らがいた場所を見据えてひゅうと軽く口笛を吹いた。 「なかなかやるね。S級とは言え、今回は厄介なものに当たっちゃったかなー」 「え。無理なんですか?」 アレックスが直球で聞くと、ウィザロは包帯で隠されていない左目を細めて困ったように笑った。 「どうもあっちは経験値があるらしくて、こっちの魔法がよくかわされたり防がれるんだよ」 口ではそう言いつつも、次の瞬間ウィザロの身体は再び数メートル離れた悪霊の上に戻っていた。 アレックスは各々叫びながら辺りを逃げ惑う人々越しに、悪霊と白熱戦を繰り広げるウィザロの姿を目で追った。 悪霊の手から逃れ魔術を放つたびに、胸元に大きな赤いルビーのついた彼のコートが舞う。それはまるで早送りの映像でも見ているかのようだった。 悪霊もウィザロの攻撃を受けまいと、黒く巨大な身体から何十本もの細い腕を一斉に伸ばす。 それは身体と同じく真っ黒であったが細く長く、しきりにウィザロを捕らえようと、ひゅんひゅんと鋭い音を立てながら空を切る。 あんな化け物と、一人で戦えるのか。 アレックスは無意識のうちに、ウィザロに尊敬の念を抱いている自分がいることに気がついた。 もし今自分があの場に立てと言われたら、いや、少なくとも立ち向かう覚悟はあるのだが、そうして挑んだところでものの数秒で返り打ちに合うだろうと言う未来くらいは予想できる。 つまりなにが言いたいのかと言うと、ウィザロには行動力とともに長けた技術力も備わっているのだ。 アレックス自身、同期に比べれば行動力も魔術のレベルも上位にあると自負していた。 だが目の前のこの魔術師は、ウィザロ・オルコットと言う男は、そんな指標などまるで関係ないかのような位置に軽々と胡坐をかいている。もしかしたら魔術師を総括した中でも限りなく上にいるに違いなかった。 名誉など関係ない。ただ純粋に、彼の実力だけでそこにいる。 しかし先程アベルとの会話では、彼の同級生はいち早く昇進したと言うことではなかったか。 アレックスはそれらをざっと回想すると、はて、と、この場には似つかわしくない穏やかな所作で首を傾げた。 (どこまでも不思議なやつだな……) S級呪文を詠唱できたはずなのに主席でなかったひと。確たる実力を伴っていると言うのに辺鄙な場所で一人生活を送っているひと。 アレックスは焦点を再びウィザロのほうへ戻した。 ウィザロは未だに辺りに轟音と煙をまきちらしながら悪霊と死闘を繰り広げていた。 だがアレックスが視線を戻したそのとき、アレックスは世界が止まったかのような錯覚に囚われた。 ウィザロは前よりも格段に多い、今や何十本と言う悪霊の身体から分化した手の刃から逃れるために戦っていた。 そのうちの一つだろう、ウィザロの右斜め後方からも、一本の細く黒い手が今すぐにでもウィザロを捕らえんと動き始めていたのだ。しかしウィザロが反応する素振りはない。 気づいているのか? アレックスは初め、なんとはなしにウィザロと悪霊の戦闘風景を眺めていた。 だがあとほんの少しでウィザロの後頭部に触れると言うところで、ウィザロがなんのアクションも取らないことにはっとして気づいたアレックスは、自分の身体の末端から内臓に至るまですべてが戦慄するのを感じた。 黒い魔の手はウィザロの右方向から迫ってきている。今ウィザロは右目を負傷して、包帯を巻いていた。まさか、とは思う。 彼は気づいているのか? いや、まだ気づいていない。 アレックスは今度こそ、まずい、と直感した。ここにきて相手の姿が見えてないと言うのか。 空間移動術でこの場所に到着したとき、なぜか自分より先に到着していたウィザロは、「なにもしなくていい」と、あの呑気な笑顔で言った。 そう言われていたにもかかわらず、アレックスの身体は考えるよりも先に動いてしまっていた。 「一時束縛」 アレックスは夢中で呪文を口にしていた。手にはいつの間に鞄から取り出したのか、魔術書を携えていた。 途端にウィザロを串刺しにしそうな勢いで突き進んでいた一本の手はおろか、悪霊の身体までもが瞬時に氷漬けにされたかのような動きで停止する。 青白く発光するマーブル模様の紋様が、悪霊が居座る地面の下でぐるぐると回っている。そしてその紋様が放つ光と同じものは、アレックスが手にしている魔術書からも放たれていた。 ウィザロは迷うことなくぱっとアレックスのほうを振り返った。 かと思うと、態勢を立て直すためか、一時戦闘区域を離れてアレックスの目の前に着地する。 「すごいなあ、A級の束縛呪文使えるんだ!」 「……俺のことはどうでもいいから、早く悪霊をなんとかしてください」 「いや、その年齢でA級を使えるなんてすごいよ! オレ、未だにC級の束縛呪文ばっかり使ってるしね。はは」 アレックスはがくりと地面に膝をついた。大した運動もしていないのに、額から大量の汗が噴き出る。 「あんたと違ってこっちは馬鹿みたいに基礎体力ないんですよ……だから……っ」 「ああ、ごめんごめん」 ようやくアレックスの苦しげな様子に気づいたのか、ウィザロはまたもやあははと陽気に笑い飛ばすとさっさと悪霊の元へ、それも巨大な悪霊の頭上へ一瞬で足をつける。 あの態度は絶対わざとやってるに違いないと、アレックスは弾む息を抑えながら顔を上げた。 あいつ、俺が昇進して上の立場になったら仕返ししてやる。 「ほんと、今回は君のお陰だね。ちゃんと奢らなくちゃだあ」 そう言うと、ウィザロはコートの内側から一本の筒状のものを取り出した。 書簡ではない。濃い紫色のそれは、ウィザロが手を翳すなり左右に広がり一枚の長い長い紙の帯となった。 「これはオレが編み出した特別な魔術書でね、巻物形式にすることでいちいちページを捲らなくてもいいように手間を省いたんだ。画期的じゃない? そろそろ特許を申請しようと思ってるんだけど」 誰に説明してるんだよ。と、アレックスは心の中で突っ込む。 しかしウィザロはまったく気にしていない風で、ふむ、とその紙を前にして考え込むとしばらく黙った。 「……さて、お前はどの術式で送ってあげようか」 天敵とも言える魔術書がふわふわと頭上を漂い、しかもウィザロに至っては己の頭に堂々と足をつけている。 それが気に食わなかったのは当然だろう。悪霊はアレックスがかけた束縛呪文を破って、この目と鼻の先で余裕をかましまくっている魔術師を捕らえようと、抵抗をし始めた。 アレックスは一度上げた顔を再び伏せた。鼓動が瞬く間に速くなり、魔術書を支える手の甲にはビキビキと血管が浮き上がる。 A級呪文は先遣隊を三年ほどこなしてようやく身につくと言われている。 ゆえにまだ先遣隊として日の浅いアレックスは、A級の呪文を練習で数回用いたことはあれど実戦で使ったことはなかった。しかも数秒程度ではなく数分と言うこんな長時間、正直アレックスはどこまで保てるのか皆目見当がつかなかった。 (なんで、冥界送付の呪文で迷ってるんだよ……!) 改めて、自分が昇進した暁にはウィザロをどこか今よりも辺鄙な場所へ左遷させてやると心に誓う。 だがアレックスが決心を新たにしているのと同じ頃、ウィザロは右から左へゆるゆると流れていた巻物のある一点に目を止めると、すっと右手を空に翳した。 悪霊の黒い巨体がみしりみしりと変な音を立てながら束縛呪文の中でもがく。 ウィザロはちらと悪霊に目をやると、静かに口を開いた。 「いい夢を」 ウィザロがそう言って巻物ごと悪霊の身体に手を振り下ろすほんの前、どこか儚げに口元を緩めたそれは、今までの笑みとは完全に異なる類のものだった。 BACK/TOP/NEXT 2011/04/11 |