意志を継ぐ者  -第三話









ウィザロと彼にアベル先生と呼ばれた男は瞬く間に打ち解けたようだ。
そんな彼らの親しそうな会話を総無視して、アレックスはくるくると顔を動かしては小屋の細かいところまで注視した。

こんな簡素すぎる人里離れた小屋でこのおちゃらけた性格の、しかもまだかなり若い魔術師と数日を共にしなくてはならないとは。
考えれば考えるほど、自分はこの場に不釣り合いなのではないかと言う気がしてきた。もちろん「役不足」と言う意味で、だ。
まったく、今まで成し遂げてきた機構での自分の活躍を上層部はきちんと理解してくれているのか、大いに疑問が残るところである。

「顔をやられたのかい?」
「はい。ちょっと右目を……」
「状態は?」
「今は負傷した右目の代わりにルビーを入れてます。目玉は基幹ごと取って別の場所で回復させているので」

それまで穏やかだった二人の間に異様な空気が流れて、辺りを見回していたアレックスもウィザロの方に視線を戻す。
するとウィザロは、言いながら乱雑に巻かれていた頭の包帯に手を伸ばした。

そのままするりと包帯を解く。するとその下から現れた右目には、多角形にカットされた親指大くらいの赤い宝玉がはめ込まれていた。
ルビーと言えど一応真ん中が瞳孔代わりにくり抜かれていて「目」らしき形になってはいたのだが、それは人の顔に収まるにはあまりにも不気味な色と雰囲気を持ち合わせていた。
途端にアレックスはぎょっとして、無意識にわずかばかり後退した。

包帯が解かれたあと、ルビーの瞳は自分勝手にぎょろぎょろと上下左右あらゆる方向を見て回ったが、最終的にはアレックスを見据えるとそこでぴたりと動きを止めた。
ウィザロにはそれが分かったのか、手元の包帯を巻き直すとすぐにルビーの右目を覆い隠した。
包帯は先程より格段に上手く巻かれていた。

「君がミスをするなんて珍しいな」
「数年前、一人でいたときに偶然S級を仕留めたんですけど、それ以来どこからかその情報が漏れたらしくて……。最近じゃ『S級が出たらあいつを呼べ』って言われてるらしいんです。まったく、勘弁してほしいですよ」

苦笑するウィザロの言葉になにか引っかかるものを感じたアレックスは、心の中で、あれ、と、小首を傾げた。
普通、S級の悪霊は陽動役と仕留め役がいて初めて倒せる体制が整うはずだった。単独でS級を冥界へ送るなど、「例の伝説」以外耳にしたことがない。

「じゃあタイミングが悪かったかな? 実は今日から数日、この子の研修をお願いしたかったんだが」
「いえ、前から伺ってたお話ですし。右目くらい欠けたところで支障ありませんよ」

アベルがちょいちょい、と、少し離れたところで突っ立っていたアレックスを手招きする。
アレックスはしぶしぶながらもアベルの元へ歩み寄り、促されるままくるりとウィザロの方へ向き直った。

「彼はアレックス・ベックフォード、十歳でAランク地区の先遣隊だ。かなり優秀で、学年主席だよ。……ほら、似てるだろう?」

似てるって、なにが。
アレックスが突然紡がれたアベルの意味不明な言葉にむっとしていると、反対に目の前に立っていたウィザロの瞳は見る見るうちに大きく開かれていった。

「ああー、分かる! 分かります!」

勢いよくこちらへ身を乗り出してきたウィザロに、アレックスはまたもやびくりと身を竦める。
そんなアレックスの心情を気にするわけもなく、ウィザロはアレックスの黒髪を、まるで愛らしい子犬を前にしているかのような表情と手つきでわしゃわしゃと撫でた。

「なっ、なにするんだよ……っ!」
「あはは。いやーほんっと昔のライアンみたいですねえ、そっくりですねえ」
「言うと思ったよ」
「そう言えば、今ライアンはどうですか? 元気にしてますか?」
「ああ。彼は今年から機構が新設した大陸北支部の支部長に任命されてね、がんばってるよ」
「うわあーすごいですねえ、あはは」

それはいわゆる昇進と言うやつで、ウィザロは笑っている場合ではないのではなかろうか。それと、相変わらず彼らが話している話題についてもまったく理解できないのだが。
アレックスは自分の知らないところで勝手に話が進められていることに多少の苛立ちを覚えたが、元より彼らの高いテンションについていく気はなかったので、不本意ながらもそのままやりすごした。

「じゃあくれぐれもアレックスのこと、宜しく頼むよ。いつものことだから余計な心配は要らなさそうだけどね」
「はい、大丈夫ですよ。了解です」

それからウィザロに二、三言伝をしたあとで、アベルはあっさりと帰っていった。
ぱたんと軽い音を立てて閉められた扉の音を聞いて初めて、アレックスはこの場に一人残されたのだと思い知らされた。

これから始まる魔術師の研修がどんなものか、想像もしたくなかった。
とりあえず次席の魔術師に抜かされないよう、万が一隣にいるこのウィザロと言う名の魔術師が若輩者で使えないとしても、研修期間を無事に修了させなければならないことだけはしっかりと胸に刻みついていた。

しかしアレックスは、どうしてもこの若い魔術師に聞いておきたいことがあった。
アベルがこの小屋に着いてから口にしていた「ウィザロ」と言う名前と、一人でS級の悪霊を倒したと言うこと。それらを耳にしたときからどこかで聞いたことのある名前と経歴だと思っていたが、まさか本物に出会えるとは。
自分の勘が外れていなければ間違いない。この魔術師こそが、機構に入った者なら誰でも知っている「例の伝説」を現代に遺した張本人だ。
アレックスはアベルが消えた扉から、自分の隣に立っているウィザロへと視線を移した。

「あんた……ウィザロ・オルコットだろ。機構でも有名だよ。十歳のときにS級の呪文を使って、しかも成功させたって」

現在の彼の身長は一七〇から一八〇の間くらいと言ったところだろうか。
だが背はひょろりとしているのに、顔つきはまだどこか幼い。アレックスがそんなウィザロの顔を半分睨みつけるように見上げると、ウィザロもアレックスの視線に気づいたのか、ひどく冷めた目つきで見下ろしてきた。
しかしそこでウィザロが取った行動は極めて突拍子もない、かつ意外なものだった。

「コラ、目上の人間には敬語を使う!」
「いでででででで!」

ウィザロはアレックスの問いには答えずに、アレックスの頬を軽く抓んで引っ張ると今の言動を窘めた。
しばらくしてようやくウィザロの手から解放されたアレックスは、なんだか解せないような気がしながらも、渋々仏頂面で言い直した。

「……オルコット先輩」
「上出来」

よし。と、腕組みして笑うウィザロの姿は、まるで誰かの兄のような感じだ。
厳格で構わないから、もっとスキルのある研修先がよかった。今さらそうごちても時既に遅し。
研修先は一度割り当てられると、修了までそこで与えられた任務を全うすることが要求される。途中で挫折でもしようものならもう一年やり直しなのだ。それはとてもではないが、アレックスの学年主席と言うプライドが許さなかった。

アレックスは抓まれた頬をさすりながら、再度ウィザロの顔を見上げた。
結局ここにいるウィザロは「例の伝説」を作り上げた張本人なのか張本人ではないのか、その答えを聞いていない。
もし前者であれば、いかにしてS級の呪文を詠唱できるまでになったのか、その原因と過程をぜひとも伺いたかった。だがこの平和ボケしたような外見からは、とてもそんな偉大なことを成し遂げた風には見えなかった。
ともかくアレックスは答えだけでも聞き出してやろうと、口を開こうとした。

「まあ色々と訊きたいこともあるんだろうけど、今日のところはあと回しにしてもらおうかな」

しかしアレックスがなにかを言い出す寸前、突然ウィザロが踵を返して部屋の奥にある大きな仕事机に向かって歩いて行ったので、アレックスはわけが分からぬまま面食らった。
なんで、ですか? アレックスが怪訝に思ってその理由を問おうとしたとき、机の上にあった黒塗りの電話がけたたましい音を立てて鳴り出した。

「……悪霊退治の依頼がきたからね」

人差し指を立てて、静かに、とでも言いたげなサインを出すウィザロに、アレックスは開きかけた口をぐっと閉じた。
この人、なにか取り憑いているんじゃないか?
アレックスは、受話器を取ってなにやら話し始めたウィザロの背中を見て直感的にそう思った。

S級の悪霊を冥界へ送った件もそうだ。大の大人一人でさえS級を前にしたら腰が引けると聞く、それをわずか十歳で、それもたった一人で相手にできるものか。
それにS級を相手にできるほどの技量を持っているのなら、ウィザロは堂々と卒業名簿の主席の欄に載っていたはずだ。
しかし当時の卒業名簿の主席の欄は愚か、次席の欄にさえウィザロ・オルコットと言う伝説を作り上げた人物の名前は載っていない。もっと言えば、ウィザロ・オルコットの卒業時の成績は、まったくもって中の中と言う味気ないものである。

これは理事長の素顔と同じく、機構内に伝わる七不思議の一つとされている。
つまりS級の呪文を使うことができても他がてんで駄目だったと言うことなのだろうか。いや、だがS級の呪文を使えるくらいなら、それ相応の精神力と技術力を伴っていたはずだ。A級やB級の呪文を操るなど朝飯前だろう。
アレックスが突如湧き出た矛盾に頭を悩ませていると、いつの間にか電話を終わらせたウィザロが慌ただしく支度を始めたのが見えた。

「さ、行くよ。必要な物だけ持って」
「って、え、俺も……?」
「研修と言う名の実習だからね、この期間はオレのアシスタントになってもらうよ」

ウィザロは仕事机の周りにあった小物を片っ端から鞄に押し込むと、応接用の机の上に大きな地図を広げた。

「いい? 今から言う場所に座標軸を合わせて」

必要な物の区別がよく分からなかったので、今まで手にしていた鞄をそのまま持ったアレックスは、ウィザロと同じく応接用の机の上に身を乗り出した。
同時に、ウィザロの指が地図中の一点を指し示す。

「場所はここだよ。覚えた? 座標が少しでも狂ってると、オレたちは到着早々はぐれることになるからね」
「……馬鹿にしないでください。アベル先生が言ってたこと忘れたんですか?」

アレックスが無愛想にそう言うと、ウィザロは一瞬呆気に取られた顔をしてからすぐに吹き出して笑った。
そんなことないよ、主席くん。
そう言われてから、ぽん、と、頭に置かれたウィザロの手に、アレックスはどこかじんわりと暖かいものを感じた。

「ああそれと、多分これから行った先で出迎えてるのはほぼ百パーセントの確率でS級だから」

しかし空間移動術を使い、今にも身体が周囲から消えようとしていた際、ウィザロが思い出したように呟いた言葉にアレックスは思わず「は?」と声を上げた。
アレックスは先遣隊としてAランク地区を割り当てられていたが、これまでS級と対面したことは一度としてなかったのだ。
それに同じ十歳と言えどアレックスはウィザロと違い、S級の呪文は詠唱できない。いや、あれは単に詠唱できたウィザロがかなり稀だっただけのことなのだが。

だがこのときのアレックスにとって、出先でのS級の存在云々は非常に大事であった。
もし向こうに到着した瞬間、右も左も分からない状況でS級に襲われでもしたら確実に死ぬ。百歩譲っても大怪我を負うだろう。

ちょ、ちょっと待ってくださいよ!
アレックスは慌ててウィザロの腕を掴もうとした。だが直後、空しくも身体は時空間の渦に飲み込まれて、近くにいたはずのウィザロの姿も殺風景な小屋の姿もなにもかもが見えなくなった。













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2010/12/12