その人の印象は、「違う人」だった。

彼は確かに目の前にいるはずなのに、生きている世界が、種類が、こちらとは明らかに違うのだ。
一人ぼんやりと漂って時折ふっと薄く笑うその姿は、まるで束の間の幻のようだった。









意志を継ぐ者  -第二話









「アレックス。着いたよ」

一人の男が呟く。その傍で、男より大分背の低い黒髪の少年、アレックスはフードを軽く持ち上げて辺りを見回した。
はあ、と、吐いた息が、すぐに周囲をすっぽりと包んでいる真っ白な靄のような霧のようなものと同化した。

「この先が、君がこれから数日の間研修を受ける場所だよ」

やっとのことで地面に足をつけたとき、既にアレックスの身体はくたくたに疲弊していた。
それと言うのも、この場へ来るために用いた空間移動術は、一度使うだけでもかなり疲れを覚える代物だったからだ。

空間移動術は、目的地の座標と放出する魔力の量とを正確に合わせなければならない。
しかもその放出量と言うものは個々に依っているので、これくらいの距離まで移動するのならばこのくらいの魔力、と言う風に、魔術師は何度も訓練を重ねてミリ単位の精巧さで目的地まで到達できるようにしなければならなかった。
ゆえに、空間移動術は精神的にも肉体的にも堪える魔術とされる。
しかし今回この場所を訪れるために、自分たちはそれを一度ならず三度も使っていた。先遣隊から魔術師へ昇格する研修場所とは言え、これはいくらなんでも骨が折れる。

それに魔術師であっても一日にそう何度も空間移動術を駆使することはない。
たとえ連続して使ったとしても、それは悪霊との戦闘時における目くらましだとか、そう言ったひどく限定された場所でのことだ。

(かなり、陰気なんだな……)

これから会う魔術師は余程人目を避けて暮らしたいものと思われる。それか極度の人間嫌いかのどっちかか。
アレックスはコートの襟元を寄せて、ふうと溜め息をついた。

隣に立っていた男が、こちらもコートの前を掻き合わせてから前へと歩きだす。
アレックスはその姿をぼうっと一瞬見送ってから、手にしていた大きな鞄を握りしめると彼のあとについていった。

辺鄙な場所だった。
地面は一面が茶色くなって萎れた芝生で覆われており、脇には暗い色をした木々が生い茂っている。たまに吹いてくる風もどこか白々しい。
今はどこもかしこも寒かったが、ここでは永遠に冬が繰り返されているのかと勘繰ってもあながち間違いではない気がした。

ざくりざくり、と、隣にいる男と自分の芝を踏みしめる音だけが、周囲へ無機質に響き渡る。
そんな殺風景な風景が連なる中、一軒の木造の小屋はあった。

それは、小屋、と言うにはややしっかりとした造りになっていた。
小屋の正面にある、これまたこげ茶色をした木製の扉の上部には、なにやら雑な文字が書かれたプレートがかかっていた。
恐らく店の名前かなにかだろう。しかし筆跡が雑すぎるのか、それともその言語が自分の知らないものなのかで、読めなかった。

「……相変わらずだな」

男は苦笑すると小屋の前まで近づいていって、トントン、と軽く小屋正面の扉を叩いた。
この扉の向こうから現れるのが、これから数日世話になる魔術師だ。
アレックスはじっと、男の背後からひょっこり顔を出して、睨めつけるように扉を注視した。扉の次に現れるその表情はどんなに陰気臭いのだろうかと、ありとあらゆる不幸そうな魔術師の顔を連想した。

しかし静寂が再び辺りを支配するだけで、誰の気配もしない。
アレックスが疑問に思ったのと同時に、男も首を傾げたようだった。

「おや? 誰もいないのかな……」

男はそう言うと、扉の取っ手に手をかけた。
そのまま扉を自分の方へ寄せる。すると、ガコン、と音を立てて、扉は呆気なく開いた。

「ウィザロ? いるかい、ウィザロ?」

男はずかずかと小屋の中へと入っていく。
最初アレックスはただ唖然としながら男の行動を見守っていたが、寒風の下で一人突っ立っているのも変な気がしたので、男を追って小屋の扉を恐る恐るくぐった。

入った先は、ちょうど仕事場になっていた。
それは広くもなければ狭くもない間取りで、部屋に入った手前に応接用のソファと椅子がある他は、奥にここに住む魔術師専用の大きい仕事机が居座っているだけで、他の雑用品はあまり見受けられない。
外から見た感じでは二階や、他にも部屋がありそうだったのだが、この部屋に階段はなかった。その代わりに、仕事机の向こうに大きな一枚の扉が取りつけてあるのが見えたので、その向こうに部屋が続いているのだなと推測できた。
部屋全体の床は板張りで温かい印象を与えてくれる。しかし、目に飛び込んでくるものと言ったらそれっきりだ。

陰気な性格の上に無趣味とは。
アレックスはこれから数日付き合う魔術師の姿を脳裏に思い浮かべて、どことなく気が重くなるのを感じた。

「……ぷはぁっ!」

しかし今までの静寂を破って大きな声が響いたのは、男が部屋中を探索し始めたちょうどそのときだった。

「あれ、お客さん……?」

奥にある大きい仕事机の向こうにあった一枚の扉がバタンと勢いよく開くなり、一人の人間が向こうから吐き出されるようにして現れたのだ。
その背は男と同じくらい高かったが、表情はとても大人とは言い難い、あどけなさの残る少年のものだった。

唐突にこの場に現れた彼は、きょとん、と、瞳を丸くさせて、男とアレックスを交互に見比べた。
アレックスも彼と同様、驚いて声が出ないままその視線を跳ね返す。
しかしここで動いたのは、他の誰でもない、アレックスと共にこの場に来た男だった。

「ああ、ウィザロ。奥にいたのか、勝手に入ってしまってすまなかったね」
「あれっ、アベル先生じゃないですか! ……うわっと、すみません、今ちょっと取り込み中だったもので」

そう言うと、ウィザロと呼ばれた少年は慌てて自分の身体を見下ろした。
彼の今の出で立ちは、胸元がはだけたシャツに黒のパンツ(しかもどちらもびしょ濡れだった)と、頭部には雑に巻かれた包帯が辛うじて乗っかっていると言う、まったく意味の分からない服装であった。

(……こいつが、研修先の魔術師?)

陰気臭いと言えば陰気臭い気もする。無趣味なのかは未だ不明だ。
だが恐らく、彼は自分より少し年上なだけではないのか? それが、先遣隊の自分が魔術師へ昇格するために行われる研修の受け入れ先だと?

ウィザロは今、男となにやら親しげに挨拶を交わしている。
アレックスはそんなウィザロの頭のてっぺんからつま先までを何度も眺めて、密かに眉を顰めた。
そして最初に感じた研修先の「ハズレ感」は間違いなく当たっていたのだと、こればかりは当たって欲しくもないのに的中させてしまったことに、どうしようもない脱力感を覚えた。













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2010/11/20