森の妖精 -第三話 爽やかな風が鼻腔をくすぐる、その心地良さでウィザロはゆっくりと目を覚ました。 いつの間にか辺りをいっぱいに満たしている色が、闇をはらんだ紺から白に近い朝の黄色へと変わっている。 ウィザロはしばらく頭を掻いて欠伸をしたあとで、やっとこの状況に至った経緯を思い出した。 まだ体温が残る毛布をめくって右足首を覗いてみる。 薬草を貼って、その上から包帯がぐるぐる巻きにされている右足首の太さは、昨日よりは少し細くなったような気がする。 ウィザロは今度こそ完全に毛布を脇によけて辺りを見回した。 記憶にある限り、夜通し暖炉の前で編み物に勤しんでいた妖精のような女の姿は今はどこにもない。 (……声?) ふと窓の外から聞いたことのない声が聞こえて、ウィザロはそっと、外に向かって開け放たれた窓辺に手をかけて身を乗り出した。 人間ではない。もっと独特な、例えるならば生き物の鳴き声がする。 そこで見た光景はあまりに幻想的で、いっそ我を忘れてしまいそうだった。 朝の太陽の白い光を浴びて毛繕いをしたり気持ちよさそうに目を細めている動物たち。 そして彼らの真ん中で、同じように目を細めて口元に微かに笑みを浮かべて彼らと戯れている若い女。 彼女はウィザロに見られていることに気づいたのか、こちらを向くとどこか可笑しそうにくすりと笑んだ。 金髪がいつも以上に透明で、背景に溶けてしまいそうなほど風にたゆたっていた。 「あら、おはよう。昨夜はよく眠れた?」 「はい。結構寝心地よかったですよ、このソファ」 「本当? じゃあ私も寝てみようかしら」 セリアは足元でパンくずをつついていた小鳥の背を優しく撫でて立ち上がる。 「お姉さんが飼ってるんですか?」 「いいえ。懐いてるだけなの」 小屋の前には今や鳥の他にもリスやウサギなどの小動物、更には子供のオオカミまで集まっている。 しかし不思議なのは彼らがセリアに撫でられると気持ちよさそうに目を細めるだけで、自然界の食物連鎖はどこへやら、あまりに現実からかけ離れた風景に唖然とする。 セリアは驚き切っているウィザロの心情を読んだのか、弁解するように口を開いた。 「でも時々は彼らと遊ぶのよ。中には怪我をしている動物もいるからそのときだけ介抱したりするけれど。……あなたも触ってみる?」 「うーん僕はちょっと遠慮しておきます。動物ってなんか怖いんです、その、噛まれそうで」 小さい、まだ子供のオオカミが一瞬自分の方を向いて歯茎をむき出しにしたので、ウィザロは咄嗟に首を横に振った。 「足の方はどう?」 「あ、大分よくなりました」 「でも……ああ、まだ結構腫れてるわね……」 セリアは窓辺に近寄ってウィザロの足首を覗き込んでから、品定めするように言った。 「色々とすみません」 「大丈夫よ、心配しないで。……あ、そうだわ」 期待したよりは引かなかった足首の腫れを見ていたセリアは、急に思いついたように呟いてから、近くにあった葦で編んだ篭を手に取った。 軽く衣服についた土を払って、腰の辺りで結んでいたエプロンの紐を手際よく解く。 「少し留守を頼んでもいいかしら?」 「いいですけど、どこかへ出かけるんですか?」 いそいそと出かける準備をしていくセリアは、そうよ、と頷いてから畳んだエプロンを窓から家の中へ放り込んだ。 「これよりもっと効く薬草がここから少し離れた場所にあるの。それを採って来るから、少しだけね」 本当になにからなにまでお世話になりっぱなしだ。 ウィザロが苦笑してぺこりとお辞儀をすると、セリアはひらひら軽く手を振りながら木立の中へと姿を消した。 小屋の前にいた動物たちは、彼らの足元に散らばっていたパンくずがなくなると誰からともなく去って行った。 数分も経たないうちに昨日と同じ殺風景な小屋の風景ができあがる。 また森の奥から吹いてきた頬を撫でる少し冷たい風を感じて、ウィザロは小さく息を吐いた。 (さて……と) 視線を辺りに走らせてセリアの気配が完全に消えたことを確認すると、ウィザロはふうとひとつ深呼吸してから立ち上がった。 背後を振り返る。部屋の奥には、二階へと続く木製の階段がひっそりと佇んでいる。 (仕事だ) 右足の方はまだきつかったが、ここで靴を履かないとあとで大変なことになったときに危うくなる。 無理矢理足を靴の中に押し込んで、枕代わりにしていた分厚いコートを羽織る。 あの寒気はもう二度と味わいたくないと思っていたのだが、どうやらその願いは呆気なく下げられてしまうようだ。 コートの胸の部分についている大きなルビーの止め具をしっかりとはめると、ウィザロは大きな鞄を持ち上げて歩き出した。 もちろん行く先は決まっている。 一歩足を踏み出せば途端に崩れてしまいそうな古びた階段が、さらに奥へ奥へと誘っているようだった。 BACK/TOP/NEXT 2008/02/07 |