森の妖精  -第二話









外観からして小屋みたいだと思ってはいたのだが、内装までもがその言葉を如実に反映していたとは思わなかった。
壁や天井に寒さを凌ぐための漆喰などはなく、造られたそのままの形、太い木の骨組みが剥き出しになっている。

(……とりあえず、なんとかなりそうだ)

淡いブラウン色の髪を持つ少年、ウィザロは一旦、扉の前でコートについた草を簡単に払い落としてから中へと足を踏み入れた。
この家と同じく木製の大きなダイニングテーブルの上に、暖色系でまとめられたテーブルクロスがかかっている。見回してみれば、家の至る所にも同じような系統色の小物が揃えられていた。
きっとこれらがこの心に染みる暖かさを演出しているに違いない。

きょろきょろと辺りを面白そうに眺めるウィザロの前を歩いていた家主の若い女は、繊細な金髪をなびかせて振り返った。
彼女はくすりと微笑を漏らしてから、ついと、まだウィザロの頬についていた草をつまみ取った。

「そう言えばぼく、お名前は?」
「あ、ウィザロ。ウィザロ・オルコットです」
「この辺りでは聞かない名前ね。どこから来たの?」
「えっと、ここから結構遠いんです。この前まで叔父の家にいて、故郷に戻る途中だったんです」

ウィザロは分厚いコートを脱いで、彼女に勧められるまま近くの椅子へと腰かけた。

「それはご両親も長く待ってらっしゃるのね、早く戻って安心させて差し上げないと。私はセリア・ドラクロワ、一応この家の家長よ。住んでいるのは私一人だけだからそうなんだけれど。……さ、捻ったところを見せてくれる?」

防寒用のコートの下には詰襟で丈が少し長い上着、それと上着と同じ群青色の長いズボンをはいている。
セリアが驚くのも無理ないだろう。この辺りでは愚か、他国でもこんな恰好をしている者は稀だ。

ウィザロが何故か窮屈になって脱げずにいた靴を力任せに引っ張ると、細い右足は見事にいつもの二倍以上の太さになっていた。
セリアはもちろんのこと、ウィザロまでもがあまりの衝撃に目が点になった。

「あら、随分悪い捻り方をしたのね」

右足首は見るに耐えないほど赤く大きく腫れ上がっていた。
自分でもまさかここまで捻ったとは思わなかったのだが。ああ、前途が思いやられる。

「とりあえず鎮痛効果のある薬草を貼っておくわ。……でもそうね、これは一度、お医者様に診てもらった方がいいわね。ここから少し遠いけれど、二時間くらい歩けば小さな街に出て、そこに診療所があるの。痛みがひいたら行ってみて」
「お姉さん、薬草の効果とか知ってるんですか?」

ウィザロが訊くと、薬草を摘みに外へ出ようとしていたセリアは振り返って笑んだ。

「ええ。長くこの森で過ごしているもの。だいたいは分かるわ」

妖精みたいだ、と思った。
すらりと伸びた細く長い手足に淡い金髪、それと雪のように白い肌の上の整った瞳。この家の扉が開いて初めて彼女の姿を見た時、一瞬本物の妖精を見たような心地がした。

きっと彼女はまだ若い、十代の後半か二十代前半だろう。それなのにどうして一人でこの森の奥で暮らしているのだろうか。
ウィザロが椅子に腰かけたままあれやこれやと考えをめぐらせていると、早くもセリアが目的の薬草を摘み終えて戻ってきた。

「今日の寝床だけれど、このソファでいいかしら? 大きいから寝るのには困らないでしょうけど……少し寝心地が悪いかも」
「お姉さんは?」
「私はこのチェアでいいわ。今日は徹夜でセーターを編もうと思っていたし」

セリアの急な来客にもかかわらず甲斐甲斐しく世話をしてくれる親切心に、ウィザロは感謝した。
彼女は今、暖炉近くの居間のソファを軽く叩きながら、簡単にベッド代わりになるよう整えている。

詰襟を外してほっと一呼吸つきながら、そのとき初めてウィザロは暖炉とは反対側に上の階へと続く階段があることに気がついた。
まだ痛みが残る足を引きずって近くまで行って、奥にじっと目を凝らしてみる。

階段の先は明かりがまったくなくぼんやりと薄暗い。
瞬間、心臓がどくんと唸った。この階段の奥から、言葉ではとても言い表せそうにないなにかの気配を感じる。
ウィザロは今は暖炉の傍で毛糸を巻き取っているセリアを振り返った。

「あの、ここって二階あるんですか?」
「駄目よ!」

一瞬、セリアの瞳が鋭くなってこちらを射竦めたような気がした。
しかし今の彼女ははっと我を取り戻したように、下を向いて照れ笑いを漏らしている。

「……あ、ごめんなさい。二階はね、祖母が大切にしていた部屋がそのまま残してあるの。できれば入らないでもらえるかしら」
「ごめんなさい、僕こそ勝手に動き回って」

にへら、と笑ってみせる。するとセリアもその綺麗な顔に安堵を広げて苦笑した。

「一階なら大丈夫よ。ゆっくりしてね」

ぱちり、と、部屋の最後の照明が落とされる。
ただ暖炉の暖かい光だけは、いつまで経っても赤く煌々と燃え盛っていた。

ウィザロはベッド代わりのソファの中で身動ぎして、暖炉傍の椅子に腰かけてセーターを編むセリアの姿を見た。
上品な横顔に映る橙色の光。永遠に揺るぐことのない凛とした姿。
彼女の手当てを受けた、薬草を貼ってある右足首が冷たくて暖かい。

なにかがある、と感じ始めていた。
今はさっきのようなおどろおどろしい気配はあまり感じられないが、二階へと続く階段を見たとき、全身をじんわりと冷気が包み込んだあの感覚。
ウィザロは勢いよく毛布を頭からすっぽりとかぶって、目蓋を固く閉じた。

間違いない、あの気配は。今まで何度も対面してきたのだ、間違うはずがない。
あれは正真正銘、悪霊の気配だ。













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2008/01/26