序章 -05 「ジョン、どうしてここに……」 リーネはかなり驚いているらしい。彼女の青い瞳は、今や大きく見開かれていた。 しかしサーンはと言えば、腸が煮えくり返る思いだった。 苛立ちも甚だしい。彼がここに来なければ、事はトントン拍子に進んでいたと言うのに。 広場の入り口に仁王立ちになっていたジョンと呼ばれた少年は、ずかずかと歩幅大きく歩いてくる。 そしてなんの躊躇いもなくリーネを半ば強引にサーンから引き剥すと、サーンを指差し叫んだ。 「この国の王子だかなんだか知らないけどな、リーネをこんな顔だけの奴に渡せるか!」 途端にハロルドの怯えたような目がサーンに向けられた。 それもそのはず、ハロルドは博愛主義者であり平和主義者でもある。無駄な争いは好まないという典型的なお人好しだ。 幼い頃から彼はそうだった。そんな点が彼の長所でもあり、またときには短所にもなり得る。 サーンはふっと口元に微笑を湛えた。 そしてそのままにこやかにジョンの元へ歩み寄ると、瞬時に今までの輝かしい笑顔を捨て、面倒臭げな顔を前面に出してジョンの胸倉を掴んだ。 「おい、俺が顔だけでこの世を渡ってきたと思うか? なら見解の相違だ。彼女にも俺と同じ力が備わっているんだ。平民は手え引け」 ハロルドの失意と苦痛に満ちたような叫び声が広場に響き渡る。 夏の夜の怪談の最中にこんな声が聞こえてきたら、間違いなく誰しもが叫び喚くに違いないだろう。 だが当事者であるサーンとジョンとには、そんな微々たる恐怖など気にかけていられない。 ジョンは国の王子であるサーンを敬うどころか、彼に売られた喧嘩を躊躇うこともなく即買った。 「なんだお前! だいたい顔に関しては合ってるだろうが!」 「大人しくしていれば、腹立つ野郎だな!」 「ああそりゃ奇遇だな。俺もちょうどそう思ってたところだ」 「大体何だその態度! リーネをとっとと諦めろ、女々しいんだよ!」 「そりゃこっちの台詞だ! お前も王子ならもっと丁寧な言葉使いやがれ! 王室語はどこ行った!」 「知るか! 人権侵害で訴えるぞ!」 話が元の話と多少脱線しているが、当の本人たちは互いの汚名に必死だ。 似たもの同士とも言える言い争いは、日の暮れかけた広場に大きく響き渡った。 そうこうしているうちに、リーネはこっそりサーンとジョンの間から抜け出たようだった。 そしてこちらもなにやら一人で混戦しているハロルドを見つけ駆け寄ると、リーネは彼の肩を軽く叩く。 「……あの」 「はっ? ああ、これは王妃候補様、いかがなさいました?」 リーネは王妃候補と言われて少し首を横に振ってから、顔を上げた。 「王子様は、その、少々激しい気性なのですね?」 「え? ええまあ……気難しい性格ではありますが」 あながち間違ってはいないだろう。 気難しいと言うよりは、扱いが難しいと言うべきだろうか。 そうですか、と、呟きながら、リーネはまだ言い合っている二人に目線を移した。 彼らは未だに子供のように睨みあっている。その片方が王子だと言うのだから笑えない。 リーネはふうと一息つくと、途端にくるりと広場に背を向けて、肩越しに振り返り微笑んだ。 「私、今日はこれで失礼させて頂きます。詳しいことはまた」 にっこりと完璧なまでの笑顔を残し広場をあとにするリーネの姿に、喧嘩に準じていたサーンとジョンは、お互いの頬を引っ掴みながらただぼうっとそのうしろ姿を見送った。 「お二人とも、多分呆れられてしまいましたよ」 ハロルドの言葉に、チッと舌打ちをしてジョンが手を離す。 崩れた襟元をジョンの目につくように直しながら、サーンはやれやれと内心溜め息をついた。 夕日は既に山の向こうへ消えつつある。辺りは徐々に夕闇の中へ消えて行く。 街を吹き抜ける風がさっきより冷たくなっているのが分かる。ああもうすぐ、夜が来る。 広場に集まっていたエターリアの人々も徐々に自分の家路へと着き始めた。 隣でげんなりとしているハロルドは、どうせ今後の王子の信頼率でも気にしているのだろう。 一方、この問題の根源となったジョンは、暮れ行く日の光を眺めながら頭をがしがしと掻いた。 「このバカ王子の所為でこんなに日が暮れたよ」 「なに言ってんだ。大体お前が邪魔しなけりゃ今頃はとっくに城に帰ってたんだ」 サーンが、心底機嫌が悪いのだと暗に言う。 しかしジョンはそんなこともお構いなしに、リーネと同じようにサーンとハロルドにくるりと背を向けた。 「ウチはもうすぐ夕食なもんで。せいぜいがんばれよ、じゃあなー」 「待て」 サーンは咄嗟にがしっとジョンの肩を掴んだ。ハロルドとジョンは驚いてサーンを見る。 「お前が原因なんだ。今夜はお前の家に泊めろ」 「……は?」 「……王子、それは一夜の宿をお願いしているのですか?」 「そうだ。どうせ城には帰れないからな」 サーンはそれが当然だとでも言うようにさらりと答える。 「ってお前、それが人に物を頼む態度か!?」 ジョンはサーンを指差して怒鳴った。 「こんなに気が合わない奴と同じ屋根の下だなんて死んでも嫌だね」 「じゃあ死ね」 「なに言ってんだこいつ! お前だけ外に放り出すぞ!」 「ま、まあまあお二人とも落ち着いて……」 結局ハロルドの多大な努力と仲介により、無事サーンとハロルドはジョンの家に一泊することになった。 しかしサーンとジョンの眉間の皺は最後の最後まで彼らの額に深く刻まれていた。 ジョンの家は広場からそう離れていない街の大通りの一角にあった。 エターリア国の民家は、どれも石積みの簡素な造りになっている。その中の一つだ。 「まあ、この方が我が国の王子様!?」 ジョンの家に着いて、一番先に出迎えたのはジョンの母親だった。 黒く日に焼けた肌に亜麻色の長い髪を肩の辺りでゆったりと結わえているその姿は凛々しかった。 しかしサーンが一晩寝泊りすると聞いたとき、彼女は半分失神しかけた。見かけによらず案外心は繊細らしい。 家の中に入ると、ジョンの妹弟がサーン目がけて遠慮なしにアタックしてきた。 「おうじさまだって!」 「あそぼ、あそぼ!」 彼らは口々に違う事を口走る。しかもジョンとはかなり年の差がありそうだった。 サーンは適当にジョンの妹弟を手慣らしながら、家の中をぐるりと見回した。 「これは狭い家だな。城の馬小屋にも満たない広さだぞ」 「王子、それは言いすぎです」 どれもが狭い家だと言うわけではないだろう。ただ城が広すぎるだけだ。 それに民の住む地区にも一応階級があった。 エターリア王家の住まう城は国の東端にある。そこから横一列に住居の階級が定まっているようなものだった。 貴族はエターリア王家に一番近い区画。城から遠ざかれば遠ざかるほど貧しい者達が住まう地区へと変わるのだ。 そして西端のエターリア国境として名高い険しい山々の麓は、最も貧しい人々が住まう地区となっていた。 ジョンの家は位置から見ても一般的、国の中央部の標準的な場所にあると言えるだろう。 過不足なく、飢えることもない普通の土地だ。 王家の人間は珍しく遊び相手に最適なのか、サーンとハロルドはいつの間にかジョンの妹弟の子守を任されていた。 そうしてしばらく他愛もない遊びに付き合っていると、薄らとどこからか夕食の香りが立ち込めてきた。 窓の外を見てみると、周りの家々からも白い煙が昇っている。 「ほらよ。これがお前達の晩飯だ」 ジョンは乱雑にサーンとハロルドに今夜の晩の食事を放ってよこした。 サーンは城以外で出されるものを口にするのは今回が初めてだった。しかしその器の中を見て言葉を失った。 「なんだよ、文句あんのか?」 ジョンの不服そうな言葉が耳に入らない。 未だに目は器の中の「今晩の食事」に釘づけになったままだ。 とりあえず見えるのは雑穀、あとは水。それくらいしか物の形が分からない。 晩の食事として渡されたのは、碗の半分くらいに盛られた粥だった。 食事、と言うよりは雑穀が多く混ざっていて、腹の足しにはとてもではないがなりそうにない。 「これは……俺の生きてきた中で初めて見る食材だな」 「仕方ねえんだよ。今年は凶作だったんだ」 素っ気なく言うジョンの言葉の真意が嫌でも分かった。 凶作なのに城には変わらない米税が届いたことからして、恐らく民の生活は苦しいことだろう。 (これは「配分を間違った」からだ) サーンは心の中でチッと舌打ちをした。 やはり城の中からエターリア国全体を把握することは不可能だった。今回この場に来てよかったと思う。 かなりの体力と時間を浪費してしまうが、城に戻ったらさっそく「仕事」に取りかからなければ。 ジョンの妹弟は、今はハロルドに群れて食事を取っている。 足場のないジョンはサーンの隣にどかっと腰を落ち着けた。 「おいお前、一つ訊いていいか?」 「あ? 街のことならなんでも答えられるぜ。言ってみろよ」 「じゃあ訊くが、リーネは本当にここの出なのか? あの容姿は、いくらなんでも……」 サーンの質問に、ジョンは勝ち誇ったように、もちろんと言って笑んだ。 「まあ、そう勘繰るのも無理ないぜ。でもさ、ありえないだろ。銀髪に碧眼だぜ? 俺らの中からは生まれないって言われてたのにな!」 しかし腑に落ちない。突然変異にしても、あまりにも不可解な点がある。 サーンの眉間の皺はいっそう深くなった。 「噂にならないか? 今までそんなことがあったとは、城でも聞いてないが……」 「それはあれだ。リーネのばあちゃん……ああ、リーネの義理の母親のことな。そのばあちゃんがずっと具合悪くってさ、リーネあまり表に顔出さなかったんだ。でもここら一帯じゃ知らない奴はいないぜ」 「小さい頃は、リーネにも親がいたんだろ?」 途端にジョンは神妙な面持ちになった。 粥を食べる手を止め、家族とハロルドが和気藹々と会話している光景を確認してからそっと声を潜める。 「……実は、リーネに関しては噂があるんだ」 「噂?」 「昔な、リーネのばあちゃんはリーネを『拾った』っていうんだ。服は質素だったしどこか遠くから歩いてきたんだって言う」 どういう噂なのか、最初は見当もつかなかった。ジョンは粥をかき込みながら話を続ける。 「実際にリーネの親は誰も見たことないし、リーネに聞いても『昔死んだ』としか言わない。洗脳されてんのかなって思ったけど」 「……そうか」 それきりしばらく二人は黙々と粥をすすった。 ハロルドたちの側から時折歓声が上がる。その声を遠くに聞く。 (拾ったって……) 意味が分からない。それに、それこそが単なる噂だけなのかもしれない。 しかしリーネのあの類稀なる容姿は解せなかった。貴族でもあれほど立派な銀髪と碧眼はそうそういない。 それに銀髪はエターリア国では一部の貴族が持つものだ。 貴族が平民に生ませた子供か、それなら出生に関して隠すために「洗脳」と言う観点からも筋が通る。 そうでなければやはり突然変異と言う点に収まる。 しかしリーネの手を取ったとき、光の波長は確かに見られたのだ。 もしかしたら彼女でさえも知らない出生の秘密があるのかもしれない。 「おい、リーネはどの辺に住んでるんだ?」 「今から行く気か? 悪いこと言わねえからやめておいた方がいいぜー」 ジョンはふわと大きく欠伸をすると床に碗を置いた。 「もう夜だ。今からあっちへ出ていくと柄の悪い奴らに襲われるぞ」 辺りを夕闇が包み始めていた。 遠くの方で鳥や獣の咆哮する声が木霊して聞こえる。 「……あっちって、もしかして麓か?」 「ここらはまだ平気だけど、あの区画は相当危ないぜ。特にお前みたいないかにも身代金たんまり取れそうなヤツ、すぐに獲物だな。うん、決定」 しかしなにかが自分を呼ぶ声がする。 その指し示された方へ自分は行かなければ行けないのだ。 ジョンが母親の元へ手伝いのために消えた頃合を見計らって、サーンは立ち上がった。 けれどやはり自分の召使いにはある程度報告を入れておいた方がいいだろうと思い直し、くるりと踵を返す。 「散歩してくる。ハロルド、留守は頼んだぞ」 「って、王子! 勝手に行動なさらないで下さいー!」 ハロルドの言葉を無視してサーンはジョンの家を出た。 さて出たはいいが、リーネが住む地区は最も貧しい人々が住まう地区、街の中心部から外れた西の端にある麓だとは。 サーンは、仕方ないなと嘆息してから、全意識を一点に集中させた。 柄の悪い奴に捕まりそうならば捕まらなければいい、ただそれだけだ。 どこからか大地が地鳴りを起こしている。なにかを包み込むような不可解な音が聞こえる。 するとパキパキと地面を割ってなにかが侵入してくる音が近づき、サーンの足元には地割れが起きた。その下からは、数多の枝が伸びてサーンの身体に絡みついていく。 そしてサーンは、夜闇の中に消えていった。 BACK/TOP/NEXT 05/01/29 |