エターリア国の街中、特に大通りは多くの民でいつも賑わう。
わざわざ朝早くから人々は街に繰り出し、今日の食料などを求め、露店に軒を出す店を嬉々としながら梯子する。

しかし今日だけは妙に騒々しい雰囲気が街中に漂っていた。
道のあちこちで年頃の少女が数人の塊を作っては、途端に流れた噂話に夢中になる。中には失神して倒れる少女までいる。

「それって……本当に本当なの? 王子様が街の広場にいらしてるって」
「本当らしいわ。さっき聞いたんだけど、私たちの中から婚約者を探していらっしゃるんですって!」
「婚約者!?」

すぐさま少女たちの顔が驚きと喜びの入り混じった表情へと変わる。

「それって……」
「王子様と結婚できるってこと!?」

サーンが街へ下ったと言う噂は瞬く間に広がり、もはや誰にも止める術を与えようとはしなかった。
少女たちの機嫌は最高に達し、サーンが街の広場に到着したときには既に国中の少女が集まっていた。









序章  -02









街一番の大きさを誇る広場は、エターリア国のほぼ中央に位置する、民にとっての憩いの場である。
最新技術を駆使して造られた噴水や灌漑など、暑くて乾燥するこの土地の気候にはありがたい存在であった。

噴水から吹き上がる水の爽やかな音と、風が優雅に空を舞う音がまるで楽園のようだ。
緑豊かな輝く広場を視界に入れながら、サーンは頬にかかる涼しい風を感じて目蓋を閉じた。

「ちょっと王子! お嬢さん方が増えていきます!」

サーンとハロルドがこの広場に着いてから、まだ一時も経っていないはずだった。
しかし年頃の少女は時間と共にその人数を増やしていく。増加率はかなり高い。

彼女たちはきゃっきゃとお互いに顔を見合って、少し離れた木陰でうたた寝をするサーンを盗み見ては黄色い声を上げる。
やはり妃になれるというとんでもないサプライズは素晴らしい影響力を持つらしい。
国中の少女に緊急招集をかけようとはしていたのだが、その前に全員が集まりそうだった。

「王子! こんな場所で仮にも王家の者がうたた寝なさらないで下さい!」
「……うるさい、お前は俺のオカンか。あの母親だけで十分だ。あー嫌なこと思い出した」
「なにがあったかはよく存じませんが、王妃候補探しが終われば城に戻れるんですよ! さっきやる気満々だったのはどこの誰ですか!」
「満々ではなかった」

少女たちは今か今かと期待に胸躍らせながら、サーンの姿に熱い視線を送っている。
耳に雑音が多く飛び込むようになったサーンは、やっとその重い腰を上げた。

「仕方ねえな。やる」

サーンは立ち上がると、水飛沫を上げていた大きい噴水の淵に腰かけて一息ついた。

「ハロルド、彼女たちを一列に並ばせてくれ」

早く行けとでも言うように、しっしっと手を払う。
ハロルドはサーンの言葉の真意が分からないようで小首を傾げたが、すぐに手際よく少女たちを広場内で一列に並ぶよう指示すると、小走りで戻ってきた。

「この次はいかがします?」
「一人ずつ俺の前へ誘導してくれ。いいか、一人ずつだぞ」

ハロルドは列の先頭の少女の手を紳士的に取ると、サーンの前まで案内した。
今度は変わってサーンがすっと少女の手を取る。まだ幼さが残る顔つきの少女は、ぽっと顔を赤らめた。

サーンは差し出された少女の手の甲をじっと食い入るように見つめた。
それは傍目にはなんら他人の手と不思議な点、相違点は見受けられない普通の少女の手だった。

「……あの、王子様?」

いつまで経っても微動だにせず己の手の甲ばかり見つめてくるサーンに耐えかねたのか、手を取られている少女が頬を紅潮気味に尋ねる。
その少女があまりにも不安げにしていたからであろうか、サーンは気づけばふっと微笑していた。
途端に、その場にいた少女がみな気絶しそうになったのは言うまでもない。

「ああ、少しそのままでいてくれないか?」
「はい! どうぞいつまでも!」

周囲からきゃあと湧き上がる歓声も、隣でハロルドの口が半開きになっているのも無視して、サーンは再び目の前の少女の手の甲に視線を落とした。

(違う……な)

それから数秒ほど同じ姿勢を取り続けたサーンは、しかしあっさりと彼女の手を離した。

「ハロルド次だ、次」
「え、もう宜しいのですか?」

いったいこの人はなにをしているんだろうとでも言いたそうなハロルドに、サーンは気だるげにすっと右袖を捲くった。
服の下から現れたサーンの右腕には、透き通るような親指大の真珠が一つついたブレスレットがかかっていた。
ハロルドは物珍しそうにぱちぱちと瞬きした。

「うわ……素晴らしい宝物ですね。王子、これは?」
「俺が五歳になったときの生誕記念式に父王から贈られた物だが、元はと言えば国宝らしい」
「え、いいんですか? そんな大事なもの身につけて」
「いや、これ外そうとしても外れないんだ。それに、俺の夢枕に立った奴が……」

どこからか過去の記憶がするりと抜け出て、いつしか見た夢の内容を思い出す。その中で出会った不思議な人物の姿も鮮明になる。
脳裏には、自然とつい数ヶ月前に見た夢がありありと蘇ってきた。

今考えても本当に不思議な夢だったと思う。
目も眩むほどのなにもないただ漠然とした白の世界、その中にサーンは立っていた。
どこが天なのか地なのかさえ分からない。ただ気分が軽くなっていくような、真綿でつめられたような世界だった。

すると突如、目の前に灰色の人影が静かに現れた。
それは輪郭のはっきりしない掻き消えそうな手を差し出して、サーンの腕に提げられているブレスレットの真珠を指した。

――あなたにとって王妃を探す手がかりです。そのまま身につけてなさい。

誰だ? サーンはその朧気な輪郭を持つ者に問うた。

――迷うことがあれば、その者の前へ翳すのです。上手くいけば光の波長が見られるでしょう。

だから誰だ? サーンが最初よりはいくらか語調を強めて聞いているのに、その者はまるでこちらの声が聞こえていないかのように語り続ける。

――四人、なんとしても集めるのです。私はもはや、分かれ、て……。

記憶にある限り、聞いたことのない女の声だった。
サーンの意識は束の間の白昼夢から現実に戻り、サーンは胸の中に燻る不快感と共に訝しげに顔を伏せた。
何度思い出しても奇妙極まりない。それに夢にしては、あまりにも現実味を帯びすぎていたような気もする。

(そもそもあれは、人だったのか)

サーンの右腕には、その言葉通りに今でも真珠のブレスレットがかかっている。
けれど決してその腕から離れたことはない。
聞くところによると、五歳の生誕記念式にサーンに贈られて以来、一度も彼の腕からブレスレットは外れなかったらしい。

どんな鋭利な刃物を持ってしてもその銀色のチェーンは切れない。もちろん引っ張って取れるものなら苦労はしない。
けれど真珠は内陸のこの国では珍しい。きっと昔もたらされた産物なのであろう。

「……そうなんですか」

ハロルドはサーンの話にのめり込んだのか、半ば放心してその場に突っ立っていた。
そうなんだ、俺も大変なんだよ。と呟くサーンは、はっとしたように顔を上げる。そしてその青い瞳を怒らせてきっとハロルドを睨んだ。

「そうなんですか、じゃない! とっとと彼女たちをさばかないと日が沈むだろうが!」
「沈んだら終わりですね……」

二人は慌しく王妃候補探しの再開に尽力し徹することにした。
しかし行動してはみるものの上手くいかないというものが現実である。

あの夢に現れた人物は、光の波長がどうのこうの言っていたが、そもそも真珠が光るはずもないので肝心の王妃候補は見つからなかった。
期待とは裏腹に、広場に集まった少女の数は容赦なく減っていく。
最初は輝かしかったサーンの天使の微笑みは、時間が経つにつれ般若の如く形作られていた。

「王子、それじゃ皆さん怖がってしまいますよ。ほらそんなつり目で」
「悪かったな。生まれつきだよ」
「せめて営業スマイルを。国民の前に出るときのような!」
「スマイルなんて永遠に消えたぜ」

しかしサーンの顔が険悪になっても王妃候補が現れるわけでもなかった。
むしろ肝心な広場に残った少女の数は、今や両手で数えれば足りるまでに激減していた。
サーンとハロルドは同時に似たことを考えた。この中にきっと王妃候補はいないだろう。いや、絶対にいないだろう。

「絶対に、絶対にいない気がする……!」
「王妃候補の方ですか? わたしも王族の方だと思いますけど……と言うか、仮に王室に平民入れることになっても、大丈夫なんですか?」

ハロルドもサーンに倣って考え込む。
しかし黄色に照りつける太陽はいよいよ傾いて、険しいエターリアの山際はほんのり紅くなっていく。

思えば何故平民の中に王妃候補が紛れているかもしれないなどと口走ったのだろう。
まさか自分が遣わされるとは思ってもみなかっただけに、疲労感も大きくなるものだ。サーンは深い溜息をついた。

「違う!」

最後の一人だった。国中の少女が集まった、その最後の一人だった。
彼女が最後のはずだ。それなのに真珠はもちろんぴくりとも反応しなかった。
最後の少女は不思議そうに首を傾げてから、すっかり項垂れるサーンに一礼すると広場を去っていった。

サーンは頭上から鉛を喰らったかのような衝撃を受けた気がして肩を落とした。
気が相当滅入ってしまった今ではほとんどやる気が起きない。ダメージは今までにないくらい相当なものだったらしい。

「国の少女全員に集まるよう緊急召集もかけたんですが……」

ハロルドは苦笑いで誤魔化してみせたがサーンは騙されなかった。
いったいこれはどう言うことなのだろうか。
もしかしたら女は女でもまだ生まれたばかりの赤ん坊か、それとも自分よりかなり年上の女か。いや根本的に間違っていて、遠く離れたどこか他国の少女なのかもしれない。
サーンは精神的な頭痛を覚えてさらに項垂れた。

合わせたわけでもないのにハロルドと同じタイミングで嘆息してから、このあとを考えて背筋に悪寒が走った。
脳裏によぎるのは、我らが国王の豪快かつ不気味な笑い声である。

無収穫の状態で城に帰れば、絶対中に入れてもらえないのは想像する以前の問題だ。
一度決めたら最後まで貫き通すラザロスのことだから、絶対にそうするだろう。
サーンは肘をついたその上に顎を乗せながら呟いた。

「俺は生まれて始めてこんなに働いたぞ」
「王子……日頃の行い悪いですからね……」

ハロルドがサーン同様疲れ顔で呟く。どうやらつい本音が喉を通ってしまったらしい。

「なんだと!? この俺のどこが悪に染まってると言うんだ!」

二人の口論が日の暮れかけた広い広い広場に響く。
まさか主従関係にある者達の口論とも思えないほどの凄まじい激論に、広場で遊んでいた小さな子供は驚いて目を見開き、大人はそれが国の王子だと知っているからなにも言えない。
そんな二人を眺めながら、太陽の日は西に傾きかけていく。

そんなときだった。
これから夜が訪れるだけだというのに、広場から出て行く民に逆流して入っていく姿があった。

服は民共通の簡易なもの、丈の短いスカートからは長く細い脚がすらと伸びている。
少女だった。その少女はまだ口論を続けている二人を見つけると、恐る恐るそちらへと足を踏み出した。













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05/01/29