Edirne -06 息が上がる。狭い洞窟の中だからなのか、暑さのせいで頭がぼんやりとする。 それなのに前を行く彼の姿は颯爽としていて、こうして一人ぼうっとしながらただ機械的に歩く自分のほうがおかしいのかと錯覚しそうになる。 しかし、もはや真澄は体力的にも精神的にも限界だった。 彼の衣服を掴んで引き留めるような余裕はない。そもそも、今の自分では彼に追いつくことさえかなわない。 それでも少し逡巡したあと、ようやく真澄は掠れた調子で、それまで我慢していた弱音を吐いた。 「ま、待って……っ」 「どうした」 どうしたこうしたもない。 時計を持ち合わせていないため、この洞窟に放り込まれてからいったいどれくらいの時間が経過したのかは分からない。しかし、それは間違いなく数分などと言う生易しい程度ではないことくらい把握している。 恐らく既に三十分は経っているだろう。その間、真澄とシルヴィオは、出口の見えない凸凹の一本道の洞窟をひたすら歩き続けていた。 にもかかわらず、汗一つ見せずけろりとした顔で振り返ったシルヴィオに、それまでの疲労も手伝って真澄は膝から地面に崩れ落ちた。 忘れていた。そう言えば、シルヴィオの体力は底が見えないのだった。 サシャとの模擬試合や空中庭園で見せられたシルヴィオの異常な体力のストックを思い出して、真澄は膝をついたそのまま一人項垂れた。 「平気か?」 「……はっ、は」 「じゃ、なさそうだな」 少し休むか。いつもなら自分一人くらい容赦なく見捨てていきそうなものだが、がらにもなくそう呟いたシルヴィオに、このときばかりはその好意がありがたかった。 と同時に、なにか打開策を考えなければならない、とも思った。 これは勝手な予測ではあるが、このまま洞窟を進んだところでちゃんとした出口は設けられていないような気がした。 母が自分たちをこの空間に放り込む前に口にしていた、「あなたたち次第」と言う言葉がどうにも引っかかるのだ。 なんとなくではあるが、そこにこの洞窟から出るヒントが隠されているように思える。つまり、出口を目指してただ歩くのではなく、自分たちがなにか行動を起こして初めて望む結果が得られるのではないか。 そんなことを考えながら、弾む息を押さえて顔を上げた真澄は、シルヴィオがこちらの様子を窺うように屈んでいるのを認めた。 しかしこのときの真澄は、なぜか視界の端に、ちらと輝くシルヴィオの装飾品の一部を捉えた。 それがなんなのか、真澄はすぐに見当がついた。 ラルコエドに来てからと言うもの、その存在は幾度となく真澄の生命を脅かしてきたのだ。見忘れるわけがない。 真澄はじっと、今もシルヴィオの腰元に据わっている、柄に端整な装飾が施された短剣を凝視した。 ガラヴァルは言っていた。自分は微力ではあるが魔力を持っていて、けれどその自覚はないのだと。 現にこうしてガラヴァルや母から諭されたあとであっても、自分の身体の中に別の特殊な力が混在している感覚はまったくない。 だがこのときの真澄の脳裏には、ふと、もし自分が窮地に陥った場合、その魔力は顔を出してくれるのではあるまいか。そうしたらこの洞窟から出られるのではないか、と言う一種の賭けにも似た考えが湧いて出た。 例えば、そう、このシルヴィオの短剣の切っ先を、自分の喉元目がけて突き立ててみるとか――。 「駄目だ」 「えっ?」 己の腰に帯びている短剣の柄を真澄から遠ざけるようにして、シルヴィオは素早く身を引く。 突然の彼の行動に、真澄はきょとんと瞳を瞬いた。 「な、なんのこと?」 「お前……今ロクでもないこと考えただろ」 「別に! そんなことない!」 まさか、読まれたのか? 真澄は内心ぎくりとしながらも力いっぱい否定した。 しかし流されることなく、シルヴィオははーと長い溜め息をつくとゆっくりと立ち上がった。 「バレる嘘なら吐くな。だいたい、お前が自ら危険な目に遭いにいって無事に済む保証なんざどこにもねえだろ」 ぽん、と、真澄の頭にシルヴィオの手が置かれ、軽くくしゃくしゃと撫で回される。 見透かされていた。真澄はシルヴィオに乱された部分を手ぐしで梳かしながら、ぐっと唇を噛んだ。 正直なところ、シルヴィオの気遣いは嬉しい。けれど――、と、真澄はこちらに背を向けて立つシルヴィオを見つめた。 ここでいつまでも無駄な時間を過ごすのは得策とは言えない。それにこのまま洞窟から出られないのであれば、いつか母が試練自体を中断させてしまうかもしれない。 やるしかない、と、真澄は腹を括った。 自分には今までなんだかんだで窮地を脱出してきた、その経験値がある。大丈夫だ。ガラヴァルを呼び、全面戦争を回避することさえできたのだ。ここは、自分でも察知できない能力に頼るしかない。 真澄は立ち上がり、ドレスの裾をはたいて土埃を落とすふりをして、シルヴィオの隙を窺った。 このあと、もう息は整ったとシルヴィオに報告する傍ら、彼に気づかれないよう背後から短剣を奪い取ってしまえばいい。そうして鞘から剣を引き抜いて首を掻き切る、その瞬間に自分の身を守ろうと魔力が現れる。はずだ。 もし失敗してしまったらなどと言う考えは、自然と浮かんでこないのが不思議だった。 「シルヴィオ」 よし。と、気合いを入れた真澄は、脳内シミュレーション通りそれとなくシルヴィオに歩み寄った。 なにも知らないシルヴィオは、肩越しにこちらを一瞥しただけでまたすぐに顔を背けた。 これは好都合だと、真澄はそのまま話しかけるように見せかけて、間髪入れず、短剣を抜き取るために彼の死角になるところから彼の腰の短剣へと手を伸ばした。 「真澄」 しかし、真澄があと少しで短剣に触れると言うところで、突然伸ばしたはずの腕を強い力で絡め取られた。 真澄は驚いて視線を上げた。そこには、いつの間にかこちらを向いたシルヴィオの真剣な顔があった。 今の彼は、いつもの見下すような表情ではなく、どこかこちらを宥めているかのような歯痒そうな複雑な顔をしていた。 なぜ彼はいちいち自分のしようとすることが分かってしまうのだ。未だに腕を掴まれながら、真澄はなにも言えずにシルヴィオの顔を見つめ返した。 そうして互いに見つめ合ったまま、しばらくどちらも黙り込んでいた。 が、ややあって、真澄の口から、それまで思うだけに留めていたことが自然にぽろぽろと零れ出した。 「だって、ここであたしがやらなきゃ……。こうなっちゃったのは、あたしのせいなの。あたしが招いた種なの。あたしが……」 真澄が訴える傍で、シルヴィオは珍しく哀しげに睫毛を伏せた。 「……例えそうだとしても、頼むから無茶な手段を選ぶな」 「でも……」 「お前、まさか一人でこの状況を打開しようとしてんのか? だとしたら怒るぞ」 既に怒っているではないか、と言うツッコミは場違いなので、心の中にしまっておく。 再び口を噤んだ真澄を見て、シルヴィオは仕方ないとでも言いたげに明後日のほうを見て銀髪を掻き上げた。 「易々とこんなとこで諦めてんなよ。それに、あと一万歩進んだら出口があるかもしれないだろ」 いつも現実的なことばかり口にするシルヴィオが、まさか冗談に手を出すとは露も思っていなかったため、真澄は初め彼がなにを言っているのか理解に苦しんだ。 それが彼の慰めであったと分かったのは、大分時間が経過したあとのことだった。 一万歩か、遠いね。足元を見ながら一万歩の距離を考えていた真澄がぽつりと漏らすと、シルヴィオは、そうか? と、大したことではない風に言った。 まったく、これだから体力のある人間は困る。真澄は俯いたまま小さく笑った。 「でもあたし動きトロいし、シルヴィオの邪魔になるかも」 「喜べ、お前が動けなくなったら担いで行ってやる。ただし、対価はもらうがな」 「対価、って」 なに? と問おうとした真澄は、それ以上喋ることを中断させられた。 掴まれていた腕が不意にぐんとシルヴィオのほうへ引っ張られ、それに倣って身体も彼に引き寄せられる。 ぱっと顔を挙げると、既にシルヴィオの顔が間近に迫っていた。 けれど、いつになく真剣な表情をしているそれは、今度こそは誤魔化しではないと分かった。先程のように自分をからかおうとしているのではない。 シルヴィオの、真澄の腕を掴んでいる手とは反対の大きな手が、真澄の頬を優しく包み込んだ。 しかし、真澄はもうシルヴィオの突飛な行動に肝を抜かすと言うことはなかった。 これくらい安い対価だ。むしろ、褒美と言ってもいいくらいだ。きっとこの口づけを交わしたあと、自分はもっとがんばろうと奮起するだろう。そうすれば、一万歩でも何万歩でも歩いていける気がした。 唇の上を自分のものではない温もりがひゅっと掠めていくのを感じて、目蓋を閉じた世界で真澄は強く思った。大丈夫、あたしはシルヴィオとならどこまででも行ける。 「はいはい、そこまでよ」 パンパン、と、鼓膜を破るかのような破裂音が響く。 真澄がはっと目を見開くと、シルヴィオの顔があとほんの少しでくっつくところだった。 しかし真澄はそれよりも、足元がふわりと優しく沈み込んでいる感覚や、今まで身を取り巻くように漂っていた土や砂などの埃っぽい臭いが一切消えていることに疑問を持った。 「……あ、れ?」 「ここは……」 どうやらシルヴィオもこの異常に気づいたようで、周囲を驚嘆の瞳で見回した。 真澄とシルヴィオは一瞬のうちに元のシルヴィオの部屋に戻っていて、しかも洞窟に放り込まれる前と同じ姿勢でソファに座っていた。 ただ違う箇所はと言えば、互いに見つめ合うようにして座っていることくらいだろうか。 「あなたたちのやりとりは始終見せてもらったわ。その覚悟もね。私が言うことはもうないわ」 ふう、と、息をついて観念した母の様子に、真澄はいくらか遅れてその言葉が意味するところを理解した。 「えっ、それじゃあ」 「けれど真澄、あなた一度元の世界に戻りなさい」 喜ぼうとした刹那、一気に出鼻を挫かれた気がして真澄はがくりと肩を落とす。 「ど、どういうこと?」 「あなたはまだ平民と同格、それかこの国の文化に関しては平民以下なのよ。加えて王室の作法も一切知らないなんて、そんな未熟な人間に王妃が務まるとでも思っているの」 「……思ってないです」 「そう。よかったわ」 よくよく考えてみれば母の指摘する通りだった。 ラルコエドの文化は元より、ガラヴァルに関する伝承の類への知識もそうだ。それに、自分はまだこの世界にきてたったの一ヶ月足らずしか生活を送っていない。知っていることよりも知らないことのほうが断然多いだろう。 「高校だって、まだきちんと終えてないでしょう。しっかりと教養を身につけてからではないと、とてもじゃあないけれど手放しであなたを送り出せないわ。私だってこれでも王家の教育を受けた側、それを娘に仕込むくらいは造作もないことよ」 「エディルネ様、教育係ならこちらでつけます」 「いいえ、王。これは本来なら嫁がせる側の責務です」 一応「王」と口にしてはいるが、臆することなくぴしゃりとシルヴィオの言葉を遮る母の姿に、どこかこの王家の人間らしい潔さを感じる。 すると母は、真澄とシルヴィオの前にぴっと二本の指を立てて言った。 「あと二年よ。真澄が高校を卒業して十分に素養を身につけて、そのときになってもお互いに気持ちが変わらないのなら、仕様がないわね。私も認めるわ」 途端に、真澄はそろそろと隣にいるシルヴィオの顔を窺った。 「シルヴィオ……大丈夫?」 「なにがだ」 「あと二年って、ただでさえ晩婚って噂されてるのに……さらに晩婚になっ」 「冷やかしてんのか?」 真澄とシルヴィオのいつものやりとりに、初めはくすくすと笑うだけだった母は、しばらくすると真面目な顔をして申し訳なさそうに言った。 「でも王、それはとても重要なことです。世継ぎをもうける機会は、あと数年ないと言っても過言ではないのですよ」 「そもそも、真澄がいなければ今後誰かを傍に置くと言うこともなかったでしょう。真澄以外の女に興味はありません」 「……あらあら」 シルヴィオがこれほどまでにはっきりとした答えを返してくると思っていなかったのか、母はやや瞳を丸くさせた。 けれどすぐに、ふっ、と、いつも通りの柔和な笑みを浮かべる。 「じゃあ決まりね。そうそう、一応名目はあなたの教育のためだけれど、あなたが一度元の世界に帰るのにはもう一つちゃんとした理由があるのよ」 「え?」 「なによりも、お父さんが真澄を恋しがって日がな嘆いていてね。彼は私と違って次元渡りはできないのに、私が今日こうして真澄を迎えに行こうとするときも泣いて追い縋ってくるくらいだったもの……。でもね、昔はほんっとうに恰好よかったのよー!」 真澄も知らない昔になにがあったのかは詳しく知らないが、母の父に対するイメージと言うものは大分かつての栄光で補正されている気がする。 真澄は、年甲斐もなく母にしがみついている父の姿を想像して少し不憫になった。 異国からきた伴侶が突然その国に戻ると言い出せば、恐らく日本人的には、「実家に帰らせていただきます」の意味合いで捉えてしまっているに違いない。 「だから真澄、ちゃんとわけを話して慰めてちょうだい。真剣に話せばお父さんも分かってくれるわ」 真澄は無言のまま首を縦に振った。 「私はもうこの国に戻るつもりはないわ。でも、それは真澄、あなただって同じよ。だからね、空港もない遠い異国の地に嫁入りすると思えばいいのよ。そうすればお互いに幸せに暮らせるでしょう」 「でもあたしがこの世界に留まって、それで世界全体に変な影響を及ぼしたりとか……しない? あたしがここに来たせいで、この世界がおかしくなっちゃうかもしれないって、ずっとずっと考えてるの。この前の、フロール国との大戦みたいに」 真澄は、これまでひっそりと胸の内に抱いていた悩みを漏らした。 それはいくらシルヴィオにここにいてほしいと言われてもなかなか決断できなかった、真澄にとってはこの国に残るための最後の足枷だった。 もし自分の存在如何がこの国、果てはこの世界全体に影響を及ぼすのなら、最悪真澄はシルヴィオと離れることも決心していた。 自分の知らないところで見ず知らずの他人が被害を被ることだけは避けたい。周囲を犠牲にしてまで、自分一人の幸せを獲得しようとは思わない。そもそも、これから一国を率いる人間の配偶者になるにあたって、大衆のことを考えられない王妃など相応しくないだろう。 真澄の問いに、母は少し考え込む素振りを見せたあとで、さらりと言ってのけた。 「一人くらいいいんじゃないかしら? それに、ほら、私が向こうの世界で真澄がこっちの世界にいることになるわけでしょう? 結果的に人員の総量はプラスマイナスゼロだわ、問題ないわよ」 長い間悩んできたことをものの二言、三言で簡単に片づけられて、真澄は拍子抜けした。 隣に座っているシルヴィオも、なんだか解せないような顔をしているのが面白い。 「それにね、自分がいて“どうなるか”より、自分が“どうするか”のほうがよっぽど大切だわ。王妃になったら、泣き言なんて一切許されないわよ」 そう言うものなのだろうか。 真澄が心中落ち着かない気分であることを察しているのかいないのか、それにしてもまさか真澄がラルコエドの王妃になるなんて。と、零しながら、母は本日何度目かの溜め息をつく。 しかし、今まですっかり忘れていたが、シルヴィオでも自分でもない第三者に婚姻のことを問われるとどうにも現実味が増してくる。同時に、ああ、あたしはもう結婚するのかと、妙に他人事のような感慨に耽ってしまう。 恐らく、自分は日本でもかなり早い部類の嫁入りを果たすのだろう。いや、ラルコエドに戻ってくるのは二年後、十八歳のときになるからそうでもないのか? とりあえず高校を卒業して結婚と言うのはほぼ間違いなかった。シルヴィオに飽きられない限りは、だが。 一方で、真澄のシルヴィオに対する気持ちはどうなのかと問われれば、その空いた二年の月日に、自分でも驚くくらい不安を抱いてはいなかった。シルヴィオの隣に立つためであれば、努力して、シルヴィオに見合う人間に成長しなければと、その二年をむしろ試練のようなものだと感じていた。 がんばらなければ。しかし、真澄が決意を新たに固めたそのとき、タイミングを同一にして、それまでの静寂を破って、バン、と扉が開け放たれた。 広さと豪華さで他の追随を許さないはずのシルヴィオの部屋に、大音声が木霊する。 「エディルネ様ー!」 目にいっぱいの涙を溜めて、まるで迷子になった子供が母親を見つけたかのような必死さで、シルヴィオの部屋に駆け込んできたその人はアネルだった。 なぜアネルがここに、と疑うより早く、そう言えばと真澄は思い出した。アネルは自分にエディルネの詳細を教えてくれた張本人だった。 「あら、もしかしたらアネルせんせ?」 「おお! 噂通り、誠に……誠にエディルネ様ではないですか! この老いぼれ、死ぬ間際に再びエディルネ様に相見えることができるなど……!」 「嫌だわ、ちょっとお年を召されたのかしら。育毛剤をお使いになります? せんせ」 ついさっきまで会っていたかのような飄々とした態度の母に対し、アネルのそれはもはや病的だ。 きっと侍女の誰かから、エディルネがシルヴィオの部屋にいることを聞いて駆けつけたのだろう。 しかし、死んだと思っていたはずの人間が生きていて、しかも再び城内に姿を現したアネルの気持ちを考えると、その異常なまでの興奮も理解できなくはない――気がした。 「では話もまとまったことだし、私はそろそろお父様にご挨拶してくるわ。それと王、客間を一室いただけないかしら?」 「はい、それは構いませんが」 いっそ錯乱状態と形容したほうが適当なアネルを落ち着かせながら、母は振り返りざまにシルヴィオに問うた。 けれど、ここにきてなぜ客間を所望するのかとでも言いたげな、シルヴィオの不思議そうな反応を読み取ったのか、母は、ああ、と、頷いてからつけ加えた。 「いくら私であっても次元渡りをすると疲れるのよ。だから、三日の猶予、ね」 未だに感涙で咽び泣くアネルと、扉の向こうに控えていた侍女とを引き連れて、母は銀髪を靡かせながら颯爽と部屋を立ち去っていった。 もしかしなくとも、母は自分たちのことを気遣ってくれたのだろうか。 真澄は母やアネルが消えた扉を見つめて、遅れ馳せながら去り際の母の言葉の意味を考えた。 部屋にシルヴィオとともにぽつりと残されて、先刻までとは打って変わって訪れた静けさに、真澄はまったくなにを話せばいいのか分からなかった。 様々な人物が入れ替わり立ち替わり現れたためか。それとも、話し合いの最中に狭くて終わりの見えない洞窟で生死を賭けたアドベンチャーを繰り広げていたためか。 だが、主な理由はなんにせよ、短時間にあまりにも多くの出来事が立て続けに起こり、それらに大いに振り回されたことだけは事実だった。本当に疲れた。真澄はげんなりと顔を曇らせた。 そうして気分転換にと視線を移した窓の外に、ふと、真澄は視線を奪われた。 母の登場が強烈だったのと部屋が薄暗かったのもあって、今まで気づかなかった。窓から入ってくる光は、今日の空の青色を反射して幻想的だった。 この透き通るような空の青も、窓辺から見える城の入り組んだ様子も、空中庭園から見下ろす街の風景も、ここで目にしてきたすべての景色を、あたしは三日後には忘れてしまう。そう考えた瞬間、どうしようもなく胸がつまった。 「シルヴィオ」 シルヴィオの隣にいたい、と思った。 ずっとずっと、顔も姿も見飽きてうんざりしてしまうくらい、シルヴィオの傍で今までの生活を繰り返していたいと思った。 けれどその願望を口に出した瞬間、自分の中にある決意が揺らいでしまいそうな気がした。ゆえに、真澄は別の話題を出した。 「……なんだよ」 「一つ、聞いてもいい?」 「ああ」 「シルヴィオとあたしってさ、その、イトコ……ってこと?」 「厳密には異なるだろうがそうなるな」 真澄は、窓辺からシルヴィオのつんと澄ました横顔に視線を移した。 「……こんなイトコがいるなんて聞いてない」 「奇遇だな。俺もだ」 「なんでこんなに似てないの?」 「知るか」 もし、運命が異なっていたら、自分はこのシルヴィオ率いるキア王家に組み込まれていたのだろうか。 そこまで考えて、それはないか、と、真澄は瞬時に思い直した。父親は日本人だ。 「だが、お前が誰だろうとどこにいようと、俺はお前を見つけていた。この結果には変わりない」 シルヴィオの腕が伸びてきて、真澄の腰に回る。 そうして強く引き寄せられたそのまま、真澄はぎゅっと、シルヴィオの頭を抱え込むようにして抱きしめた。 「あたしの世界は知ってる。あたしが、ここにいちゃいけないのかもしれない。この世界に余計な知識を与えて、この世界を狂わせてしまうのかもしれない」 ラルコエド国は、驚くほど真澄の世界の数百年前と似た体裁を装っている。 きっと、今後ラルコエド含め周辺諸国が辿っていく国の歴史は、真澄の世界と酷似したものになるだろう。 戦乱の渦中にある国に嫁ぐことを周囲の人間は嘲笑うだろうか。わざわざ命を見捨てているようなものだと、批判を受けるだろうか。 けれど。これからどうなるかを知っているあたしだからこそ。 「でも、シルヴィオが夜道を歩くことになったら、あたしはその道を照らしてあげる。あたしが、もう一人のシルヴィオになってあげる」 それでも自分が選んだこの未来に後悔はない。 背に回るシルヴィオの腕に、いっそう強い力が込められる。 シルヴィオが今抱いているであろう感情と同じくらいの想いを込めて、うっかり取り零してしまうことのないよう、真澄はしっかりとその温もりを引き寄せた。 BACK/TOP/NEXT 2012/05/25 |