Edirne -02 なぜシルヴィオが「ここ」にいるのか? 真澄は驚きのあまり二の句が継げなかった。 繊細で眩しい銀髪、偉そうなまでに装飾の施された衣服、それになによりもその不機嫌そうな銀の瞳はシルヴィオその人だ。どうあっても間違えようがない。 ただこのときばかりは、いつもは鋭い彼のその瞳は、珍しく真澄と同じような驚きでやや見開かれていたのだが。 「な、なんで、シルヴィオが……」 隣にはまだ母がいる。ならばなぜ、いつ、どうやって、シルヴィオはこちらの世界に介入してきたと言うのか。 真澄がすっかり混乱して、そしてなぜかシルヴィオまでもが戸口に立ったまま動かないでいる最中、しかしふと鼻を突いた周囲の匂いに真澄は違和感を覚えてはっとした。 (――あ、れ?) 真澄は恐る恐る辺りを見回して、気づいた。 違う、ここは日本ではない。真澄の額をつっと冷や汗が流れた。自分は元の世界に戻ったわけではなかった。ここは、まだ「ラルコエド国」だ。 いつしかの、ラルコエド国とフロール国が対峙した戦場において、ガラヴァルの存在を認めたときと似た感情が胸の奥から沸き起こってきた。気づきたくないものに無理矢理気づかされたような嫌な空気が、真澄の喉元を通ってすとんと胃に落ちていった。 なにせここは自分の部屋なのだ。六畳フローリング張りの、こまごまとした生活用品が並ぶ狭い一女子高生の部屋ではない。再びラルコエド城に戻った自分に勿体なくもあてがわれた、シルヴィオの隣室にある自分用のだだっ広い部屋だ。 待て、整理しよう。真澄はふるふると小刻みに震え出した手を、混乱でショート寸前の頭に当てた。 ここは紛れもなくラルコエド城、と言うことはつまり、現在自分はラルコエド国にいると言うことになる。この場にシルヴィオも立ち会っているのがその証だ。しかし――と、真澄は視線の先を今もなおベッドの横の人物に移そうとした。 この世界にそぐわない人間が一人だけいる。彼女の存在によって、この現実への理解が破綻しているのだ。 まさか彼女は母の偽物なのか? だがいったい、なんのために? 「あなた、もしかして……シルヴィオ?」 しかし真澄がまじまじとその姿を注視するより早く、女はすっくと立ち上がると、扉を開けたまま動かなかったシルヴィオの元に小走りで駆け寄った。 「そうでしょう? シルヴィオでしょう? だってこの髪の銀色、ああ、クラウス様にそっくりだわ。『銀の子』、シルヴィオ。こんなに大きくなって」 「……は?」 真澄はぱたぱたとシルヴィオの傍に駆け寄った己の母の姿を追って、ぽかんと口を半開きにさせた。何事にも強気な姿勢を取るシルヴィオまでもがこのとき及び腰になっているのが可笑しかった、が、問題はそこではない。 今母はなんと口走ったのか? 真澄は自分の耳を疑った。 「でも顔立ちはオーガスタそっくりね。今おいくつ?」 「……十、八」 「まあまあ、本当に凛々しいこと。オーガスタもこんなに立派な王子を産んで幸せねえ」 ふふふ、と女が笑う。そのうしろで真澄は信じられない気持ちでいたが、ややあってから一人拳をぐっと握りしめて確信した。 魔術が語られる世界のことだ、あり得ない話ではないだろう。容姿は似ているものの、これは自分の母などではない、赤の他人だ。 しかしそう考えると途端に次の疑問が降りかかってきた。どうして女は先程自分の名を呼んだのか、そしてその外見はどうやって取り繕ったのか、なぜ自分の母の容姿を真似る必要性があったのか、思いつくままに挙げてもキリがない。 「……母を、知っているんですか」 「ええ、もちろん。他国から嫁いできたオーガスタはそれはそれは可愛らしくて、クラウス様は本当にオーガスタに夢中だったのよ。懐かしいわ。そうそう、クラウス様とオーガスタはお元気?」 「どちらも死にました」 「あら、そうなの……。殉死?」 「父がそうです。母は俺が幼いときに病で」 「そう……」 シルヴィオと母の姿をした女は哀しげな表情をしながらもなにやら話を続けている。 真澄は女に気づかれないよう、寝巻姿のままそっとベッドから抜け出した。 なんとかしてシルヴィオから女を離さなければと思った。なにせその女は自分の母の姿を模る得体の知れない人物なのだ。聞けばこれまでに幾度となくシルヴィオは命を狙われてきたと言う、その可能性は十分に考えられた。 シルヴィオは自分の身近な人間を知っていると言う安心感からか、今はいつも以上に無防備な態勢を取っている。 なぜこんなときに限って心を許すのだ。真澄は歯痒かった。 「それで、貴女は?」 しかし真澄がシルヴィオにサインを送ろうとした寸前、何気なく発せられたシルヴィオの確信を突いた質問に、真澄はぎくりとして立ち止まった。 まずい。彼女を刺激してはいけない。 「ああ、そうそう。名乗るのを忘れていたわ」 だが女はなんでもないことのようにさらりとそう言うと、真澄のほうを振り返ってにこりと笑んだ。 「私は真澄の母よ……ね、真澄?」 BACK/TOP/NEXT 2011/11/27 |