Wahrheit -07 ――カラス、なぜ鳴くの。カラスの勝手でしょ。 何段もの長い長い階段を軽快な足取りで上っていた真澄は、そこまで歌ってから、はて、と小首を傾げた。 あまりにも替え歌のインパクトが強烈だったためか、いつの間にか本当の歌詞を忘れている自分に気づいたのだ。 本当の歌詞はなんだったっけ。いくら思い出そうとしても、替え歌の歌詞ばかりがぽんぽんと頭に浮かんでくる。 (ま……いいか) 忘れてしまったものは仕方がない。それにどうせあとでふとした拍子に思い出すだろう。 ならば悠長にその時を待とうと、真澄は両手で抱えている白いプレートいっぱいに盛られたケーキを落とさないよう、慎重に階段の最後の一段を上り切った。 階段の近くには城の出入り口付近を見下ろせるいい雰囲気のテラスがあるが、今日用事があるのはそこではない。 真澄はテラスがある方とは反対の廊下を進んだ。 「……カーラースー」 なぜ鳴くの。そのとき、真澄の脳裏にガラヴァルの、少年の姿と黒い羽を持つ姿とが交互に蘇ってきた。 なぜ? なぜ? ああ、そうね、それはきっと。きっと。 真澄はふと歌うのをやめると、今度はハミングでメロディを取りながら、どこまでも伸びる廊下の先へと進んだ。 そうして長すぎる廊下の果てに真澄を出迎えてくれたのは、一枚の大きな両開きの扉だった。 ケーキの盛られたプレートを器用に左手だけで支えると、空いた右の手で扉の取っ手を掴んで押し開ける。 鍵がかかっていなかった扉は、ギイと軋んだ音を立てて簡単に開いた。 次第に開いていく扉の隙間から、相も変わらず感嘆してしまうほど美しい王族専用の庭園の風景が広がっていく。 晴天だ、しかも今日は気持ちのいい風が吹いている。 真澄は庭園へ続く扉を開けたそのまま、しばらく風に乗ってやってくる花の香りに陶酔してしまっていた。だがすぐにはっと我に返ると扉を元通りに閉め、扉近くに設けられていたウッドデッキを足早に通り過ぎ、庭の中へ足を踏み入れた。 数多の花々が揺れているこの色彩豊かな中に、白い華奢なプレートと可愛いサイズのケーキはまるで絵本の中のような光景だなと、手元を見下ろしながら真澄はにんまりと笑んだ。 以前は走った所為か、庭園の外側をぐるりと囲んでいる石塀のある場所まで辿り着くのには、大分時間がかかってしまった。 「完璧! どこも崩れてない!」 地上数十メートルは軽いであろう絶景の位置にある石塀の上に静かにプレートを置いたあと、真澄は一人で馬鹿みたいにはしゃいだ。 だが仕方がない。調理場の人の好意でもらってきたケーキの山は、途中で何度も崩れるのではないかと冷や冷やしていたのだ。 真澄はプレートを置いた横の石塀にもたれかかって、少しの間ラルコエドの雄大な風景を堪能したあと、なんとなくケーキに手を伸ばした。 ぱくり、と、一口で頬張る。途端に口の中にじんわりと甘みが広がった。 まるでピクニックにでも来たみたいだ。城の上部にあるこの庭園から見下ろす王都やその向こうはとても小さく、けれど言葉で言い表せないほど美しかった。 真澄は口の中に残っていたケーキの塊をごくりと飲み込んだ。 それから次のケーキを取ろうかとも思ったが、一瞬躊躇って手は出さなかった。出せなかった。 「……あたしをここに来させたのって、あなたなんでしょ」 完璧に無人の空へ向かって呟かれたはずの真澄の一言に、周囲の空間がほんの一度だけ大きくざわめく。 それは真澄が今までずっと思っていた肝心なことであった。 真澄は言ってから数秒後、ちら、と、ケーキの盛られたプレートの方を見た。プレートを挟んで、真澄の反対側にはいつの間にか一人の長い黒髪を持つ少年がいた。 彼はただ石塀の上に腰をかけ、それも外に向かって足を組み、淡々とラルコエドの広大な国土を眺めるように口を閉じている。 真澄は石塀の上に両腕を載せたまま、彼の澄ました横顔をじっと見つめた。 ガラヴァルと会うのは、先日どこかの平原においてフロール国との対峙中に、彼の名前を呼んだとき以来のことだ。 あれは今回顧してみても、人生史上最も背筋が凍る思い出ナンバーワンに君臨したくらいショッキングな出来事だった。 ゆえにここで普通に会話をしてもいいものか戸惑ったが、結局自分やシルヴィオ、それにこの国も助かった。難癖をつける部分がないならば日本人お得意の水に流す作戦の見せどころだと、真澄はあえて彼に突っかかるようなことはしまいと決めた。 「気づいておったのか」 「途中からね」 食べる? そう言って真澄が差し出したケーキの盛られた皿を、ガラヴァルは片手で制した。 真澄は一人でケーキを頬張った。その間、どちらもなにも言わなかったので風の吹く音だけが強く聞こえてきた。 真澄は食べながら、次に彼に訊きたい事柄を頭の中で慎重に選んだ。そしてその事柄が一秒も経たずに決まったとき、再び真澄はケーキの大きな塊を丸呑みした。 「……なんで、あたしだったの」 言いたいことが抜けている気がしたが、今のこの状況ではこちらがなにを言いたいのかが分かっているだろうと言う確信があった。 ガラヴァルが口を真一文字に結んだままこちらを振り返る。かと思えば、また無愛想に外の方に顔を戻した。 「簡単だ。そなたが我の呼びかけに応えたからだ、それ以上でも以下でもない」 「してない、そんなこと」 「ならば無意識のうちだったのだろう。なにせ最初に会ったときから思っていたが、真澄、そなたは微力な魔力を持ちながらそれを垂れ流しにしているからな」 真澄はこのとき、この世界で目を瞬く前のバスルームで、夜の静寂の中カラスの鳴き声が聞こえてきたことを思い出した。 「……じゃあ、無意識でも応えたら、誰でもよかったの?」 「そうだ」 「無意識なのに?」 「『贄』が来るのなら誰でもよい」 真澄は突然出された「贄」と言う聞き慣れない単語に、しばし戸惑ったあとで眉を顰めた。 「『贄』って、なに?」 「文字通りそのままの意味だ。……ああ、逸話を知っておるか? ラルコエドが国となってすぐに起こった危機の話だ。ラルコエドが敵の手中に落ちそうになった際、異国の人間がどこからともなく突如として現れ、我と意思疎通を図ってラルコエドの平穏が保たれたと言う一件が今もこの国で語り継がれておってな」 「あ、それはアネル先生から聞いた」 「では質そう。我との意思疎通の果て、その異人がラルコエドを守るために取った手段とは?」 「……知らないって、アネル先生は言ってた。誰も分からないって」 ガラヴァルは面白いものでも見たかのように、口の端を心持ち上に持ち上げた。 「やつらは薄々勘づいているだろうに、真澄には言わぬか」 ガラヴァルの長い黒髪が、正面から吹いてきた風に誘われ繊細に宙を舞う。 一本一本が勝手な動きをもって周囲にたゆたうその中で、乱れるそれらの髪を気にも留めず、彼はゆっくりと真澄の方を向いた。 彼のこちらを見据える黒い瞳の奥からは、とてもこの世のものとは思えない冷たさが感じられた。 「有事において我と意思疎通を図る、つまり我の名を呼ぶことで我の駒となる人間、それが贄だ」 直球で堂々と言い渡された所為か、その言葉の意味するものがすぐには理解できずに真澄は黙った。 頭の中のどこかの回路が、膨大な情報量にショートしてしまったようだった。 要するに、あの場で迫られて名前を呼んでしまった自分は、自覚する以前にガラヴァルの贄になっていたと言うことか。 しばらくしてからようやく真澄が飲み込めたのは、自分はこの国を守るためわざわざ違う世界から引き寄せられ、ラルコエドの人々に贄の存在を黙秘された挙句救世主と言う名の贄にまで仕立て上げられたと言う、最も考えたくないことであった。 だがそうなると一つおかしいのではないか? このとき真澄は突然、あれ、と思うことを見つけて、深く落ち込むのを免れた。 「でもあたしの命、取らなかった」 「取った方がよかったか?」 「ううん」 真澄が即答すると、ガラヴァルは嫌々と言う表情を作り、軽く肩を竦めてみせた。 「今回見返りにその身を求めたのは、あれはそなたの身の保証はできぬと言う意味だ。敵側に放り込むのだからな、そこで見せしめに身を切り捨てられても文句は言えぬだろう」 「でも、最終的には助けてくれたんでしょ?」 「我を誰だと思っている」 紛うことなきカミサマです。真澄は心の中で恭しく答えてから、石塀の上に載せてあった腕に顔を埋めた。 胸が、ひたすらに痛かった。それは嬉しいのではなく、ほっとしたのでもなく、もっと複雑に絡み合った感情がどっと胸の中になだれ込んできて、その所為で苦しかった。 もしガラヴァルの呼びかけとやらに応えなければ自分はこんなひどい目に遭わなかったのかもしれない。 けれどなぜか、ガラヴァルの助けがあって今自分がこの場に立っていられることが、この上なく幸せなことだと感じていた。 とうとう自分もこの神に洗脳されてしまったか。そんな自嘲めいたことを考えてみても、この興奮は収まってはくれなかった。 真澄は次の瞬間、がばっと顔を上げると、横にあったケーキの山を上から無造作に掴み一心に口元へと運び始めた。 ガラヴァルの、こいつどこかおかしいんじゃないか? 平気なのか? とでも言いたげな視線はやりすごした。 だが口に入れたケーキの数が五個を超えたところで初めて、胸の中にどっと押し寄せてきた感情はケーキに混じってすとんと胃の中へ下っていった。 ふう、と、真澄が勝手に一息つく傍で、ガラヴァルは未だにその場に留まっていた。 もしかしたら一度でも絶体絶命の災厄に見舞われた自分を、望まずに「贄」となった自分を彼は慰めてくれているのだろうか。 だいたいそんなことを考えていた真澄は、気分が落ちついた所為もあってか、こればっかりは言っておかなければ寝覚めが悪いであろうことを思い出した。 「聞いたよ。ガラヴァルが、シルヴィオもこの国も守ってくれたって」 これはあとになってシルヴィオから聞いたことだ。 あとと言っても、真澄はつい昨日、王都の花屋からこの城に戻ってきたばかりだった。 ゆえにどうやってシルヴィオは敵の刃から逃れたのか、なぜラルコエドがフロールの侵略を回避できたのか、そして真澄の気を失った回数が多かったので、どこまでが現実に起こったことなのかをシルヴィオの言い分と照らし合わせて現実を現実にする作業のため、真澄とそれに付き合わされたシルヴィオは昨夜から今朝まで一睡もしていなかった。 お陰で今朝寝不足のシルヴィオに何回目だろうかと思うほどの溜め息をつかれてしまったが、それは今はどうでもいい。 その結果、自分が気を失っていた最中になにが起こっていたのかの真相究明と、どうやらこれらの裏にガラヴァルの姿があったことに真澄は気づくことができたのだ。 ようやく心の中で燻っていたもやもやが解消された。それはまさに天にも昇る爽快感だった。 シルヴィオが証言するに、彼が敵側に捕まり、真澄がどこかへ連行されそうになったところまでは本当とのことだった。 そもそもシルヴィオが敵に捕縛された理由が、攻撃態勢に入ったばかりの敵陣営のド真ん中へ突然気を失ったまま落ちてきた真澄(恐らくガラヴァルの仕業であろう)を人質に捕られたからだそうで、この部分は三日三晩寝込んだときに見た悪夢の通りで、なにやら寒気がする。 真澄がラルコエド国側の人間だと発覚したのは、真澄が持っていたシルヴィオの母の形見である紅の入れ物に、ラルコエドの紋章が入っていたからではないかとシルヴィオは推測していた。 つまりガラヴァルは真澄の「誰も傷つけずに戦争に決着をつける」と言う望みを、ラルコエド側にいる真澄自身を相手側に人質として放り込み、一時の休戦体制に持ち込むことで叶えようとしたのだ。 そしてその後、真澄の記憶にもあった通りシルヴィオの首が刎ねられると言うまさにそのとき、シルヴィオと処刑人との間に割って入ったのがガラヴァルだった。 シルヴィオはそれがよもや、神の化身であるガラヴァルだとは知らない。ガラヴァルの服装はラルコエド国軍と似通った服装であるが、なによりも黒くて長い髪と言う稀な容姿の兵はいないのだ。 なんとなくこのことを言ってはいけない気がして、今でも真澄はシルヴィオにガラヴァルのことを告げてはいなかった。 よって、シルヴィオは寸でのところで現れ敵の刃を受け止めた少年が、初めは敵なのか味方なのか見当がつかなかったらしい。 しかし少年が敵の刃を難なく、それも軽々と弾き返したこと。また、あっという間に辺りに群がっていたフロール国軍の兵たちの剣を受け流すばかりでなく、自らの剣の柄をもって彼らの鳩尾や背などを打ち据えることで、すぐには立てなくさせて的確に敵のやる気を削いでいったこと。 さらに、未だに両腕を縛り上げられて地に這いつくばっていたシルヴィオに向かって、 ――立て。ラルコエドの国王ともあろう者がおめおめと地面に伏せっているなど見苦しい。 と、忌憚なく、むしろ横柄な態度で言ってのけたことに対し、シルヴィオは、「これはラルコエドの人間でなくていったいどこの国の人間だと言うのだ、素晴らしい!」と感嘆したのだと、昨夜、それはそれは力強く語っていた。 正直な感想を言おう。シルヴィオのこの言葉には、真澄は一瞬自分の耳を疑った。 だがそんなこんなで、ガラヴァルが単独の敵陣突破でありながら優勢を極めると同時に、すっかり気の緩んでいたフロール陣営に突如押し寄せてきたラルコエド国軍に恐れ慄いて、フロール側は慌てて撤退を始めた。 それと言うのも、シルヴィオが真澄の身の引き渡しをめぐってフロール国とに交渉する間は、ラルコエド国軍は沈黙を守ると言う約束の下で後方に待機していたのだが、これもまたガラヴァルが吹聴したであろう国王の現在の危機的状況が軍内部に瞬く間に広まるや否や、ラルコエド国軍は即座に臨戦態勢に移った。 その結果、ガラヴァルと軍による二段構えの意表を突く奇襲作戦は成功したらしかった。 フロール国軍は即座に撤収、のちにラルコエド国に降伏の意を申し入れてきた。 これが、真澄が気絶や覚醒を繰り返していた最中に起こった一部始終である。 主にガラヴァルの思惑のままに事が運んでいたにすぎないのだが、ラルコエドの人々は自分たちの功績だと思っている。しかし真澄はあえてそこを訂正しようとは思ってはいない。 以下は余談であるが、シルヴィオがガラヴァルの剣に助けられて縄から逃れた際、逃げ惑うフロール国の兵士のどこを探しても真澄の姿だけはぽっかり抜け落ちてしまっていたそうだ。 さらに真澄は城にも戻ってもどこにもおらず、かくしてあの布令が国内に向けて出されたらしい。 ここまで整理すると、いかに自分の存在が本当に「贄」それだけだったのだと痛感させられる。 いや、既に安全の身となった今だからこそ「贄」を軽視できるとも言えるのだろう。 だがそれを考慮しても、ガラヴァルの成し遂げた偉業は、自分に置き換えてみるとたちどころに足が竦んで恐怖してしまいそうになることばかりだった。 「今シルヴィオが探してるよ。あの窮地で助けてくれた剣士、って、それ多分ガラヴァルのことだろうけど」 手が届きそうなほど近くに撒かれた青い天の海が、庭園の上空を越えてどこまでも続く。 その雄大な風景を茫漠と視界に留めながら、真澄はプレートの上からまた一つ、ケーキを摘まみながら言った。 「詳しくは知らないけど、結構上位の階級と賞与をくれるんだって。もらわないの?」 「そう言うのは人間の欲が成すことだ。我は神だ、そのようなもの要らぬ」 真澄がなんだか解せない表情をしていると、ガラヴァルは鼻を鳴らして嘲笑った。 「神は気まぐれでな。助けるも助けないも気分次第、地をひっくり返そうと思えばそのようになる。すべてを持っておるのだ。そんなところで今更人の世でしか通じぬ地位や名誉を手にしてどうしろと? 人間と同等となった神に誰がいかなる恐れを抱くと言うのか?」 一気に正論をたたみかけられて、真澄は思わず面食らった。 その傍でガラヴァルはその黒い瞳を伏せると、数秒後、ふっと鼻で笑うような仕草を見せた。 「それでは神の面をした浅ましき人間にすぎぬな。神は人間の知識などとても及ばぬ場所に君臨し尊いからこそ神であり得るのだ」 びゅう、と、そのとき一際強い風が吹き荒れて、真澄とガラヴァルの髪や衣服を乱暴にはためかせた。 顔はそのままの位置にして、ガラヴァルの真っ黒な瞳だけが、すうと滑らかに動いて横にいる真澄を見据える。 「何故人間がいくら時を経ようとどれほど知恵を得ようと神の地位へ到達せぬか、分かるか?」 真澄は少し考えてから、無言で首を横に振った。 「人間は所詮人間だ。なぜなら人間は失敗をする。神には失敗などない、思うが儘よ」 この瞬間、真澄は自分の身体を頭の天辺から下まで真っ直ぐに貫くものがあるのを感じた。 それはどこか雷のような、瞬間的で強い衝撃に似ていた。 ガラヴァルには何年、たとえ何万年あったとしても近づけない。いや、むしろ近づこうと言う気さえ起こしてはくれないだろう。 それほどまでに、このときガラヴァルが見せた威厳と行動は真澄にとって眩しいもの以外の何物でもなかった。 いっそ眩しすぎて触れようとも思えない。ああ、これが彼の国ラルコエドを守り切った「神」か。真澄はこの瞬間、妙に納得した。 その「神」に今まで自分がしてきたことを思い出すと鳥肌が立ってくるような気もするが、今は気に留めないでおこう。 すいませんでしたーァ! と、体育会系の人間よろしく威勢よく叫んで土下座したい衝動も、今は辛うじて抑えよう。 やはりもう少し丁重に扱うべきなのだろうか。 だが彼のその幼い外見が先行するのか、それともその内面から滲み出る雰囲気の影響なのか、真澄はガラヴァルを目の前にするとつい微笑んでしまうのだ。 あ、また現れた、と言う風に、うっかりしていると知り合いが訪れた感覚で接してしまいそうになる。 だからこそ、このときの真澄はこんな行動を取ってしまったのだろう。 「ありがと」 真澄はそう小さく呟いてから、石塀の上に大きく身を乗り出し、ガラヴァルの頬に軽く口づけた。 すると今まで澄ますか偉そうに笑むかのどっちかだったガラヴァルの顔は、こちらをぱっと振り返るなり一気に赤くなった。 「……っ!」 ほんの挨拶、と言うか冗談のつもりだったのだが、まるで中学生男子のような初々しい反応を見せたガラヴァルに、逆に真澄は焦った。 ガラヴァルはこちらを向いたその一連の動きのまま、逃げるようにして座っていた石塀から庭園の外に向かって飛び降りた。 それはほんの数秒間の出来事だった。 しかし庭園の外と言えば下までは直行便、それに何十メートルもの高さがある。かつて真澄自身も落ちかけた際に多くの恐怖を味わったところだ。落ちたら最後、ひとたまりもない。 真澄は急いで石塀に大きく身を預けて城の下を覗き込んだ。 するとちょうどそのとき、一羽の黒い羽を持った鳥が城の下部から躍り出たかと思うと、真澄の顔面すれすれを掠めてから天に向かって勢いよく上昇していった。 「ビックリした……」 突然の鳥の出現に、真澄は驚いたあまり庭園の上にすっかり尻餅をついてしまった。 真澄が唖然としたままなにも言えないでいると、青空の中を旋回する一羽の鳥の姿が再び視界に入った。 その姿を認めた真澄は誘われるようにゆっくりと上体を起こすと、また石塀にもたれかかった。 いつも以上にゆるやかで穏やかな風がそろりと優しく真澄の頬を撫でた。 それってもしかしてあたしへの仕返し? 真澄は考えてから、すぐにぷっと吹き出した。いくらなんでもそれは子供染みているか。 (……あ) 真澄はその黒い姿が点になって、そして周囲に広がる青空に溶け込むまで見つめていて、気づいた。 (元の世界に帰る方法、聞くの忘れた……) ま、いいか。またいつかひょっこり現れるだろう。 真澄はすぐにそう結論づけると、白いプレートの上にあと二、三個しか残っていないケーキに手を伸ばした。 カラス、なぜ鳴くの。さあ、なぜでしょう? 真澄は自分以外誰もいなくなった空中庭園で、変な調子を取りながら、ところどころに勝手な相槌を入れては自分で腹を抱えて笑った。 そうしてケーキがすっかりなくなってしまった白いプレートの向こうに、長い黒髪の少年の姿が戻ってくることは二度となかった。 BACK/TOP/NEXT 2010/11/23 |