重い。なにが重いのかと言うと、この場を取り巻く雰囲気すべてが重くて仕方ない。 真澄は心なしか額につっと冷や汗が流れるのを感じた。 ――お前、自分がなにをしたか分かってるんだろうな? 緊迫した空気が張りつめる中、どこからともなく現れた低い問いかけに真澄は渋々と頷いた。 すると真澄に問うた銀髪の彼は、溜め息交じりに口を開いた。 ――分かってるんなら話は早い。おい、衛兵。こいつを処刑場に連れて行け。 ――はっ!? ――ラルコエド国王を命の危険に晒したとして、お前は即刻『打ち首』だ。 そう言いながら、ぎろりと、銀色の双眸が真澄を見下す。途端に真澄の身体には勢いよく鳥肌が立った。 ――ちょ、待って! そんな、あれはあたしだって巻き込まれたし不可抗力だったし、言いがかり……! ――言語道断。祈るんならあの世で祈るんだな。 こちらの言い分にまったく聞く耳も持たず、彼はにやりと、まるで悪魔のごとく笑う。 やーめーてー。ラルコエド城内にか細く木霊する悲鳴にも耳を貸さず、真澄は数人の巨漢によってずるずると引きずられて行く。ラルコエドの国民が数多集う、公開処刑の舞台へと。 ああ、なんと醜い事件が起こっているのだろうか。 だがそんな神の呟きなど、傲慢な王が支配するこの場に届きはしない。そうして――。 「……高木真澄と言うかくも不憫な少女は、冷酷非道な国王によって命を絶ったのでした」 「ママー! お姫さまが一人でお芝居してるー!」 「付き合ってあげな!」 Wahrheit -04 真澄が目を覚ましたのは、どうやら昼前のことのようだった。 ぐんぐんと空を駆け上がっていった日は、今はちょうど天の真上に位置している。 また今日は雲が一切ないような清々しい天気でもあるので、待ってましたとばかりに外に繰り出した人々は賑やかに街を闊歩した。 だがそんな街の明るい雰囲気に反して、街から壁一枚を隔てたある花屋の一室では驚くほどの静けさが部屋を満たしていた。 その静けさの中で、真澄は一人ベッドの端に腰かけながら、何回か大きく息を吸い込んでは大丈夫なのだと自分に強く言い聞かせる。 根拠はないが、無理矢理にでもそう考えないと気が狂ってしまいそうだった。 どうやら花屋の方が忙しいらしく、先程まで自分の相手をしてくれた女も、彼女の息子である少年も今はこの部屋にいない。 しかしこのときばかりはそれがありがたかった。大袈裟だが、今すぐにでもこれからの自分の運命、もとい生死を決めなくてはいけないと言う博打のような選択は、自分一人でじっくり考えたかった。 恐らく、のこのことラルコエド城に出て行ったところで自分を待ち受けているのは、喜ばしいものではないだろう。 シルヴィオは相当怒っているに違いない。女が言っていた、あの布令の内容がその証拠だ。国内中に呼びかけてまで自分を探し出そうとしている、それはやはり自分になんらかの処罰を下そうと考えているためだ。 そうと分かっていても、真澄はここで何日も躊躇ってはいられなかった。むしろやるべきことを後延ばしにしていたら、ずるずると引きずったままうやむやになってしまう気がした。 「あれ、どうしたの?」 ほんの気分転換のつもりで、真澄が数日寝かされていたベッドを整えたり、部屋の中を整頓したりしていると、花屋の仕事を終えたのか女が部屋の扉から顔を出した。 この瞬間、真澄の心はほぼ決まった。 「あ、はい。あたし、そろそろ行こうかと思って。お世話になりました」 部屋の入り口から顔を覗かせていた女は、途端にぱちぱちと目を瞬いた。 続いて彼女の後ろから、話が聞こえていたのか、少年が驚いた顔でひょこっと顔を出す。 「お姫さん……起きてからまだ数時間しか経ってないじゃないか。平気?」 「そうだよ。もう少しここにいればいいのにー」 ぷう、と、頬を膨らませる少年に和みながら、真澄はえへへと頭を掻いた。 「嫌なことを後延ばしにしてると、そのまま忘れちゃう気がして、怖いんです」 数週間でラルコエド城に馴染んでしまったように、ここに居続けたらきっと離れられなくなる。 そうしたらいつか、自分の仕出かしたことに対して後悔するだろう。 あのときああしていればよかったと、どうしようもない身体中の震えに死ぬまで耐えなければならないだろう。そう、それはまるで、ほんの数時間前まで夢の中で嘆いていた自分のように。 「あの、それで一つ、お願いがあるんですけど……」 「なんだい?」 真澄が申しわけなさそうに口を開くと、女は首を傾げた。 「もしよければ今着せてもらってるこの服、いただいてもいいですか?」 「ええ? そんな古い服でよければあげるけど……それじゃあ平民の恰好だよ。そんなに気に入った?」 「はい。可愛いですよね、これ」 真澄はそう言いながら生成色のスカートの裾をぴらり、と持ち上げて、明るくお姫様のようなポーズを取ってみせた。 ああ、意外とイケるかもね。女が笑いを噛みしめながら言った言葉に、真澄は嬉しくなった。 「代わりと言ってはあれなんですけど、あのドレス、よければ売ってお金にしてください」 「は? お姫さん、あんたなに言ってるの」 「ドレス、もう必要なくなっちゃったんです。それに何日もお世話になったのに、あたしそのドレス以外にお礼ができるものなんてなにも持ってないし……。これは、返さなくちゃいけないから」 そう言いながら、真澄は金細工が施された紅の入れ物を指でなぞった。 そうして金細工に触れているうちに刻々とすぎていく時間にも、真澄はそこはかとない哀愁を感じた。 「いいって。持って行きな」 「いえ、もらってください」 頑なな真澄の態度に、女はついに折れたようだった。 なにかを言いたそうに口を閉じた女の姿を見て、真澄はほっと胸を撫で下ろした。 これでよかった。これで正しかったのだ。 手元からこの世界にまつわるものが一つ一つ消えていく。それは少し悲しいような気もしたが、この世界の人間ではない自分をあるべき場所へ還元するためには必要なことだと思えた。 「馬鹿だねえ……」 だがしばらくしてからぽつりと聞こえてきた女の呟き声に顔を上げたとき、真澄は一斉にこの世界への未練を覚えた。 「お礼なんていらないよ。あんたを助けたのは私の勝手、あんたに服をあげるのも私の勝手、そうだろう? 上手くいったらまたここにおいで。そうしたら、今度はもっとおいしいもの食べさせてあげるから」 女がどこまで理解して、そして気づいているのかは分からない。 だがこのとき真澄は、ただひたすらに頑張ろうと思った。頑張って、ラルコエド城に行って、頑張って、シルヴィオに謝ってこようと思った。 これから行く先に闇しか見えなかった真澄の視界に、微弱ながらも白い光が灯ったかのようだった。 命が助かったとは言え、彼を、シルヴィオを命の危機に晒してしまったのは、ガラヴァルと意志疎通が完璧ではなかった自分の責任だ。 だからこそ自分の責任のありかを追求されたとき、精一杯受け入れよう。 「ありがとうございます」 真澄は目頭から零れそうになる熱い液体を必死に留めながら、思い切りにっと笑ってみせた。 同時に、胸の内が悲しいのだか嬉しいのだか分からない感情でいっぱいになって、苦しかった。 BACK/TOP/NEXT 2010/05/15 |