Wahrheit  -03









再び眠りにつくのも面倒だったので、簡単な軽食を終えた真澄はベッドの上に上半身を起こしてなにもせずにいた。
白く曇りがかった窓の外に見えるのは隣家の壁だけなのだが、不思議と視線はそちらを向いたままだった。

いつのことだったか、ラルコエド城の高い部屋から見下ろした王都、まさにその場所に今自分は立っている。
そう考えると身体の奥がきゅっと音を立てて縮んでいく気がした。少なくともラルコエド城にまつわるすべてのものから、高木真澄と言う存在が時間とともに乖離していく感覚に捉われた。

この世界に来たばかりのときは、自分を取り巻く周囲の環境は今とはまるで違っていた。
ここには床一面に広がるふかふかの絨毯などないし、高価そうな家具も揃えられてはいない。あるのは質素な造りの部屋と必要最低限の家具だけである。
だがむしろ、その方が気分が落ち着くには違いなかった。もともとご大層な空間で育ってきた人間ではないのだ、親しみを感じてしまうのはもはや反射だろう。

しかし気分は大分楽になったものの、シルヴィオのことを考えるとどうしようもなく心は急いた。
この場所に自分は合えど彼は似合わない。けれどいちいち視線を動かすたびに、どこかに繊細な銀髪が揺らめく姿を想像してしまう。ひょっとしたらシルヴィオはこの窓一枚隔てた外にいるのではないかと、とてもありえないことを考えてはその妄想に裏切られる。

(……どれくらい、無事なんだろう)

時間が経ったお陰で冷静になったのか、真澄はフロール国に捕らわれたところまでは現実だったと結論づけた。
仮定などなにもない根拠のない結論ではあるが、そうでもしないと心が崩れて戻らなくなってしまうように思えた末の決定だった。

真澄を助けてくれたこの家の女は、シルヴィオは無事だと言った。
だとしたら自分の記憶が抜けているところでなにかがあって、結果自分はこの家まで辿り着き、シルヴィオは最低命の危機を免れたと言うことか。

だがはたして、シルヴィオは本当に無事なのだろうか。
よく事故の報道でもあるではないか。命に別条はないと言っておきながら実は骨折していたとか、それも重体だったとか。それがシルヴィオの場合、どうなっているのかは分かりかねる。
真澄の最後の記憶では、彼は首元に刃を振り下ろされたはずだった。それを避けたとしても周囲は敵の人間ばかりだった。どう助かったのか、逆に自分が聞きたい。

「お姫さま、大丈夫?」

小さい声とともにベッドの端がぎしりと軋んだ音をたてたので、真澄は少し驚いたそのまま思わずそちらの方を向いた。
真澄が半身を起こしているベッドの横からは、この花屋の少年がこちらの顔を窺うようにしておずおずと顔を出していた。
大丈夫だよ。真澄が笑みを浮かべてそう返すと、少年もつられてはにかんだ。

「そう言えば、どうしてあたしのこと『お姫さま』なんて呼ぶの?」

真澄の体調を確認して満足したのか、足早にその場を去ろうとした少年を真澄は呼び止める。
するとぱっとこちらを振り返った少年は、あっけらかんとした顔で言った。

「だってキラキラのドレス着てたもん!」

丸い少年の瞳は、今や当然と言わんばかりに光っている。そんな少年の意味するところが分からなかった真澄は首を傾げた。

「お花の中で眠ってたもん。だから『お姫さま』なの!」
「そうそう。最初は空から降ってきたんじゃないかと思って驚いたよ」

いつの間にか部屋の出入り口から姿を見せていた女は、真澄の横にいた少年を見つけるとちょいちょいと手招きしてみせた。

「表の花に水をやっておいで」

彼女の言葉を聞いた少年は、うんと頷くとあっさり部屋から出ていった。
そんな逆光を受けて部屋の向こうへと消えた少年のうしろ姿を、真澄は数秒見つめ続けた。

「店先に出してる花ね、いつも夜は店の中に入れておくんだ。私たち仕事柄朝が早いんだけど、でも三日前、表の戸を開けようとしたときに中に入れておいたその花の上にあんたがいたんだよ。驚いたよ。だって花に埋もれて眠ってるって、そりゃおとぎ話でしか知らなかったんだから……本当にあるとはねえ」
「……す、すみません」

少年の代わりに部屋に入ってきた女は、前かけで濡れた手を拭きながら笑った。

「それ」
「……え?」
「今お姫さんが着てる服、キツくない?」
「あ、はい」

真澄が力いっぱい答えると、女はふふと笑った。

「よかった。それ、私の若い頃のやつなんだ。着替えさせてもいいかなって迷ったんだけど、あの服のままで寝かせるのには……ちょっと苦しそうだったから」

女がくいと親指で指し示す先に目をやると、繊細な作りのドレスがハンガーにかかって壁際にあった。
それは自分が気を失う前まで着ていたものに相違ないが、こうして客観的に見ると、そのドレスはとても自分に似合わないように思えた。

それにしても、いつの間にか着替えさせられていたと言うことに全然気がつかなかった。
道理でラルコエド城にくらべてここはなんだか楽だと思ってしまったわけだ。

「あ、そうだ。これ、お姫さんの傍に落ちてたんだけど」

真澄が彼女へ視線を戻すと、女は服のポケットからなにかを取り出した。そのまま、手のひらに収まりそうなそれを真澄の胸元へと差し出す。
しかし真澄はこのとき、あまりの意外性に口から心臓が飛び出すかと思うほど驚いた。

「……っ、これ……っ!」

恐る恐る、差し出されたそれを受け取る。
真澄の手の上に落ち着いたそれは、窓辺から差し込む陽光を受けて金色の光を放った。

やはり夢ではなかった。この世界もシルヴィオも、幻ではなかったのだ。
女の手から真澄へと渡ったのは、シルヴィオと城で最後にあったときに彼から譲り受けた、彼の母の形見だという紅の入れ物だった。

「大事なもの?」
「はい」

涙があふれてしまいそうだった。言葉にならない嬉しさが、身体全体を満たした。
よかったね。静かにそう言ってこちらの顔を窺う女に、真澄は感情すべてが入り混じった歪な笑顔で首を縦に振った。

「あんたさあ、本当にお姫様なのか疑わしくてさあ」

それからしばらくしたあと、唐突に女がぽつりと切り出した。

「なんて言うの? こう、素振りが私たちと変わらないって言うか……」
「あはは……そうですね」

あたし、もともと庶民なので。真澄がそう言ったら、女は解せないような変な顔をして、ふうん? と言った。

「でもねえ、たまにちらっと『これは違うな』って顔をするときがあるんだよ。あと、その高価そうな持ち物もね。そう言うのを見る度に、私はあんたの出自が気になるわけ」

ベッド脇に腰かけた女は、真澄の顔を真っ直ぐに見た。

「心配してるよ、きっと。お姫さんの家族もいるんだろう?」
「……はい」

まただ。また忘れかけていた。自分にはこの世界ではない場所に、家族がいるのだった。
しかし帰り方は依然として分からない。帰れるのかどうかも、分からなかった。

「戻れない理由がある?」
「はい」
「どうしても?」
「……どうしてもです」

もしかしたら彼女に家出少女だと思われただろうか。答えた数秒後に、真澄は思った。
しかしなにやら考え込んだ女は、すぐに嬉しそうに口を開いた。

「そ。なら……そうだね、ちょっと運試しして、そこで負けたら家に帰ればいいよ」
「……え?」

真澄は彼女の口から放たれた言葉の意味を測りかねて、きょとんと目を瞬かせた。

「あんたのその容姿、特に髪の色を見たときからこれは! って思ってたんだよ。うん、上手くいけばラルコエド城に入れるかもしれないよ。あんた、まだ十分若いんだから」
「……は?」
「一日か、それとも二日前だったか……王家からラルコエド国内に向けて布令が出たんだよ。お姫さん、知らないだろう?」

興奮した女の様子が気にならないわけではなかったが、それよりもこの瞬間、なぜだかは分からないが真澄は咄嗟に嫌な予感がした。
その布令を出したのが「王家」と言うところに、自然と悪寒を覚える。

「戦争が終わってすぐだったから、私たちは互いになんだろうって顔を見合わせてたんだけどさ」

無意識にどくんどくんと唸る自分の心臓の音を聞きながら、真澄は女の次の言葉を待った。
「王家」と言うことは、それはシルヴィオが多少なりとも関与していると言える。だが、彼女がこれほどまでに興奮する布令とはなんなのだろうか。

「それって……あたしに関係あるんですか?」

恐る恐る真澄が問うと、女は先程の少年に負けず劣らずの目の輝きで応えた。

「大ありだよ。それがなんでも、王家は黒髪の、まだ十代そこらの女を探してるんだってさ」

女の言葉が終わるなり、真澄の頭の中でカーンと清々しい音をたてて鐘が鳴ったような気がした。
真澄は顔から、さーっと血の気が失せていくのを感じた。

ああ、このままではシルヴィオに、殺される。













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2010/03/14