捩くれた家  -後編









それはささやかな彼の「反抗期」のように見えた。
恐らくは染めたのだろう、直人の明るくなった髪の色を一瞥した沙織は、直人の知らないところで小さくふんと鼻を鳴らした。

だが先程のおばさんや今の直人の反応を見ても、「反抗期」はそれっきりだったとうかがえる。
まったく、外見はこうも変わってしまったのに、中身は三年前から進歩しているのだかしていないのだか。
それは自分に置き換えても同じことなのだと分かってはいる。しかし沙織は、なぜか呆れずにはいられなかった。

直人はこちらを振り返ったままなにも話さなかったし、動こうともしなかった。
沙織は率直に、このとき疑問に思ったことを訊いた。

「ここでなにしてたの?」
「ああ、涼んでたんだ」

確かにこの神社界隈には緑が多いが、特別涼しいわけではない。沙織は思わず首を傾げた。

「それなら家でクーラーでもつければよかったじゃない」
「そうかもね」

あ。と、沙織は気がついた。
直人が「そうかもね」と言った際に見せた笑みは、諦めを含んだ笑みだ。
沙織もこの類の笑い方、換言すると誤魔化し方をよく使っていた。それは友人に「冷淡」と言われた、中学生時代のことである。

つまり他人にその理由を話しても理解を得られないから、そう言った笑みを使って相手の意見に同意しておく。
それは理由を深く追求されないための、当時の沙織にとっては画期的な方法だった。

はて、それでは単に涼を取るためここにいたのではないと言うわけか。
沙織は彼の対応にますます悩んだが、いくら悩んだところで彼が本音を語るとは到底考えられなかったので、彼の思惑通りにそれ以上首を突っ込むのをやめた。

「それより早く戻ろう。私、おばさまにすぐ戻るって言っちゃったから」
「……いいの? 俺に、言いたいことがあったんじゃなかったの?」

踵を返しかけた沙織を、直人の不思議だと言わんばかりの声が呼び止める。
沙織は一瞬の間を置いて、身体の向きを直人の方へ戻した。

「……は?」
「へえ、承諾したんだ。てっきり綾子おばさんにも俺の母にも言えないから俺に直談判してくるのかと、これは意外……。いや、最近の沙織の性格を考えると、むしろそれで正解だったのかな?」

沙織が怪訝な顔をしていると、直人はあははと苦笑した。

「ごめん。ただあまりに驚いたからさ。沙織は嫌がると思っていたんだ」
「なんの話?」

いよいよ彼の言っていることが分からない。
沙織の眉間にむっと皺が寄ったのを察したのか、直人は笑うのをやめた。

「なにって……婚約の話だよ」

当然、と言うような彼の口調からも、まったく話の前後関係が見えてこない。
落ち着け。彼はなにを伝えようとしている? 沙織は頭の上に疑問符を浮かべながら直人の顔を見た。

「誰が?」
「誰って……俺と沙織の」

沙織は難しい顔をしたままその場に固まった。
俺と沙織、と言うことは要するに、直人と自分との婚約を指すわけで――。

「ごめん、もう一度言って」

聞き間違えた。
咄嗟にそう考えた沙織はこめかみを押さえながら直人に問うたが、返ってきたのは的外れな答えだった。

「え、まさか綾子おばさんから聞いてない?」

瞬間、沙織はすべてを理解した。
なぜ出迎えに現れたおばさんが、三年も音信不通だった自分たちを、それに「家」の者である父が盆の帰省に随行しないと知っていたにも関わらず、あんなにも手厚く接待してくれたのか。
沙織がおばさんと挨拶を交わしたときに見せられた、あの輝く瞳は少し期待しすぎだとは思っていた。
思っていたが、しかし、まさかこんな話になっていようとは思ってもみなかった。

沙織は頭痛を覚えて両手で頭を抱え込んだ。
思考回路に複雑な問題ができあがってしまったようで、上手い処理方法が見つからない。

「ちょっと待ってよ、誰と誰が婚約だって? ……クソ、ふざけるんじゃないわよ」
「本性出てるよ」
「いいの。だいたい直人君は私が『いい子』じゃないって知ってるでしょ」

沙織は「あー」とか「うー」とか声にならない声を上げながら、膝を抱え込む勢いで俯いた。
とてもではないが、今直人の顔を直視できるとは思えなかった。

「……いつ出たの。その話」
「公に話が出たのは去年の正月くらいかな。俺があまりに不甲斐ないせいだろうね、母さんが勝手に取り決めたんだ」

くっくっと喉の奥で笑いを噛みしめながら直人が笑う。
笑いごとじゃないのよ。そう言おうと思ったが、次期当主様の機嫌を損ねると思ったのでやめた。

「母さんは沙織のことを気に入ってるからね。いつも『あの子はいい子』だって褒めてるよ」
「そりゃどうも」

少し冷静になったのか、沙織はゆっくりと顔を上げると長い溜息をついた。
直人と自分が婚約――ああ、明日辺りにこの世界は爆発するのかもしれないな。そんなどうでもいいことばかりが、こんなときに限ってぽんぽん浮かんでくる。

「今の今まで知らなかった……」
「と、すると、沙織の家は反対してるってことか。賢明な判断だね」

恐らく反対しているのは、「家」の系譜を引く父だ。
あの真面目な性格の父のことだから、自分と直人の関係がイトコと言う近縁だと言うことを考慮してのことに違いないだろう。

だがそれ以上に、父は「家」と関わることを極端に嫌う人だった。
昔はそれほどでもなかったらしいのだが、母から話を聞いて分かったのは、その嫌悪はどうやら跡継ぎ問題が原因で起こったとのことだった。

最初に生を受けたのは直人の母だった。沙織の父はその数年後に生まれた。
ここで直人の母と沙織の父、どちらを跡継ぎにするかで「家」が揉めたらしいのだ。
先に生まれた方を取るか、それとも男を取るか。時代が時代と言うこともあって、当時は長男である父を跡継ぎにしようとする動きがほぼ主流だった。
しかしそこで待ったをかけたのが、直人の母だった。

「家」を継げば、過去から受け継いだ莫大な資産と、なによりも本家が手に入る。それは一部の人間にとっては目の眩むような利益だっただろう。
直人の母は、この地域でも有力な家の子息を婿に迎える代わりに、跡継ぎの座を求めた。
と、簡単に言えばものの数行で終わってしまうが、実際は数十年も続いた、それはそれは昼ドラ以上にドロドロとした因縁対決だったらしい。

ゆえに沙織の父は、母と結婚して上京したっきり、「家」のことはあまり口にしなくなった。
それでも父がいつだったかぽろっと漏らしたのを沙織は聞き止めたことがあったのだが、それは、「お前が男だったら俺は本気でこの世界に別れを告げようと思っていた……」と言う物騒なものだった。
確かに、もし直系の直人が女で、跡継ぎ争いから退いた分家の自分が男だとしたら、「家」の跡継ぎ問題は再び浮上してきただろう。
直人には悪いが、事がここまで順調に進んでくれて万々歳である。

しかし、やっと安泰が戻ったと思ったのになぜまた問題が出るのか。
しかもそれは、かつて対立関係を露呈した間柄ではないか。
分家で、しかも近縁の自分を再度「家」に組み込んでなんのメリットがあると言うのだろう。

ああ、そう言えば私、おばさまに異様に気に入られていたんだった。
沙織はすぐにその理由に思い当たった。そして自らの積み上げてきた結果に、落胆した。

「直人君は?」
「え?」
「嫌じゃないの? 親に勝手に縁談進められて」

自分の過去を客観的に回想した沙織は、もはや直人の目を直視することも厭わなくなっていた。
私、この人と婚約させられるのか。と言う、どこか茫漠とした結果論めいたものが心の奥に留まるのみだった。

沙織の質問に、直人は少し考え込む素振りを見せたあとで笑った。
それは沙織が直人に、「家でクーラーでもつければよかったのに」と言った直後に見せられた諦めの笑みと微妙に似ていた。

「……なに?」
「いや?」

案の定直人は答えずに、ふっと口元を緩めて肩を竦めた。
彼になんら意見を仰いだところで無駄だ。今の彼は完璧に、次世代の「家」の主柱となるべく造られた、まるでアンドロイドのようなものだったのだから。
大人の好む、読めない笑顔ばかり作りやがって。沙織は心の中で毒を吐いた。

「どうする気? 今家に戻ったら、この話を聞かされるよ」
「そうね」

楽しんでやがる。
にこにこと、こちらが次にどう出てくるかその反応を待っているかのような直人の態度に、沙織はまたもや心の中でチッと舌打ちをした。
沙織は直人から視線を外して、ふう、と深い溜息をついた。そのあとでしばらく言葉を選ぶと、諦観まじりに言った。

「……結婚しちゃおっか」

長い間があった。
沙織は直人から視線を外した先で揺れていた真夏の木々をぼんやりと眺めながら、自暴自棄の感覚にどっぷりと身を浸していた。
しかし言ったあとで、いや、直人がいきなり自分の伴侶となるのはどうもしっくりこないな、とも考えた。

だが沙織はこのとき、あれ、と思った。
どうしてこんなにも場の空気が気まずいのかと考えたとき、直人からなに一つ返答がないことに気がついた。
その沈黙を遅れ馳せながら疑問に思った沙織は、視線を直人の顔へと戻した。

直人はそこからいなくなったわけではなかった。彼はただこちらを見て、目を丸くさせていた。
今日彼と出会ってから初めて見たと言っても過言ではないくらい、直人は遙かに心から驚いていると言った風な驚愕の表情をしていた。その意外な驚き顔のまま、彼はこちらを見返していた。
その瞬間、沙織も呆気にとられた。

「え、なにその反応」
「……いや」

沙織の冷静な一言に、ようやくそれが冗談だと悟ったのか、直人は顔を逸らすときまりが悪そうに黙り込んだ。
それはアンドロイドだなんてとんでもない、一人の人間が見せる表情だった。

沙織は自分の顔が急激に熱くなっていくのを感じた。
たった人差し指だけでも頬のどこかに触れようものなら、火傷してしまいそうだと思った。
まずい。これはまずい。
なぜ照れるんだ。昔から馬鹿の一つ覚えみたいに親の言うことばかり聞き入れて「いい子」を演じていた彼が、なぜ自分の戯言なんかを真に受けて、照れると言うのだ。

こっちは今の今まで、彼のことなどなんとも思っていなかったと言うのに。
それなのに、その反応は反則だろう。

どんなに待っても直人はなにも言わない。もちろん、自分だってなにを話して場を取り戻せばいいのか分からない。
神社の周囲に鬱蒼と生い茂る木々だけが、耳元でさわさわとうるさく唸っている。
だけど聞こえる音はそれっきりで、誰も自分と直人との間に流れる、この微妙な空気を取り持ってはくれなかった。

どうすればいいの。
おばさんに私、すぐ戻るって言っちゃったのよ。














BACK/CLOSE
2010/07/30