ずっとずっと、その人にお礼がしたかった。

「キサ」

私をなにもないところから引き揚げてくれたひと。
かのエジプトの王女が、彼女にとってのちに敵となる運命を背負った赤子を自分の立場も厭わず水の中から掬い揚げたように、彼もまた、野垂れ死にそうになっていた私を絶望の海の中から救い出してくれた。

「キサ」

でも私は違う。最後の最後まで彼の傍に居続ける。世界中が敵の側に回ったとしても、私だけは最後まで彼の盾になってみせる。
そのためならこの命だって惜しくはないの――ほんとうよ。

どこか遠いところから自分の名前を呼ばれて、キサはゆっくりと顔を上げるとスカートの裾をはたきながら立ち上がった。
すると、今まで手入れをしていた庭園の鮮やかな花越しに、一人の少年の姿が映る。
いつもとは違う彼の雰囲気に、ゆっくりとではあるが、キサはなにか異変が起こりつつあるのを感じた。

「来い。お前を使うときが来た」







The Ultimate Weapon







世界が混沌を極めるようになって久しい。
もはや銃弾が飛び交わない国は一国として存在せず、各国は他国に侵略されまいと軍備増強や兵の増補に勤しみ、いかに領土を守り抜くかについて血眼になっていた。

それもそのはず、近年ある一つの大国の急進によって、既に世界の三分の二がその国に支配されていたのだった。散々人々に不可能だと言わしめていた世界統一が成し遂げられるのも、そう遠い話ではなくなっていた。
ただ、その統一が平和的なものであるかそれとも征服的なものであるかは、被侵略国が日夜嘆くところが明らかに示している。

そんな中、他国と比較して国土も国力も然程優れているわけではない中堅国が、この大国の急進を川中にどっしりと居座る岩のようにして阻んでいた。
力の差やこれから未来に渡って受ける損失を考えれば、今すぐにでも降伏したほうが賢いと言えよう。
にもかかわらず、国王が思慮浅いのか、側近の気が回らないのかは知る由もないが、その中堅国は降伏するどころかこちらが仕掛けた戦を真正面から受け止めては敗走していた。
まあ、現在のあの国の元首の年齢を考えればいっそのこと国民に同情する。あろうことか現在の王座についているのは、国政もままならないであろう若干十六、七の少年だ。

「……難儀なものだな」

暗い部屋の中に数多設置されたモニターに、どこまでも平坦な荒野ばかりが映っている。
しかしここを越えれば、敵の本丸が見えてくるはずだった。

「たかが一国を落とすのに丸一月も費やすとは……。前衛はなにを悠長にやっていたんだ?」
「申し訳ございません。しかし、ここで『例のもの』を打ち崩せば俄然戦況はこちらに傾くかと。そうなれば向こうの国王も頭を垂れましょう」
「フン」

そのために俺が直々に出向いたのだからな。皮肉っぽく口の端を釣り上げると、彼はすっくと立ち上がった。
先程はああ言ったが、彼も一国のトップとしては十分に若く、経験もそれほど重ねているわけではなかった。しかし、幼少期より叩き込まれ磨き上げられた戦術スキルと持って生まれた人望の厚さ、それに外交術の巧妙さは、多くの結果を伴って彼に返ってきた。

しかし、年齢立場如何を無視するとしても、彼が人々の尊敬の念を一心に受けるに値するのにはちゃんと正当な理由があった。
彼は「最終兵器」の操り手としても、類稀なる腕を持っていたからだ。

これはどうやら数百年前から徐々に定着していった戦法らしいのだが、各国は他国に侵略しつくされることのないよう、最後の悪足掻きとも言うべきか砦の周辺に巨大兵器を隠し持つ。
それは俗に「最終兵器」と呼ばれ、指揮権はたいてい国王が持ち、国王の意識のみによって発動される。そして、どんなに貧弱な国家であっても、「最終兵器」には多大な金と装備をかけるのだ。
だが、それはもちろん国力が大きければ大きいほど重厚な装備と莫大な攻撃力を持つ兵器の開発に繋がる。ゆえに、彼の国が誇る「最終兵器」は文字通り、向かうところ敵なしの最新の装備と攻撃力を備えていた。

彼は立ち上がりざま、王家を象徴するその黒曜石のように見事な黒髪を鷹揚に掻き上げた。
ここまで手を煩わせてくれたのだ。相手の国の「最終兵器」が登場する前に敵城そのものを陥落させてもらおう。

「一気に片をつける。くれぐれも邪魔をするなよ」
「御意」

敵国をあと少しで落とすと言うところまできた彼は、今回、いつもは自陣に控えさせている「最終兵器」をこの場に持ち込んでいた。
それが、今彼と信頼のおける側近ばかりが同乗している、空を埋め尽くしてしまいそうなほどに巨大なこの戦艦の体を取った空飛ぶ空母であるのだが。

恐らく地上の人間にはゴオオオオオと耳を塞ぎたくなるほどの轟音が響き渡っているに違いない。
それに、なによりも彼の国の兵器はこの空母ばかりではない。陸と空、合わせて約三千もの戦闘機や戦車を携えていた。
降伏もしない、だからと言っていい戦いっぷりを発揮するでもない、そんなどちらとも転ばぬ国に苛立ちが募ったあまり殲滅作戦に出たのではと形容されても疑いようのない完全配備だった。

「女……?」

しかし、彼が「最終兵器」を発動させようとしたまさにその瞬間、突如として空母中のモニターに小さい人影が映り込んだ。
亜麻色の、辛うじて肩につくくらいの髪を風に靡かせ、どんどんこちらに近づいてくるような気さえする。
不思議なことに、彼女の衣服は小間使いや庭師が身につけているような、戦場にはまったく相応しくないものだった。

「どこの所属だ」
「我が国の人間ではありません。恐らく、あちら側です」

こんな辺鄙な場所に一人の年端もいかぬ少女が、しかも視界を埋め尽くしてしまいそうなほどの陸空の軍艦を前にしても彼女は歩みを緩めることはない。
と言うよりは、どうやらこちらを標的にして真っ直ぐ向かってくるようだった。

百戦錬磨を誇ると言っても過言ではない空母にいる彼らが何事だと騒ぎ出す中、彼女はぴたりと足を止めた。
そのまま、すうと右手を己の目の前に翳す。

「解除コード入力、『キサ・フォンテネッレ――The Ultimate Weapon』」

彼女のその一言のあと、すぐに大地が揺れ始めた。
重装備を誇っていた彼の国の戦車はその揺れに急停止する。にもかかわらず、彼女は素知らぬ顔でその場に立ち続けた。

(違う、あれはどこぞの一般人ではない)

嫌な予感がする。彼ははっとして、モニターから窓の外へ視線を移した。
彼の視界には依然として一人の少女の姿が映っている。しかし、彼女は――。





「系統指揮権を握っているのが国王だと、いったい誰が決めたんだろうな?」





凡そ今頃前線で敵を迎え撃っているであろう少女を想像して、誰もいない暗く広い石室の中、明るい茶色の髪を持つ一人の少年は微かに笑んだ。
「最終兵器」の指揮権が国王に譲渡され続けてきた理由、それは恐らく戦をはじめ国政すべての決定権が王に委ねられているところからきているのだろう。
だが、それは時によっては不利な状況になり得る。なにせ、「最終兵器」を上手く使いこなせなければその戦に負けたも同然であるのだから。

敵国の首領は恐らく、自分が前線に出てくるものと思っただろう。
しかし、系統指揮を執るのは彼女――十年前に拾った少女、キサだ。ちょうど戴冠式が行われようとしていた頃に巡幸していた街で、野垂れ死にそうになっていたキサを偶然拾った。そして、自分に受け継がれるはずの指揮権を彼女の身体に移殖した。

彼女に指揮権を譲渡した理由はない。ただ、普通ではつまらないと思ったからだ。
しかし、そんな気まぐれにもかかわらずキサはよく働いてくれた。アレは寒気がするほど自分に忠実な上に、「最終兵器」を巧みに操る技量さえ持ち合わせていた。
まったく、つくづくいい拾いものをしたものだと我ながら気分がいい。

「……さて。ここで負けたら許さないよ、キサ」

少年が誰に向けるでもなくひっそりと呟く。
だが、その言葉が風に乗って伝わりでもしたのか、前線で相手の軍艦を前にしていた同時刻のキサの瞳の奥に、ぽっと火が灯る。

「ここから先は行かせない、絶対に」

キサが腕を振るう。するとその腕に導かれるようにして再び地が激しく震え、キサの背後で地面がぱっくりと真っ二つに割れた。
そして競り上がるようにして地の裂け目から現れたのは、この国が他国は愚か自国に向けても秘密裏に開発、保持していた「最終兵器」だった。
天を突くかのような巨大な装甲、中心に据えられた主砲台部分は兵器のほぼ二分の一部分を占める。また、あらゆる角度からの攻撃に対応できるよう大小合わせて数百もの砲台までを備えた上に、隅々まで黒塗りされたそれは、まるで遙か昔に海洋で名を轟かせた軍艦を想起させた。

荒野を自由気ままに吹き抜けていた風向きが変わる。
キサは、背中をぐいぐいと押し上げてくる風に衣服や髪をはためかせながらも、表情一つ変えずに眼前に迫る軍艦たち――とりわけ中心にいて存在感がある敵国の空母を捉えた。

「指揮系統の総括が国王だと、いったい誰が決めたの?」

今の私がここにいるのは、あのとき彼に拾ってもらったからだ。
指揮権を移殖されたときの記憶は今になってはひどく曖昧でもうほとんど覚えてないのだけれど、全身に激痛が走るくらい意識が朦朧としていたことだけは覚えている。
けれど、それからと言うもの彼は甲斐甲斐しく私の面倒を見てくれた。立場は大きく違うのに、それでも私に目をかけてくれた。

ああ、初めて私の存在を肯定してくれたひと。初めて私の存在を認めてくれたひと。
だから私は全力でこの侵略者を迎え撃つ。私の愛する人の愛する土地を侵したあなたたちを、なにがあっても許すことなどかなわないのだから。

「指揮を執るのは……この、私」

最後の最後まで彼の傍に居続ける。世界中が敵の側に回ったとしても、私だけは最後まで彼の盾になってみせる。
そのためならこの命だって惜しくはないの――ほんとうよ。













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2012/06/22