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トロイメライ 「……あら、アルフォンス殿下よ」 母の突拍子もない言葉に、食堂の奥で皿洗いをしていたフランカは思わず顔を上げた。 宿屋の食堂にある唯一のテレビは、先程までのニュースから変わって王室報道の番組に移っている。 確かに、母の視線の先にあるテレビの画面にはいっぱいに、一人の王族の少年の顔が映し出されていた。 いや、少年と言うよりは青年と言った方が適切だろうか。 しかしなんにせよ、画面越しによく映える白い肌とダークブラウンの髪の色は、いくら時を経てもちっとも変わらなかった。 「大きくなられたわねえ……。随分と男前に成長なさって……ねえ、フランカ。殿下って今おいくつだったっけ?」 「ええ? あたしより年下なのは知ってるけど……十六、七くらいじゃない?」 フランカは画面上でくるくると変わるアルフォンスの笑顔をじっと見つめながら答えた。 ときおり報道陣にはにかんで見せる彼の顔は、自分より年下と言えど王室の者であると言う風格を漂わせていた。 アルフォンスは、フランカの国の第二王子の名である。 彼には兄弟があと二人ほどおり、一番上が第一王子でありそのうち次期国王になるであろうユリウス、そしてアルフォンスの下が妹であり第一王女のディアーナだ。 (……ほんと、大きくなったわね) なぜ今日はアルフォンスばかりが映っているのかは疑問だが、フランカは彼の顔を見つめてしみじみと思った。 事実フランカがそう感じてしまうのも無理なかった。フランカが人生で一度だけ間近で見ることのできたアルフォンスは、まだ七歳くらいの、元気だけが取り柄だと言わんばかりの少年だったからだ。 フランカの家は、何代も続く避暑地の宿屋である。 自然あふれる湖畔が望めて家庭料理をふるまう宿屋は、特に夏場に非常に人気で、フランカは小さい頃から親の手伝いのためと表に駆り出された。 田舎の宿屋だけが理由ではないだろうが、大盛況であったときでさえここの従業員は三ケタもいなかったと思う。 しかしそののんびりとした雰囲気が、やってくる宿泊客の好むところであるらしかった。 そんな避暑地に思いもよらぬ朗報がもたらされたのは、フランカが十四歳のときだった。 ――今夏、王室の方々がいらっしゃるらしい……。 話があると言われ、全従業員が集められた客のいない食堂で、オーナーである父が信じられないと言わんばかりの複雑な表情で切り出した。 それって何人くらいいらっしゃるんですか? 王室に「仕えている者」がくると勘違いしたらしい若い従業員の一人が、すぐに首を傾げて問うた。 すると父は顔を強張らせて、首を数回ゆっくりと横に振った。 ――現在の「王室を成す方々」だ。少なくとも陛下と皇后、それにお二人の王子と王女が、いらっしゃる……。 十四であったとは言え、その言葉を聞いたときはフランカも従業員と同様に口をあんぐりさせることしかできなかった。 それくらいこの辺境の避暑地には衝撃的で意外すぎるニュースだったのだ。 「懐かしいわねえ。あのときのアルフォンス殿下は、一番フランカに懐いていたものねえ」 「……ああ、餌づけしちゃったアレね」 アルフォンスの兄であるユリウスは、五歳しか違わないと言うのにアルフォンスよりかなり大人びた態度だったし、妹のディアーナはまだ小さすぎてずっと皇后の傍を離れようとはしなかった。 そんな中で、一番やんちゃがすぎたのは次兄のアルフォンスだった。 王室の人間がこの宿屋に泊まりにきた当初はよかった。 だがアルフォンスばかりは避暑地にいるだけでは暇なのか手当たり次第に面白いものを見つけようとしたり、朝早くからそこら中を駆け回ったりと、今まで平民の中でしか育ったことがない従業員は彼の扱いに慌てた。 そんなわけだから、彼を危険から遠ざけるために、当時彼と一番歳が近かったフランカが彼のお守役にあてられたのである。 正直勘弁してくれとフランカは思った。 なにせアルフォンスは、王室の人間ながらも近所の少年と変わらないわんぱくっぷりを発揮していた。 ――ねえ、遊ぼうよ! 何度腕を引っ張られてそう言われたことか。思い出すだけでも頭痛がする。 最低でも、彼が普通の少年だったらよかったのにと痛感したのは数回のことではない。 ――ええと、アルフォンス様はなにをして遊びたいですか? ――動物捕まえたい! ね、外行こう! ――それはちょっと無理ですねー。怪我されちゃいますよ。 自分より一回りも下の少年に敬語を使いまくるのは、もう二度と経験したくない思い出ナンバーワンである。 そして彼らが滞在した一週間は、今までの人生のどの一週間と比べてもなかなか長かった。 毎日のように「あれ捕まえたい」だの「あれ取って」だの野性的な注文しかしないアルフォンスに疲れたフランカは、案の定数日でダウンした。 だがそこでフランカは思いついた。 とりあえず、彼に外に行きたいと思わせる余裕がなければいいのではないかと。 ――アルフォンス様、これ、食べたことあります? 次の日、満面の笑みを湛えながら、その土地でおいしいと評判の菓子をアルフォンスに見せると、彼はすぐさま飛びついた。 それからと言うもの、アルフォンスはフランカにくっついて、「あのお菓子もうないの? 他においしいものないの?」とねだるようになった。 へえ、王子様でも平民の食べるものをおいしいって感じることがあるのね。 フランカは意表を突かれながらも、連日ようにあちこちから名産品や珍味を取り寄せてはアルフォンスに与え続けた。 本当に「餌づけ」以外の何物でもなかったと思う。しかし多感な時期の男と女では、遊びの種類などまったく違うのだ。仕方がない。 それでもたまには湖畔近くに連れて行ってやったこともあった。 彼はこれまでに家族と何度も足を運んでいたらしいのだが、もっと湿地の奥深くに入ってみたいのだと言うまたもやワイルドで熱心な要望から、フランカはそうせざるを得なかったのである。 まあ、そうして何事もなく彼ら王室の人間の避暑は終わったのだから安心した。 個人的な意見としては、もう少しユリウスやディアーナとも触れ合いたかったのにと思う。 特にディアーナは同じ女の子だったし、それになにより顔立ちや仕草などがとても愛くるしかったのだ。 「これ、ディアーナ王女も映してくれないかな……。今の王女、絶対可愛いと思うんだよね」 「それよりお母さんはユリウス殿下が見たいわ。この前婚姻パレードにご出席なされたときの殿下、すごく素敵だったじゃない!」 「ああ、そんなこともあったっけ……」 自分より二つ年下なだけだと言うのに、ユリウスは今年二十歳を迎えると同時に、どこかの大貴族のご令嬢と挙式を上げていた。 クソ、追い越された。 全国民が幸せで揺れる報道を目にしてフランカが真っ先に思ったのは、だいたいそんなことであった。 「あんな美形の王子だったら、どんな貴族、王女様だって惚れると思うのよ!」 母はユリウスにかなりお熱らしく、先程からそればかりを語っている。 確かに昔この宿にやってきたユリウスは、当時十二歳ながらも顔立ちがとても整っていた。と言うよりはむしろ、この国の王子王女が皆将来を楽しみにさせる容貌をしていたにすぎない。 神は二物を与えないとは言うが、それは嘘ではないのかと勘繰るほどにだ。 「それで、いったいなんでまたロイヤル・ファミリーの報道をこの日中に?」 テレビがある食堂から離れた場所で食器を片づけていたため、あまり報道の内容が聞き取れなかったフランカは表に出ている母に問うた。 「そうね。やっぱりユリウス殿下のご婚姻絡みらしいわよ」 「それって何ヶ月も前のことじゃないの?」 「いいのよ。幸せなことは長い方が、こっちも幸せになれるもの」 そう言いながら、母は音量を大にするためテレビの方へ歩いて行った。 『ユリウス殿下のご婚姻の際、アルフォンス殿下はどのようなお言葉を?』 『はい。お幸せに、と言うような主旨のことを申し上げました』 やはりユリウス絡みか。 いやしかし、これはどう見ても生放送ではないだろうかと、フランカはすぐに首を傾げた。 肉声が一切加工されずに流れているのは、これが前もって録画されたものではない証拠だ。 『それで、アルフォンス殿下もご婚姻をお考えになっているとのことですが』 聞き取りやすくなったテレビの音声に、フランカは危うく手元の皿を取り落とすところだった。 お前もか! お前もさっさと結婚するのかチクショウ! と一瞬思ってしまったのは、自分の心の中だけだったのでまあよしとする。 『最近巷で噂されているのですが、失礼でなければこの報道をどうお考えになられますか?』 失礼だろうよ。フランカはまたもや心の中で高速ツッコミを入れた。 それにしても王族はいちいちそんなことまで詮索されなくてはならないとは、可哀相だとも思う。 別にアルフォンスに彼女の一人や二人できてもいいではないか。彼だって年頃の少年なのだし、それは至極自然なことだろう。 「あらあ、アルフォンス殿下もご婚姻? フランカ、あなたも早く相手見つかればいいのにねえ」 「あたしには新しい職場と言う素敵な出会いが待っているからいいんですー」 これまでにもぽつりぽつりと付き合ってきたことはある。 けれどどれもがなにか違うような気がして、フランカは数ヶ月かそこらで彼氏と別れていたのだった。 しかしフランカはあと数ヶ月で、出稼ぎのために街の中心部まで働きに出ることが決まっていた。 そこはなかなかに大きい商社で、恐らくは下働きが主であろうが、今よりも多くの収入が見込めた。 そうすれば夏にしか繁盛しない不安定なこの宿屋を、なんとか後世に残すことも可能なはずだった。 あわよくば、そこでよき人と出会えれば最高である。 なんてどうでもいいことに現を抜かしては、フランカは数ヶ月先に控えた就職のことが楽しみで仕方なかった。 『もしよろしければ、その方が現在どのようなところにいるお方かお伺いしたいのですが』 フランカがそんなことを考えている間にも、報道は過熱しているようだった。 『ええ。構いませんよ』 絶対にアルフォンスはぼかすだろうな。 そう考えていたフランカは、しかしすぐにテレビから流れてきたアルフォンスの回答に度肝を抜かれた。 「あら! 殿下ったら男らしい!」 テレビの前で母がはしゃいでいるのが見える。 そのテレビの中では、今まで以上に多くのフラッシュが画面を埋め尽くしている。 これは大変なことになった。 もしかしたら、アルフォンスの婚約者を追求するためあえての生放送なのだろうか。 昔彼を世話したよしみなのか、フランカは心の中で「がんばれ。プレッシャーに負けるな」と彼にエールを送った。 『では、そのお方とは?』 『フランカ・ミュラー嬢です』 フランカは咄嗟に、はい、と顔を上げて返事をした。 なぜか今、自分の名を呼ばれた気がしたからだ。 しかし食堂には見渡す限り母と自分の二人しかいない。それに自分の名を呼んだのは、男の声だった。 フランカは、あれ、と思って、皿洗い場から身を乗り出して食堂をぐるりと見回した。 『フランカ・ミュラー? それは、どこでなにをしていらっしゃるお方でしょうか?』 フランカは驚いてテレビを凝視した。 なにせ今、テレビの中のリポーターが自分の名を呼んだからである。 『ええ、フランカさんは昔私と親しくしてくださって、それがきっかけです。非常に珍しいものもいただいて、色々と尋ねる私によく優しく答えてくださり……』 「ミュラー」はよくある姓だ。「フランカ」も決して数が少ないわけではない。 フランカは手にした皿を滑り落とさないよう必死に掴みながら、テレビから流れる音声と映像を一瞬たりとも逃さないよう注視した。 すると画面上のアルフォンスはカメラに目線を移すと、にこりと笑んだ。 まるで、そこに誰かが見えているかのような雰囲気で。 『フランカさん、あの節はとてもお世話になりました。また湿地へご一緒していただけますか?』 瞬間、フランカはしっかり掴んでいたはずの白い皿を床に落とした。 自分の身体中をいつ何時もめぐる血が、このとき急激に冷めていくのが分かった。 間違いない。彼の言うフランカは、「あたし」だ。 CLOSE 2010/06/04 |