目の前で自分よりも大きい背中が揺れる。
そんな彼の後ろを付いて歩くこんな境遇が、前にもあったように思えて仕方なかった。

一瞬それがゼフィの心の中で、いつしかの草地での彼の姿とかぶって見えた。
ひどく懐かしかった。目の前のレアスの後姿が、ただ眩しかった。









天陽国  -14









予想通りだと、ゼフィは確信を持った。
森に入った時に感じた以前の興奮は色褪せてはいない。レアスと出会えるのだと足を速めた過去の記憶が鮮明に蘇る。

木立の間からちらちらと、草地が垣間見えてくる。
そのまま二人が言葉を交わすこともなく境界線に達すると、どちらからともなく足を止めた。

ゼフィはただじっと、レアスがこちらに振り返る時を待った。
彼は今、どんな表情をしているのだろう。いつものように微笑を浮かべているか、それともさすがに辛辣そうにしているだろうか。
レアスの顔を改めて見て胸が痛くなろうとも、とにかくこちらに振り向いてほしかった。

二人が草地で足を止めてから、いったいどれくらいの時間が過ぎ去ったのだろう。
かなりの時間が経過して、木々の間を縫って草地へと吹き込んでくる風の音を身近に感じてしまうほど両者は黙っていた。

「……まさか、とは思ったけどな」

突然人間の声が降るように現れて驚いたが、すぐにそれはレアスの声だと分かった。

「何も知らなかったのは、俺か」

レアスがゆっくりとこちらに振り向く。
その表情はどこか困ったような呆れたような、それでも優しい笑みだった。

気持ちがぐらりと揺らぎそうになった。
ゼフィも精一杯の笑顔で笑み返してから、こくんと頷いた。胸が辛さでいっぱいになった。

しかしその穏やかな空気はすぐに手放さざるを得なかった。
ゼフィは背後に走った異様な気配を察知して、すぐに真顔に戻った。
そのまま腰に帯びていた長剣を引き抜き、切先を躊躇いもなくレアスの喉元へ突きつける。

「ゼフィ……!?」

レアスの自負は素晴らしいものだと、この瞬間に実感した。
もし彼が咄嗟に剣を抜いて防御に回っていなかったら、同じく剣を向けるゼフィに討たれていたことだろう。
互いの長剣が激しい硬質音を響かせて重なり合った。

レアスは驚きで瞳を丸くさせている。そんな彼にゼフィは無言で合図を送った。
重なり合う剣越しに視線を合わせ、そしてそのまま瞳をちらと右にずらす。
すると意味が分かったのか、レアスもその視線の先を追ってくれた。

(やっぱり、誰かいる……)

草地を取り囲むように立つ木々の間から、誰かの姿が垣間見える。
外見からして陽民国の若い青年だろう。彼はどうやら二人の対決を見ようとこっそり後をつけてきたらしい。

もしあのまま親しげに話を交わしていたらまずかっただろう。
ゼフィとレアスは互いに敵対国の長だ。
そんな二人が密かに交流を持っていると少しでも知られてしまえば、両国の暴動は更に勢いを増す。

「では、こう言うのはどうでしょう」

突然レアスは剣をゼフィ側に押しやって、十分に間を取ってから言った。

「互いに剣の名手だと聞きます。ここは剣で勝負する、というのは?」

レアスは薄らと口元に笑みを浮かべている。
どうやら練習試合を申し込まれたらしい。ゼフィも心なしか微笑んだ。

「はい、承知しました」

相手を見据えながら静寂の中で改めて剣を構え直す。
足場は悪いが、胸のどこかが今までにない緊張と興奮で高まっている。

知りたかった。彼と一戦を交えてみたかった。
相手は共に国を代表する剣の使い手だ。自分の実力がいったいどこまで敵うのか、それを確かめてみたかった。

ゼフィはここ数年、自分より強い者と出会うことがなかった。
いったいレアスはどのくらい強いのだろう。それが知りたかった。
剣を相手に向けたまま両者は同時に足を踏み出す。そしてすぐに、彼の実力は現れた。

(……すごい)

ゼフィは思わずレアスの剣の腕に感心してしまった。
今までの練習試合は練習といえども本気で取り組めばすぐに相手が白旗を揚げた。
だが違う。少なくとも、レアスだけは違った。

死角を突こうとすると、必ずレアスの剣が防御に回っている。
逆にレアスもまた自分の死角を突いてくる、その技術が半端なかった。刃を交える感覚、死角を突いてくるタイミング、技術、どれを取っても凄い。
ここまで手応えのある試合は恐らくそうそうないに違いない。

ふとレアスの表情を窺うと、彼もこちらの視線に気付いたのかふっと笑んだ。
ゼフィもつられて笑みを零してしまう。
これがもし本当に練習試合だったなら、そうだったならどんなに楽しかったことだろう。

「噂に聞いていただけはあります、さすが陽明国の長ですね」
「いえ、そちらこそ素晴らしい腕をお持ちで」

上辺だけの会話も、なんだか楽しかった。
裏にある彼の真意が「やっぱりゼフィは強い」と言っているのだと分かる。

どこの隙を突いても、レアスに舞うように交わされてしまう。
互いに剣を振りかざす際に舞う衣服と髪とが動きと相成って風に乗っているようで、まるで幻のようだった。
いつまでもこんな終わりのない試合が続けばいいのに、と願ってしまう。

だがいつまでもこうしている訳には行かない。
時間は限られている、勿論こうして剣を交えている時間にも限りはある。

(早くしなきゃ……)

ゼフィは剣を交えるその中で、ふとレアスの表情が曇ったことに気が付いた。
それでも彼の腕は未だに衰えることがない。

互いに一分の隙も見せない戦い。その中でゼフィは早くも次の死角を見つけた。
剣を握り直して、その隙をいち早く突かねばならない。そうでなければ相手にこちらの隙を見付けられてしまうだろう。

けれどどうせまた防がれてしまうに決まっている。
レアスはありとあらゆる場所にいくつも目を持っているかように身を翻してかわすのだ。
きっとこの死角も次に見つけるであろう死角も、いとも簡単に防がれてしまう。
そう思いながらも、ゼフィは強く握り締めた長剣をレアスの腹部目がけて突き立てた。


「……レ、アス?」


剣が何かを貫いた手ごたえのある感覚が、剣を介して己の手にびりびり伝わってくる。
いつになくレアスの顔が間近にある。ゼフィは彼の顔を見上げた。レアスは薄らと笑んでいた。

ゼフィは恐る恐ると視線を手元に移した。
今自分が手にしている長剣は真っ直ぐに、レアスの腹部を貫通していた。

それまで優雅に舞っていた二人の動きは止まった。
衣服も髪もすべてが落ち着いて、草地がしんと静まり返る。風が今吹き始めたかのように、ざあと激しく木々の葉を揺らす。

その一瞬で世界が白く塗り潰された気がした。
目の前で自分の手で、最愛の人がどういう状況に陥ったのか、ゼフィはしばらく理解することができなかった。













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2006/12/07