天陽国  -13









夜の闇に響くようにして、国境があるはずの森の向こうから硬い足音が聞こえてくる。
陽民国の民は、一斉に音のする方へと振り返った。

そうして突如暗闇から現れたのは、数十人の武装した男たちだった。
腰に帯びている長剣、ただならぬ威圧さえ感じられる気迫。完全武装という点では陽明に勝っているだろう。
夜も更けて眠い目を擦っていた子供たちは、咄嗟に母親の膝元にすがり付いた。

「長、この辺りで……」
「そうだな」

後ろから兵の一人が声をかけてきて、レアスは足を止めた。
胸に付けられている、天深国の長の証である金の勲章が、星明りを受けてちらりと光った。

レアスは目の前の古びた建物を見上げた。
外観からして陽明国の中心的な社寺か何かであろう。古いが、規模はとてつもなく大きい。
ぱっと見ただけでもこの社寺はかなりの年月を経ているはずだと分かった。少なくとも百年は軽いだろう。

絢爛な装飾が夜の中で唯一発光しているようだ。
社寺までの道には沿うように石の灯篭が立てられていて、それがいっそうこの風景を幻想化していた。

レアスは少し躊躇ったあと、顔だけを動かして周囲の様子を窺った。
境内のあちこちには、陽民国の民が顔を恐怖に引きつらせながら集まっている。
その民の中に探している少女がいるのではないかと期待しながら、視線を動かす。しかし目的の少女の姿はなかった。

陽民国の民は本殿を囲むようにして集まっている。まるで本殿を守っているかのようだった。
どうやら彼らの囲む先、この社寺の本殿に「守りたいなにか」があるらしい。

その時、ちりん、とどこからか小さな鈴の音が聞こえた。
途端に周囲の木々のざわめきも人の話し声も掻き消えた。

レアスは辺りを冷静に見回した。なにか異変が訪れるような気がした。
それを象徴するかのように本殿を囲んでいた陽明の人々は次々と、本殿から現れた人物に名残惜しんで道を開けていく。

「長の出陣だ……」

レアスの後ろに控えていた兵の漏らした一言で緊張が高まった。
今や天深国と陽明国の長の剣術の腕は、甲乙付け難いと噂になっていた、その相手が現れるのだ。

ちりん、ちりん、と澄んだ音が聞こえる。この鈴の音はいったい何なのだろう。
建物の本殿から続く人々の群れが綺麗に真ん中で割れて、その道を一直線にこちらへ向かって歩いてくる姿は優雅だった。
大人五人は優に入ることが出来る柄の付いた大きな笠を、それぞれ侍女二人が中央の人物を囲むようにして歩いてくる。

大きな笠の進行が止まると、同時に鈴の音もやんだ。
二人の侍女は中央の人物に互いに目配せして、笠を胸元に引き寄せるようにしてすっと後ろに下がった。
残ったのは顔を隠すように市女笠をかぶった一人の人間だけだった。

「陽明国の、長ですね」

レアスが言葉を発するのを待っていたかのように、笠をかぶっている人物は動いた。
すっと細い腕が服の裾から伸びてきて、顔を隠していた笠を掴む。するとそれを強くむしり取った。
透明だった鈴の音が、今やじゃらじゃらとうるさく鳴っていた。

鈴の音は笠についていた鈴なのだと分かった。
笠はむしり取った手を離れて、宙に浮かんで、それからゆっくりと地に舞い落ちた。

しかしレアスはその笠が落ちた場面を、なに一つと言っていいほど見ていなかった。
笠の下から現れた長だと言うその顔にただ目を丸くしていた。
互いの瞳と瞳が出会って初めて、周りの雑音がレアスの耳に飛び込んできたくらいだった。

「遅くなり申し訳ございません。陽明国の長、ゼフィと申します」







レアスと対面するのは久し振りだった。
ゼフィが天深国の長との打ち合いに際し着せられたのは、長の就任式で着たような豪華なものだった。
いったい彼はどういう服装で来るのだろう。ゼフィはそんなことを考えながら笠をむしりとった。

途端に侍女に結ってもらった髪が風に吹かれて舞い上がる。
ゼフィが顔を見せたと同時に、陽民国の民の、はっと息を呑むような声が聞こえた。
一方で天深国の兵が互いに顔を見合わせて囁き合うのが分かった。

「女だ」
「あれが、本当に長……」

今までの両国の長はどれも男性だった。
彼らにとって突然現れたゼフィの姿は、驚き以外のなにものでもなかっただろう。

ゼフィの現れた場はいっそう騒々しくなった。
だがゼフィが薄くレアスに笑みかけると、境内はまたしんと静まり返った。

「……そういうことか」

目を丸くして驚いていたレアスがふっと目を伏せて呟く。
その仕草はどこか自嘲めいているような気がした。
それからしばらく長い沈黙が訪れた。ゼフィとレアスの間を、穏やかな夜風が流れていく。

「今夜の話はそちらへ行っているでしょうか」
「はい、確かに」

くるも何も、彼から直接言葉を受け取ったのだ。受け損じと言うことはまずない。

「では今夜の決闘場は?」

予想だにしなかったその一言には、ゼフィは思わず面食らってしまった。
昨夜レアスから聞いたのは、今夜長同士の打ち合いがあるということだけだ。

果たしてそこまで話は出来上がっていただろうか。
動揺のあまり聞いたきり忘れてしまったような気もする。
ゼフィは眉間に皺を寄せて考え込んだが、ふと笑んでこちらを見つめてくるレアスを見た途端、勝手に口が開いた。

「はい、伺っております」

どうやらレアスにはなにか策があるらしい。
ゼフィはとりあえず話を彼に合わせることに決めた。

本殿の方へ振り返ると、いつの間にかずらりと相談役たちまでもが姿を現していた。
その中のシダを見つけたゼフィは、静かに目で合図して彼女を呼んだ。
シダはゆっくりと社寺の段を下りてゼフィの後ろで立ち止まる。

「これからは長の対決となります。今宵の夜が明けるまでにここへ戻ってきた者が勝者。今回の騒動もそれで終着。いいですね」

言いながら見回した陽明国の民は、強張った顔でこちらを見続けている。

「それまで誰も決闘場へ来てはなりません。もちろん、その間ここにいらっしゃる天深国の方々に手を出すことも長の命として禁止します。……シダ」
「はい。私がすべての責任を担いましょう」
「それならこちらにもその責はあります」

突然名乗り出た若い男の声に驚く。
ゼフィが声のしたレアスの背後を見やると、跪いていた天深国の兵の一人が立ち上がった。

彼は恭しく冑を取り、その場で一礼する。
綺麗なアッシュ色の髪が、ふわと夜の闇を背に浮かび上がって揺れた。

「天深国もお約束いたしましょう。これでも長の側近を務めております」

彼はにこりと挨拶をすると、再び兵の中へと戻って行った。
普通なら側近は兵になれない。その彼が、どうして兵に身をやつしてまで陽民国にやってきたのだろうか。
ゼフィはふと疑問に思ったが、あまり気に留めないことにした。

心臓が誰にも知られない場所で不規則に唸っている。
これからレアスと対決することになるのだ。緊張は保たなければならない。

「では、行きましょうか」

レアスは踵を返して社寺の道を逆戻りしていく。
彼の後を追って、ゼフィも落ち着いた足取りで本殿を後にした。

さっきは分からなかったが、よく考えてみれば決闘場としてあんなに好都合な場所はないだろう。
レアスのあの表情からして間違いない。
ゼフィは顔を上げた。目の前には大きな森が広がっている。その向こうには例の草地がある。

決闘場は二人が初めて出会った場所、あの草地に違いない。













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2006/11/18