天陽国 -12 ちりん。どこからか鋭く、それでいて涼やかな鈴の音が聞こえる。 薄暗い広い部屋にはいくつかの灯台があって、それが部屋に座している面々を照らし出していた。 奥にはまだ若いこの国の長が背筋を伸ばして座っている。 部屋の両脇にはずらりと無言のまま相談役たちが座っていた。 長の傍で控えている数人の侍女は、微かな泣き声を漏らすまいと必死に唇を噛んでいた。 「長、天深の一行が……」 伝達役の男が部屋の中へ戸越しに声をかけた刹那、部屋の一番奥の瞳は火が灯ったようにふっと開いた。 ちりん。鈴の音がどこからか聞こえてくる。それはまるで、この澄み渡った夜に響き渡っていくようだった。 細い腕が傍らに置いてあった長剣を手にする。 そうして陽明国の長が剣と共に立ち上がった姿を、既に涙を流す侍女はおろか、相談役さえ見上げることはできなかった。 思わず顔を上げてしまったら、今堪えている涙が不意に零れてしまいそうだった。 「参ります」 いったいいつからゼフィはこんなに大人になってしまったのだろう。 シダは相談役たちの中で俯きながらそんなことを考えた。 多分この中で一番落ち着いているだろう彼女の声色も仕草も、すべてが眩しかった。 当初はまだ若いと思った。ゼフィを長に持ってくるのは、まだ早いのではないかと。 だが近頃の彼女の姿は、怖いくらいに凛としていて美しかった。 ある侍女に聞くと、昨夜急に行方をくらませたゼフィはしばらく経ってから姿を見せたらしい。 しかしゼフィはすぐに部屋に閉じこもると、何時間も泣いていたということだった。 その数時間の内に何があったのか、誰も知るものはいなかった。 「……シダ」 ゼフィの近くに座していたシダは、ゼフィのその囁きに少しだけ顔を上げた。 「次の長、早く決めるように」 今まで面を上げられなかったシダも、ようやくその一言ではっとしたように目を開いた。 その間にゼフィは立ち上がり、静かな足取りは部屋を横断して行った。 気が遠くなるほど長い間物事を目にしてきたシダの瞳には、今まさに敵地へ赴かんとするゼフィの後姿が映った。 まるで嫁いでいくかのように整えられた服装、それと長剣を手に歩いていく勇壮なゼフィの姿は、誰か見知らぬ違う人のようだった。 シダがゼフィの異変に気付いたのは、今朝になってからだった。 ゼフィがなかなか部屋から出てこないと不思議に思って扉を開けた先にいたのは、今と同じようなゼフィの後姿だった。 あの光景からまだ一日も経っていない。 地平線が白んできた窓の外を見詰めながら、ゼフィは静かに、淡々と口を開いた。 ―――天深国が陽明国に宣戦布告をしてきました。本日の真夜中、長同士の打ち合いがあります。 何度も止めるように説得した。長同士の打ち合いとは言え、負けたら一生が終わりだ。 しかしゼフィは頑なに首を横に振るばかりで、辛い表情さえ見せなかった。 ―――いいの、分かってた。大丈夫。大丈夫だから……。 あの言葉の意味が、今になっても分からない。 それにいつ天深国から宣戦布告のための書簡が届いたのかさえ、シダの耳には入っていなかった。 (私は、辛うございます……) 長という立場を盾に、ゼフィは打ち合いを承諾した。 相談役は皆やめるように言った。だがゼフィはそれでも受け入れなかった。 ここで断れば両国の暴動がますます酷くなることは彼女でさえも分かっていた。 だからこそゼフィは受け入れるしかなかったのだろう。 彼女は今、国という一つの大きな存在を背負って部屋を出て行く。 部屋に残された侍女たちの啜り泣きは、嗚咽へと変わった。 相談役は長年生きてきた証でもある窪んだ眼を、いっそう彼方へと曇らせた。 辺りで微かに揺れる灯台は、いつまで経っても煌々と燃えている。 時折激しく炎を揺らめかせながら、それでも夜の闇に映えようと燃え盛る。 ゼフィの姿が消えた薄暗い部屋に、もう鈴の音は聞こえなかった。 侍女たちの泣き声が大きくなった。シダの皺だらけの頬に、ひっそりと涙が流れた。 BACK/TOP/NEXT 2006/11/17 |