天陽国  -09









陽民国の国務室の中から、絶え間なくペンを走らせる音が響き渡る。
一心不乱に書類に取り組むゼフィの周りには、気のせいかいつもよりも悶々とした重い空気が漂っていた。

「長はいったいいかがなさったので?」
「さあ、ずっとあのご様子でこちらも心配で……」

ゼフィの周囲に控えている侍女も相談役もしきりにゼフィの様子に首を傾げた。
今までは他人任せにしていた国事にも、この頃のゼフィは異様な執着振りを見せていた。

しかし国のために立ち上がってくれたはいいが、まったく覇気が感じられないのは問題だった。
ゼフィの明るさが失われてしまうと国民の多くは不安に陥った。

長としてはいい傾向にあるが、これはさすがにいけないと誰もが思い始めたのだろう。
先決として、まずゼフィの心情を明らかにするためにゼフィの元へ刺客が送られた。
その大役に抜擢されたのは、他の誰でもないシダだった。

シダは果実を入れた大きいバスケットを片手に昼の国務室の扉を叩く。
そのまま部屋の中に入ると、大きな机の上で山積みになっている書類を手にするゼフィの姿があった。

「長、本日は果実を持って参りました。召し上がられますか?」
「……うん」

虚ろな瞳に加えて生返事。ゼフィは誰が来てもあまり嬉しくはないようだった。
シダは近くの椅子に腰かけて果実の皮を剥き始めた。部屋中にいい香りが漂った。

今シダが手にしている果実は、ニコラと言う国内で結構人気がある果実だった。
需要が多い割りに多く取れるものではないので珍重されている。時期にもよるが、値段はそれなりに高い。
そしてニコラは、あの境界線際の草地にも育っている。

「愛って」

シダが国務室を訪問してしばらく経ったあと、ゼフィがぽつりと呟いた。

「愛って、いったい何……」
「まあ、長もそのような年頃ですか」

シダは思わずふふと笑った。
最近ゼフィが悩みごとをしていると思えばそれは恋の悩みで、しかもこの様子では想い人がいる。
久し振りにいい退屈凌ぎができそうだ。シダの、自然とニコラの皮を剥く手作業もはかどった。

さて、いったい愛の何にそれ程悩んでいると言うのだろう。
シダは楽しそうな雰囲気を見せないようにして、それとなく口を開いた。

「想いは生きる限り続くものです。それは決して邪魔なものではありません」
「でも、時には……」
「例えそうであったとしても、それだけで人は幸せになれる。愛は素晴らしいものですよ」

ニコラの皮を剥き終えて食べやすいようにと小さく切っている時、ゼフィの溜め息が聞こえた。
シダは怪訝な顔でゼフィを見た。これほど説得していると言うのに、何が気に入らないのだろう。

想い人がいるならその想いを打ち明けてしまえばいい。
打ち明けることもできないほど事情が込み入っているのか、今の口数の少ないゼフィからはよく分からなかった。

「好きになっちゃいけない人を好きになるって、辛いから……」

沈痛そうな表情で切り出されたゼフィの言葉に、シダは言葉を失った。
近頃のゼフィはどこか変だと感じていたが、やはりおかしい。
彼女のこの思い詰め方は、いつもの彼女からは考えられるものではなかった。

ゼフィはいつも明るく振舞っていた。
だから国内からの人望も厚い。長へと推薦された時も、満場一致だった。
だが彼女がここまで悩むとは、いったその恋はどんなものなのだろう。シダはあれこれ考えてみたが、結果は出なかった。







シダの姿が国務室から消えて、いっそう静けさが訪れたような気がする。
書類ばかりに目を通すのにも飽きた。だが、他にやるべきことがなかった。

ゼフィは小さく切られたニコラの実を楊枝でつつきながら考えた。
あの時、レアスは好きだと言ってくれた。だが自分はごめんなさいと繰り返し言うだけで他には何も言えなかった。

どうだったのだろう。自分は本当にレアスを好きだったのだろうか。
ずっとこのことばかり考えているが、スッキリする答えは出なかった。

まるで敵対国にある民なのだから恋をしてはいけないのだと、制限をかけられたような感じだった。
行きすぎた規律は嫌いだ。それにいつまでも悩みすぎる自分も嫌いだった。

「あー腹立つ!」

ゼフィは、ばんと書類が積まれている大きな机を叩いて立ち上がった。
部屋がみしりと奇妙な音を立てて揺れた。

最後にレアスと出会って告白されたあの日、その告白の際にすんなり唇まで奪われてしまったことが未だに飲み込めない。
あの時のレアスの表情、仕草、どれを思い返しても顔が赤くなってしまう。

何故か分からないが無性に腹が立った。
それはレアスに向けてなのか、それとも何も変わらない自分に苛立っているのか。きっと後者であるような気がした。

(……そうかもしれない)

気付いていないだけだった。気付こうともしなかった。
自分の気持ちに嘘をついて、逃げ回っているだけだったのかもしれない。

レアスが好きだった。どこか冷めているのに優しくしてくれる彼に絆されていた。
異国民だという事実があったが、結局は関係なかった。
草地での一時はそんな関係を忘れさせてくれた。

やっと納得のいく結論が出た時、既に日は落ちていた。
机上にはニコラが皿の上で夕焼けを反映している。さっきまでいたシダの姿はもうない。
ゼフィは静かに立ち上がって、夕焼けを映す窓から天深国の方角をいつまでも眺め続けた。

「私も、好きだった。レアス……」

だがもう二度と会うことはないだろう。
それは互いに一国の長として別々の道を歩むことになると、知っているから。













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2006/10/28