天陽国 -07 不覚だった。もう少し気持ちの整理をつけてから草地に行くべきだった。 こともあろうか、気持ちの整理が付かないうちにレアスに散歩に誘われてしまったのだ。 だが散歩と一口に言っても天深国と陽明国の国境際を並んで歩くだけだ。 それでも本当は断りたかった。 最近はどうしてか、レアスといると気持ちが昂ぶって顔まで赤くなるようでどうしても恥ずかしくなってしまう。 しかしゼフィはとっさのことで断る理由などとても思い付かなく、ただ頷くしかなかった。 レアスはゆっくりと草を踏みしめて歩いていく。ゼフィも歩調を合わせて彼の横に並んだ。 「具合はどうだ?」 歩き始めて少しあと、レアスが突然切り出してきたのでゼフィは驚いた。 「……ま、まあまあ」 「そうか」 それきりレアスはまた黙り込んでしまった。 ゼフィはちらと横目で彼の姿を窺いながらも、同じく黙って歩き続ける。 いったい彼はなにについて話したいのだろうか。 今日だってレアスは先に草地へ足を運んでいて、どうやら自分を待っていたらしいのだ。 そんな彼の行動に、思わず本来の目的である薬草を摘み損ねてしまうほど動揺してしまった。 それにこの頃のレアスの様子は、いつもと違って変だった。 彼はどこか憂いを帯びているような、なにかに悩んでいるようなそんな表情を見せる。 「悩みごとでも、あるの?」 ゼフィは歩きながら、それとなく口を開いてみた。 「私でよければ聞くけど。長ってそんなに大変?」 「……そうだな」 素っ気ない曖昧な返事、どうやら彼の問題は悩みごとではないらしい。 ゼフィは今日はレアスの思う場所へただ付いて行こうと決めた。 近頃レアスと過ごすようになって、少しだけレアスの心が読めるようになってきた。 だが今日のレアスは何を考えているのか、さっぱり分からなかった。 長に関しての悩みでないなら、いったい何なのだろう。 「陽明は、いい国か?」 どうやら今日は尽く話題が噛み合わない日らしい。そう思いながらもゼフィは小さく頷いた。 「うん、いい国。みんな暖かいし、平和だし」 平和という点については、境界線沿いの土地争いを除けばの話だ。 国境際の土地は今でも両国の争点となっているに変わりない。 早く問題が解消すればいいと思う。だが待っているだけでは何も起こらないのも承知の上だ。 ゼフィは静かに次のレアスの言葉を待った。 待っている間、心臓が身体の奥でどくんどくんと絶え間なく強く鼓動する。 「戦は、したくない」 突然紡がれたレアスの言葉が、ふとゼフィの心の中に幾重にも反射した。 やはり彼は悩んでいた。しかも大きな問題に直面している。 結局、国は違えど考えていることは同じなのだ。 だが風土と風習がその考えを歪めてしまった。争っていても、共に幸せでありたいと願うのは同じだ。 ゼフィは少し躊躇ったあと、ぽつりと切り出した。 「私も……戦争は嫌い。人が人じゃなくなるから」 レアスに触れたかった。 沈痛そうな顔をする彼の手を取って、慰めたかった。 しかしそれはできなかった。境界線が永遠に二人の行動を束縛し続けている限り、相手に触れることは許されない。 今までいったい何度、この区切りがなかったらと後悔したことだろう。 天深国と陽民国を隔てるものがもし何もなかったら、すぐにでも向こう側へ飛び込むに違いない。 では代わって自分が彼のために出来ることはあるのだろうか。 ふとそのことを考えたとき、ゼフィの心は少しだけ晴れたような気がした。 「ね、見て。空が綺麗」 二つの国から同時に見上げる一つの空は今日も明るい。 真っ青なコバルトブルーの濃い空に、純白の雲が青空を切り抜いたように浮かんでいる。 住む場所は違うけれど、視界に入れる風景は同じだ。 早く大勢の人々がその事実に気付けばいいと思う。そうすれば何かが少しでも変わるのではないだろうか。 ゼフィとレアスの間を、気持ちのいい風が下から上へと吹き抜けた。 「できるって信じてる」 ゼフィは言いながらレアスの方に向き直った。 「信じてる。天深と陽明が昔のように、また平和になるって」 数百年前は天深国と陽明国の関係は穏やかだったらしい。 国同士の交流も盛んで、国境はないにも等しいものだった。 しかしこの土地が資源豊かな場所だと判明した途端に両国の歪みが生まれた。 それまで分け合っていた土地の領有権をどちらに属するかで、戦が起きるほど混乱した。 それは両国に互いが敵国としての認識をいっそう強く植え付けた。人々の交流は驚くほどあっさりと途切れた。 木の葉の風を乗せるざわめきが一瞬だけ止まって、すぐに一斉に鳴り出す。 ああ、もうすぐ陽明に戻らないとシダが心配する。ゼフィは周囲の風景をぐるりと見回した。 しかしゼフィが時間を気にし出した時、急にレアスが腹を抱えて笑い出した。 いったいどういう心境の変化なのか分からない。ゼフィはただ呆気にとられて、彼を見詰めることしかできなかった。 「ゼフィ見てると、どうかするな、俺」 「え……?頭がおかしくなるとか?」 あくまで真剣に問うゼフィの姿がおかしかったのか、レアスはまたもぷっと吹き出した。 何故かは分からない。だがレアスが笑顔を取り戻した、ゼフィにとってはそれだけで嬉しかった。 彼にもっと笑顔を届けるためにも、自分も長として頑張らなくてはいけない。 ゼフィも思わず笑みを零してレアスと共に笑い合った。 可能ならこの幸せな時間が長く続きますように、と願う。 苦しい時間はどちらにとっても辛いものだ。だからこそどうか、本当の平和が早く訪れますように。 BACK/TOP/NEXT 06/08/02 |