陽明国では後日、盛大な新長就任祝が催された。
もちろん新たに長となるゼフィ本人の意思はまったく無視してのことである。

だが「長」と聞いて、長就任に対してあまり乗り気でないゼフィの頭に浮かんだのはレアスの顔だった。
それは目の前に並べられている豪華な食事にも手が出せないほど色濃いもので、何故なのか不思議でたまらなかった。
この時のゼフィの溜め息を数えていた者によると、それは驚くべき回数だったらしい。









天陽国  -03









昨日と同じ、今日も清々しい晴天が広がっていた。
しかし陽民国と天深国の間に位置しているこの土地に入ると、その眩しい青色は木々の葉で薄らと遮られてしまう。

ゼフィが座り込んでいる足元には色が真新しい緑の絨毯が広がっている。
草地にはゼフィが必要としている薬草だけではなく、ありとあらゆる他の草花も多く息衝いて、地面を埋め尽くしていた。

ああ、なんて穏やかな一日なのだろう。きっと今日という日もゆっくり流れていくに違いない。
草地に差し込んでくる木漏れ日の間を縫って飛んでいく小鳥を目で追いながら、しかしゼフィの心臓は激しく鼓動していた。
ゼフィは少し躊躇ってから、それでもむっと眉根を寄せた顔のまま天深国側に振り向く。

「どうして、またそこにいるのよ……」

だが今日、この場所にいるのはゼフィ一人だけではなかった。
ゼフィが振り返った先、境界線を挟んだ天深国側の草地には、紛れもないレアス本人が立っていたのだ。
訝しげなゼフィの問いに、黙って突っ立っていたレアスは素っ気なく答える。

「それはこっちが訊きたい。薬草は週に何回も摘むものなのか?」
「今日はただここに来てるだけ」
「俺もそうだ」

彼の意味不明な答えにますます訳が分からなくなる。
いったいレアスは何のつもりでこの危険と隣り合わせの草地に足を運んでいると言うのだろう。

もしかしたら「ただ草地に来ているだけ」と言うのは単なる口実に過ぎず、異国の民である自分は彼に騙されて殺されてしまうのではと懸念したが、彼の様子を見ている限りではそんな気はさらさら無いらしい。
ゼフィはしばらくレアスの方をじっと見詰めてから、ふいと顔を逸らした。

「じゃあ私、勝手にするから」
「どうぞ」

今までなら、この草地に来ると空を見るか天深国の方角を漠然と眺めて時間を持て余すかのどちらかだった。
だが今日は何をするにもレアスの存在が気にかかる。見えない視線を背中越しに感じる。
彼は今もじっと天深国側の草地の周囲に根を張る木の幹に凭れかかって、こちらをずっと見ているようだ。

最初こそは耐えていれば、レアスはすぐにでも飽きて去るだろうと思っていた。
だがいくら時間が過ぎ去ろうとも彼は微動だにしない。

二人以外誰もいない草地にただならぬ静寂と緊張が同時に流れる。
ゼフィは陽明国側に視線を戻したはいいものの、息が詰まりそうで顔を伏せた。
そうして数秒後、ついにその雰囲気に耐え切れずにそれまでの沈黙を破ったのは、レアスではなくゼフィの方だった。

「気になる!我慢ならない!」
「そこに境界線があるだろう。個人の自由だ」

大人びた外見からは想像も出来ない屁理屈を言われて、ゼフィは思わず驚いて固まった。

「用があるなら言ってよ。分からないじゃない」
「なら質問してもいいか?」
「答えられることならね」

ゼフィは無愛想にまた彼に背を向ける。
レアスは尚も木に凭れながら考え込んだ後、ふと思い出したように口を開いた。

「陽明国で剣の腕がたつ人間はいるのか?」

この時のゼフィの心境といったら半端なものではなかった。
それはまるで敵地に丸腰のまま放り投げだされた気分だった。

ここで何と答えればいいのか、心中で激しく葛藤したのは言うまでもない。
ゼフィは自他共に認める国一番の剣の使い手である。
だがそれを公言したことによって彼の興味を買い、挙句の果てに殺されてしまえば本末転倒だ。

「いる……って言ったら?」

ゼフィはそれでも恐る恐る訊いた。

「そうだな、まずは手合わせ願いたい」
「負けるかもしれないのに?」
「甘く見ないでもらいたいな。これでも天深国で俺の右に出る者はいるかいないか……」

偶然出会ったにしては変な境遇だ。
ゼフィは思わず苦い顔をして、それからその表情のまま笑った。

それまで自信あり気だったレアスの顔にふと影がさす。
意味が分からないのは仕方ないだろう。ゼフィの存在は陽明国内では有名でも、敵対する国の民は知らないに違いない。

「何故笑うんだ?」

レアスはむっと眉間に皺を寄せている。やはり解せないようだった。
彼に嘘は通用しないと見て、ゼフィはこれだけは正直に打ち明けようと思った。

「実は、私の家が代々の剣術教室なのよ」
「それは驚いたな。ゼフィも剣ができるのか?」

一瞬答えに詰まったが、またも曖昧に誤魔化すことにした。

「親の影響で少しはね」
「なら今度、剣を交えようか」

ゼフィは今度こそ驚いて、どうやって切り返したものかと悩んでしまった。
練習程度で剣を交える分にはまったく問題もないし構わないのだが、本気で向かわれては困る。

親からお前は手加減を知らないとくどくど言われて、初めて本気を出すとあまり好ましくない状況に陥るのだと分かった。
万が一でも、レアスに勝ってしまったら弁解の仕様がないではないか。
ゼフィはまたも誤魔化すために必死で固い笑顔を作ってみせた。

だが彼とこうして話していて、不思議と息苦しさは感じなかった。
その後レアスと何回も会うという異常事態になっても、そのわずかな時間だけは互いが背負っているものの存在を忘れられた。

(……きっとレアスは、天深国の長に違いない)

互いに一国を背負い、いつ隣国との均衡が崩れるのか怯えながら毎日と戦っていると言う点は同じだ。
しかしゼフィは未だにレアスに対して、自分が長であると言う事実を隠し通していた。
怖かった。彼にそれを知られてしまったときに何かが崩れるような気がして、それが無性に怖かった。

だが同時に罪悪感を感じる。
相手が長だと知りながら、自分が長だということを今も隠しているのだ。

レアスは自分が長だと知った時どうするだろう、と考えてはゼフィは首を横に振った。
他愛もない会話を交わしたと言っても、ゼフィがレアスにその事実を告げたとき、彼は腰に帯びているその剣を突きつけてくるだろうか。
ほんの好意を持っても、やはり敵対する国同士は永遠に敵のままなのだろうか。

レアスはまだ天深国側の木々にもたれてどこかを漠然と見詰めている。
そんな彼の顔をちらと窺ってから、ゼフィは足元の草花にそっと視線を落とした。













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06/07/15