夜の闇の中に薄らと浮かび上がるように、足元では細い草が青々と茂っている。
その上に広げられている雑誌のページは、時折吹きつける夜風によって数枚、また数枚と捲られていく。
ちらと横目でそれらの光景を見送った梢は、頭上で瞬く何千もの星に向かって胸元で軽く手を組んだ。

(とにかく、駄目でもともとだし……)

所詮、これもまじないのうちの一つだ。
叶うも叶わないも今後の自分の努力次第だろう。普段神に祈ることのない人間なのだからもっともだ。
梢はだいたいそんな自虐的なことを考えながら、形だけの祈りを捧げた。

しかし、夜空に向かって祈ることに夢中だった梢は気がつかなかった。
梢が祈りを捧げたまさにそのとき、夜空の中でも一番眩しい星が強く煌めいたということに。









星の王子様









この願いが本当に天に届き、祈りが成功したらどうするのか。

祈るにつけてそんなことを一応考えてはみたが、やはりこれは迷信かなにかに違いないだろう。
足元に放り出されている雑誌のとあるページには、「必ず祈りが叶う」と言うなんとも嘘らしい記事が掲載されている。
日づけが変わってから星に向かえだの、条件は流れ星が見える頃がいいだの、嘘にしては方法は意外と複雑であった。

梢は、別に本気で信じて、こうしてわざわざ真夜中に星に向かっているわけではない。
今夜はなにかの流星群が近づいているらしく、見物ついでに何年か前の雑誌を引っ張り出してきただけ。ただそれだけのことだった。

「ま、願いなんてないんだけどね」

梢は小さく呟きながら、今この瞬間にいったいいくつの流れ星が流れただろうかと推測してみた。
一つ、いやもしかしたら三つは軽いかもしれない。

「一つだけだ」

どこからともなく急に現れた声に、梢は驚いてそれまで伏せていた顔を上げた。
ここは人気がまったくと言っていいほどない河原沿いの土手だ。それなのにこんな遅い時間、皆寝静まっている頃にいったい誰なのだろう。

急いで辺りをぐるりと見回した梢は、しかしそこで目を見張った。
眩く降るような光と共にいつの間にか梢のすぐ隣にいたのは、あろうことか「人間」だったのだ。
例え隣のこの人物が「人間」でなくとも、今自分は夢現の最中にいると疑ったに違いない。

「一つだけ、お前の願いはなんだ?」
「……は?」

梢の隣に立っていたのは、中世ヨーロッパ風の出で立ちの若い男だった。
しかも急に現れた挙句、彼の言うことまでが支離滅裂だ。これでは完全に不審者ではないか。
だがさっと彼の姿から目線を逸らした梢は、途端に、ふふ、と小さく苦笑した。

「今覚めないでよね。これ結構いい夢だし」
「おい早くしろ、俺も忙しいんだ」
「でも夢なのにリアル……。わ、これ本物の金髪? すごいキラキラ!」
「なに触ってんだよ!」

彼は一つ重い溜め息をつくと、一人自分の世界に浸る梢をよそに面倒そうに頭を掻いた。

「さっき俺を呼んだのはお前だろう? 願いがあるなら早く言ってくれ」

彼のその言葉に、梢の嬉しさに満ちた表情は一瞬にして硬直した。
そしてその目は無意識のうちに、梢の足元に無造作に広げられている雑誌に移る。

「……わ、たし?」
「他に誰がいるんだ」

梢はその瞬間、思わずこの夜に似つかわしくない大きさの声で叫びそうになった。
だが叫ぶことができなかったのは、慌てた金髪の彼の手によって無理矢理口を塞がれたからである。

「騒ぐな馬鹿!」
「ちょっと待って、話が飲み込めないんですけど!」

彼の手を払いのけながら焦る梢に対して、二度目の彼の深い溜め息が聞こえた。

「俺は一応ド偉い立場にいる、ステルだ」
「え、偉いの?」
「流星群の影響で、普段は星に祈りもしない癖に大勢が祈りやがってな。こっちの世界が手一杯で俺も回されてるんだ」
「よく分からないけど大変そうね」

未だにステルと名乗った金髪少年の話が飲み込めなかったが、梢は黙殺した。
彼の話をどうしても信じたくはなかったのが、最後まで聞いていた梢は、なぜか信じざるを得まいという気がしてきて怖くなった。

梢はちら、とステルと名乗った金髪少年の顔を見た。
どうやら今も変わることのないこのステルの真剣な表情からすると、話は真実――つまり、彼は本当に自分の願いを叶えてくれるらしい。

「でも……願いごとないから」
「は!?」

しかし梢がぼそり、と呟いた言葉に対し、ステルはいきなり素っ頓狂な声を上げた。
これっぽちも予想もしなかった彼の反応に、梢は驚いて首を横に振る。

「いやいやいや! だって願いごとよ!? 試してみようかなあってただ単に思うのは自由じゃない!」
「お前な……。願いごと叶えなきゃ俺は帰れねーんだぞ?」

ステルは口を噤んでからすぐに、足元に生い茂る草の上にどかっと腰を下ろした。

「じゃあさくっと考えてくれ」
「……意外と適当なんだ」

半ば呆れつつ、梢もステルの隣に腰を下ろす。
まったく、こんなにも中途半端に仕事をこなす彼が、「ド偉い」立場にいるなど想像できない。いったい彼の世界の仕組みはどうなっているのだか。

嘆息と共に顔を上げた梢の視界には、夜空いっぱいに浮かぶ星たちの煌きが飛び込んできた。
それはまるで、心の中が一気に浄化されていくようだった。幻想的であり、魅惑的でもあった。
梢がそれらの瞬きを目で追いながらいろいろなことを考えていると、ちょうど流れ星が一つ、銀色の尾を残して綺麗に流れて行った。

「また流れたな」

隣から聞こえてきたステルの声が、なぜかこのときの梢の頭に心地よく響いてきた。
同時に、梢は自分の心臓がぐっと外部から締めつけられるような苦しみを感じた。

「……どうしよう」
「なんだ?」

驚いて顔を覗き込んでくるステルに、梢はえへへと苦笑してみせた。

「ううん、ごめん。なんでもない」

いや、厳密に言えばなんでもなくはない。
今まで浮かばなかった願いは、この瞬間に生まれてしまったのだ。
しかし自分で言うのもなんだがその願いごともどうかと思う。「ステルと一緒に今夜だけでいいからこの空を眺めていたい」とは、今夜の自分は本当にどうかしている。

だがその願いを言っても、結局ステルはここに留まることになる。
願いごとを叶えればすぐにでも彼の仕事は終わるのに、これでは一晩終わらないではないか。
梢は次第に深くなっていく矛盾に頭を悩ませた挙句、無駄な足掻きとは言え、この夜空にもう一度流れ星が出るか祈ってみた。













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06/01/19