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天を突くように眩しい青空が、じんと目に染み込んでくる。 暖かい太陽の光を目蓋で遮りながら、リリィはなだらかな草原に仰向けに倒れて心地よさに埋もれていた。 胸の上の愛読書が飛んで行かないように手で軽く抑えながら、草原を吹き抜けていく風を肌で感じる。 そうしてただ漠然と時をすごしていると、自分の心拍数が地球の鼓動と共鳴しているようで不思議な感じがした。 ああ、まるで生きとし生けるものすべてと共鳴しているようだ、と思う。 いつまでもこうやって何事もなくすぎていけばいい。 リリィは頭の片隅に居座り続ける面倒なことをちらと思い出しながら、再度目蓋を閉じた。 花祭り 「随分探しましたよ、リリィ」 草を踏みしめる乾いた音と共にリリィの頭の横に一人の人間の影が現れたのは、リリィがうつらうつら眠気と戦っている真っ最中のことだった。 リリィは目蓋を半分だけ持ち上げて、草原の上で仰向けになったまま急に現れたその姿を認めると、すぐに眉根を寄せてふいと顔を背けた。 「ヴァルに探される覚えはないけど」 「そうですね」 ヴァルと呼ばれた青年は怒るでもなくにこと笑み返すと、仰向けになっているリリィの隣へ腰を下ろした。 なんの用があって彼はここまでやって来たのだろうか。この草原一帯はそうそう用事があって通るような場所ではない。リリィはちらとだけそんなことを考えた。 だが彼がここに来た理由など、いくら考えてもさっぱり思いつかなかった。 いや、それで合っているのだ。実を言えばヴァルの考えることは、特に最近になっては分からないことの方が多い。 リリィが考えることを諦めた途端に、穏やかな風が二人の髪や衣服を、まるで連れ去ろうとでもするかのように吹いた。 本当に穏やかで、いっそ穏やかすぎて流れ行く時間さえ忘れてしまいそうだった。 彼とこうしてなんの隔たりもなく会話をしたのは、いったい何日振りのことだろう。 リリィが次に考えたのは、さっきと同じく他愛もないことだった。 リリィとヴァルは世間的に幼馴染という間柄だった所為なのか、そこらの友人よりも気心が知れている。よくこの辺りの草原を駆け回っては、意味もなく転んだりして笑い合ったものだった。 パステルブラウンの柔らかい髪、それに優しくてどこか冷静な瞳。 変わっていない。リリィが憶えている限り、昔のヴァルからそれだけはまったくと言ってもいいほど変わっていなかった。 あれこれ昔を思い出しつつ見上げる彼の横顔は、いつもより整っていて異世界の人間のようだった。 そう、なにが変化したと聞かれるならばそれが変わってしまったのだと即答できよう。 ヴァルの顔立ちが整っていること自体に難はないが、問題はと言えばその外見に影響された周囲である。 リリィと同じ年頃の少女たちは、傍目から見ても分かるようにヴァルをかなり気にかけている。 彼の人気は十数年前よりも遙かに高くなって、この村で一番美男子だと言う話もちらと聞いた。 これは風の便りで耳にしたことなのだが、ヴァルは毎月かなりの告白を受けているらしい。それなのに彼は未だに誰ともつき合っていないというのだから腹が立ってくる。つき合うくらい、別にいいではないか。減るものでもなし。 「……昔は、ただ可愛いだけだったのに」 無意識に後悔と思い出が入り交ざった言葉がリリィの喉の奥から漏れて、青空に向かって放たれる。 「なにか言いましたか?」 「別に。なんでもない」 完璧に無愛想な態度で返すと、リリィはすぐヴァルと反対の方向に顔を向けた。 本当に投げやりな気分だ。いっそ槍投げでもするか。いや、肝心の槍がない。 「来週」 そのとき、今まで黙っていたヴァルが唐突に呟いた単語が、そっぽを向いたリリィの背中越しに聞こえてきた。 同時にリリィの脳はみしっと軋んだ音を立てる。 来た。恐らく彼は、自分が今まで逃げ続けてきた言葉を紡ぐだろう。リリィはそれが面倒で、心の中でチッと舌打ちした。 「リリィ、来週、花祭りがありますよね」 「……ある」 「リリィは出るんですか?」 「……出ない」 「さっきから一言単語になってますよ」 まさか彼からこの行事について話に出されるとは思ってもみなかった。 本当に今日の彼はなにを考えていると言うのだろう。彼から顔は背けているものの、身体が硬直した。 花祭りとは、リリィやヴァルの村に代々伝わる伝統の春の行事である。 それは年に一回だけ開かれ、村の中心街が「花祭り」の舞台となる。男女が角笛や打楽器に合わせて踊るだけの春の祭典だった。 しかしそれが普通の祭りと違うのは、花祭りの最中に踊った相手と、上手くいけば一緒になれるという噂が昔からあるからなのだろう。そのため毎年村中の老若男女が挙って集まるくらいだった。 だがリリィはこういった類はアウトオブ眼中、嫌悪さえする程だった。 それに少なくとも年頃の娘の一人であるリリィに言い寄ってくる男は多かったので、リリィはこの行事に慣れると同時に辟易していた。 「リリィの民族衣装も見たいんですけどね」 柔らかな口調のヴァルの言葉が背後から聞こえてくる。 「今着てる」 「これは普段着じゃなくて?」 「変わらないでしょ」 ヴァルからの返答はなかった。 しかししばらくしてから、ぼすっと、なにか重い物が落ちるような鈍い音が聞こえたので、違和感を覚えたリリィは思わず寝返りを打った。 そこにあったのは見慣れた顔だった。さっきまで座っていたはずのヴァルが同じく仰向けに倒れていて、昔の面影を残す顔がこちらを向いて苦笑していた。 どくん、と心臓の拍動する音が耳にまで届いた。 血液が一気に身体中を駆け抜けていくようで、勢い顔まで熱くなる。 「僕は、リリィと出たいんですが?」 いっそう近くで響く彼の優しい声に、身体の奥のなにかがぐらりと揺らいだ感じがした。 だがリリィはすぐにはっと我に返ると、自嘲気味にハッと笑って吐き捨てた。彼に一瞬でも絆されかけた自分に嫌気が差した。 「……あんなの、伝統じゃない」 風が耳元でざわざわとうるさく唸っている。 ああ、なにもかもが嫌だ。花祭りだなんて、なければよかったのに。 「男に、声をかけられるのが嫌なのですか?」 相変わらず物怖じしないヴァルが目の前で小さく笑う。 けれど返答するのも癪に障ったので、リリィは相変わらず黙ってやりすごした。 「こちら側からすれば、女性も男性とあまり変わりませんよ」 「……なんでよ?」 「花祭りに行くから分かるんです」 ヴァルはにこにこと意味ありげに微笑みながらこちらを見ている。 ふと、年頃の娘はこういうヴァルの表情に惚れるのだろうか、なんてことを考えた。 けれどどんなに彼に口説かれても、今のこの状況では誰もなにも信じられなかった。 リリィは顔を天に向けると、青い空の中に漂っている、すっぽりと綺麗に切り抜いたように真っ白な雲をじっと見つめた。 「男はみんな軽薄なものよ。すぐ離れていくって……」 途端にヴァルの吹き出して笑う声が、リリィの耳に届いた。 「まるで、経験者のように語りますね」 「友達の体験談」 「それはお気の毒に」 少しの沈黙があった。 ヴァルの「うーん」というわざとらしい唸り声が聞こえたので、恐らく彼はなにかを考えているのだろうとだけ思った。 「では花祭りでリリィが軽薄な男に誘われないと約束したら、行こうと思いますか?」 「約束って……意味が分からない」 「行きますか?」 徐に笑いながら口を開くヴァルの雰囲気に惹かれて、リリィは空から視線を移すとヴァルの顔を見た。 「……それ、本気で言ってる? まさか、できるの?」 たかだかヴァル一人に、そんな村中を巻き込んだことなどできるわけがないと思った。 だから半分からかうようにして聞いたのも極普通のことだった。 だがその直後に見せられたヴァルの、驚くほど背筋が凍る笑みを認めたとき、リリィは、しまった、と思った。 背筋を凄まじい勢いで這い上がってくるような、嫌な予感がリリィの全身を戦慄させた。 幼馴染を舐めてはいけない。こういうときの彼は、なにか確信を持って行動しているのだと知っている。 リリィは半身を起こして反射的に後退する。 しかしその好機を昔から行動を共にしていた幼馴染が逃すはずもなく、リリィの腕はすぐにヴァルの手に捕らえられた。 今まで青空を見ていたリリィの視界が、ふっと影を落としたように薄暗くなる。同時につまるような息苦しさも覚えた。 唇になにか柔らかいものが触れている感覚がある。 なにが起こったのだろう、なにが起こっているのだろう。思考回路はまったくちっとも働いてくれない。 リリィが、目の前にあるのがヴァルの顔なのだと気づいたのは、彼の顔がリリィから離れたあと。 もっとよく言えば、ヴァルが互いの顔を離してにこと偽の笑顔を取り繕って、その間、遠方に控える右の山から左の山まで鳥が一羽、飛び去ったあとのことだった。 「ヴ、ヴァ……ッ!?」 「保証しますよ。僕は軽薄じゃないと自負してますから」 優しく風のように笑うヴァルの笑みがなぜかひどく心臓に悪い。 彼の切れ長の瞳に射竦められて、リリィの心臓はまたも大きく唸った。顔が沸騰したヤカンのように一気に熱くなった。 (今、なに……っ!?) 思わず口を押さえてもまったくわけが分からない。 困惑するリリィを他所に、ヴァルはただ涼しい顔をして笑っていた。それだけだった。 山の空は暮れつつあった。さっきまで透き通るように青色だった空が、山際からほんのり茜色に染まってくる。 風が冷たく頬を撫でるようになった。ああ、これから夜が来るのだ。 早く家に帰らなければ。あとは、そう、花祭りの準備もしなければ。 隣にはどこまでつき合う気なのか、ヴァルが草原の上に未だに腰を下ろしている。 自分は、と問われれば、再度草原の上に仰向けに倒れてそんな茜色の空を彼と同じく漠然と眺めている。 退屈じゃないのか、訊こうと思ったがやっぱりやめた。 花祭りに行ったらどうなるのだろう。 ヴァルが責任を負うのだということも唇に触れたあの感覚もまだ上手く処理し切れなくて、完全に日が山の向こうに落ちるまで、二人は並んで昔のように暮れ行く夕日を眺め続けた。 CLOSE 05/02/28 |