力いっぱい振り切ったと同時に、手に腕にじんと痺れる感覚が残る。
そうして白い玉は手元に乾いた気持ちのいい音を残して飛んでいった。瞬間、背後からわあと沸きあがるような歓声と拍手が起こる。
夏の匂いがする青空に吸い込まれて、白い玉はぐんぐんとどこまでも飛んでいく。

走った。喜ぶ同級生の祝福に躊躇いがちに笑み返して、白いラインに沿って走った。
その盛り上がりようは、他の試合を観戦していた人がまでもが大勢振り返ったほどだった。









第三章  -07









「あーつーいー!」

この茹だるような暑さに我慢ならないとでも言いたげに、雫が声を張り上げて文句を言う。
そんな彼女のやや大きい嘆きに、周りにいた生徒が何人か振り返った。

「もう、なんで七月に球技大会なのよ。毎年のことながら暑いわ、秋にしてよ!」
「でも雫も内部進学でしょ?咲が丘の高等部だったら五月に体育祭だから、今年っきりじゃない」
「だからって楽しめないわよー」

白い体育着の上をパタパタと仰いで涼を求める雫に苦笑してから、音色は下駄箱の中に運動靴を放り込んだ。
校庭の砂埃にまみれた運動靴は放っておくと汚れが落ちなさそうだ。
音色は上履きに履き替えながら、帰宅する時に体育着と一緒に持って帰ろうと思った。

「えーと、男子はまだバスケの試合中?」
「そうかも。私たちの試合が早く終わっちゃったから」

同じく運動靴から上履きに履き替えた雫と並んで歩きながら、校庭よりかは随分と涼しい校舎にほっとする。
雫ほどではないが、音色も今日の外の暑さには参ってきたところだった。

夏も間近に迫る七月上旬、普通なら水泳大会でもいいようなものなのだが、ここ咲が丘中学校では盛大に球技大会が開催されていた。
なぜこの蒸し暑い時期にやるのかと、雫を含め一部の生徒からは不平不満の声が飛び交う行事でもある。

しかしそこは学校の特色とも言うべきか、行事に全力を尽くす傾向にある咲が丘中学校では、何事も始まったからには皆が皆クラスの威信をかけて本気になる。
もちろん優勝したからと言ってなにか賞金や景品がもらえる訳ではない。
それでもあえて言うならば、彼らは名誉のために戦っているのだった。

学年関係なしに女子生徒は校庭でソフトボール、男子生徒は体育館でバスケットボールの試合、というのが咲が丘の球技大会だ。
咲が丘中学校では体育祭がない代わりに、球技大会は異常な盛り上がりを見せる。

「さて、男子の方はどうかしら」

調子が戻ってきたのか、雫は口元をふっと緩めていつも通りの妖艶な笑みを見せた。
昇降口からかなりの距離を歩いて、音色と雫はやっと体育館の前に辿り着いていた。

音色は少しだけ身を乗り出して、体育館の入り口から中を覗き込んだ。と同時に、真正面からむわっとしたなんとも生温い空気が襲いかかってくる。
蒸し暑さと言う点では校庭を上回るかもしれない、と思った。

どうやら試合が終わった直後のようだった。
広い体育館を真ん中で二つに分けて試合が行われていたみたいだが、今やどちらのコートにも人の姿はなく、審判をしている生徒は得点を加算したり色々と忙しそうにしている。
音色は手前のコートの得点ボードに「三の五」という表示を見つけて、その下の得点に視線を移した。得点を見る限りでは、どうやら音色たちのクラスは大差で勝ったようだ。

「どう?私たちのクラス、勝った?」

音色の背後から、同じく雫がひょいと顔を覗かせた。

「うん、勝ったみたい。でも人が多すぎてどこに誰がいるのかは分からないけど」
「……本当、蒸し暑い。あ、あそこにミツがいるわ」

雫がどこへともなく大きな声で光之の名を呼ぶ。
すると遠くの隅でかたまっていた何人かの集団の中から一人の男子生徒が抜け出して、大きく手を振りながら駆けてきた。

「見た?結果見た?俺たち圧勝なんだぜ!」
「今見たわ。でも残念、こっちは二回戦で負けちゃったから」

肩を竦めながら、頑張って、と言って微笑む雫に光之は苦笑した。

「仕方ねえな。これで総合優勝はパスかー」
「相手が強かったのよ」

しかし雫はなぜかそこでふふと含み笑いを漏らすと、徐に口を開いた。

「せっかく音色がホームラン打ったのにねえ」
「ちょ、ちょっと雫!それ言わないで!」
「いいじゃない。減るものでもなし」
「いや、なんか恥ずかしい……」
「ホームラン?」

へえ、と目を丸くさせた光之はそのままの口調でさらりと言った。

「流水って運動神経はよかったんだなー」
「ミツ、それは失言よ」

ばしっと、雫の手が素早い動作で光之の肩を叩く。
そんな二人のやり取りに、音色は思わずぷっと吹き出して笑った。

「ミツ、お前次スタメン」

光之のものでもない、だからと言ってその低い声は自分でも雫のものでもない。
そうしてどこか聞き覚えのある声と同時に光之の背後から現れたのは、他の誰でもない日和だった。

日和にもこの暑さが堪えているのか、彼は半袖の体育着の袖をさらに肩の上まで捲くっている。
細身で長身だから華奢だとばかり思っていたのだが、意外とそうではないのだと知ってなぜか心臓の鼓動が速くなる。
制服姿ではない日和の姿を目にするだけでなぜだかひどく戸惑ってしまう。

「あら、緑木君、高価そうなもの身につけてるのね」
「え?」

日和は心底驚いたというような顔で、さっと右の手首を左手で覆って隠した。
しかしこの時ドキッとしたのは日和だけではなく、音色も同じく背中や額に冷や汗を感じた。

なにせそれは神の力の源だ。音色の方はまだネックレス状で体育着の下に隠れるとは言え、日和の場合はブレスレット状だった。隠す場所などどこにもない。
だが事情を知らない雫は、日和が別のことを心配しているのだと思ったらしく笑った。

「大丈夫、取らないわよ。そう言うのが欲しかったらむしろ買ってもらうし、ミツに」
「俺かよ!」

光之は突っ込んだあとで、日和の右腕を強引に引っ張り出して真珠の部分をつついてみせた。

「これ取れねえんだよ、なあ日和」
「そうなの?」
「まあ……。特注品と言うか、先祖の形見、で……」

どんな形見だ。音色は内心で思わず日和に突っ込んだ。
もしかしたら日和は突然のアドリブに弱いのかもしれない。なんとも珍しい彼の欠点だ。

「さっきも体育の教師にさんざん質問されててさ。まるで朝の全校集会に遅刻した俺みたいだったよなあ」

これで俺たち同じ穴のムジナだな、と言いながら肩に手を置こうとした光之の手を、日和はさっと払う。
光之はそんな日和の態度がいつもより冷たいと今度は雫に抗議し始めたが、雫も雫で適当にあしらっている。
そんな光之の姿を可笑しく思うと同時に、音色は少しだけ彼に同情した。

「俺も服で隠れるものがよかったな……」
「え?」

低い呟きに反応して顔を上げると、目の前には嫌に近い日和の顔があった。
いつの間にか日和は自分の傍に立っていた。

「音色はばれてない?」
「あ、うん。今のところは」

すると日和はさっと視線を辺りに走らせ、雫と光之が別の方向を見て何か話しているのを確認した上で囁いてきた。

「あとで時間ある?」

その一言にはなにか意味があるのだと、音色は咄嗟に気付いた。
音色も日和と同様に雫と光之の方をちらと一瞥してから首を縦に振った。

「お昼休みなら空いてる。午後は一、二回くらいソフトの審判補助に回るから」
「じゃあ昼休みに」

それはなにかを知らせたいような瞳だった。
日和がその内容を今ここで言えなかったのは、多分雫と光之がこの場に居合わせたからであろう。

話の内容は大体見当がついた。それはきっと、「神の力」絡みだ。













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06/07/02