時間の崩落、それは絶対視される時間が故意に操作されること。 (止めた……!?) 空也は驚いて辺りを見回した。 大地や空が瞬く間に凍り付いていく。音色の身体から滲み出る夥しい量の力が世界を支配していく。 まさか、彼女は既に時間の制御方法を知っているというのだろうか。 音色は日和と出会ってまだ一ヶ月も経っていない筈だ。あの慎重な日和の性格から、時間の制御方法を知らされる確立は少ないと見積もっていた。 まだ頭を抱えたままうずくまっている音色、しかしその姿が一瞬異質のものに変わった気がした。 空也はすぐさま、ぐいと音色の肩を掴んで俯いているその顔を覗きこむ。 しかしそこでちらりとこちらを見た瞳、それは先程までの黒い瞳ではなく、何色とも形容しがたい七色に光る異色な瞳だった。 第二章 -17 運命の歯車が回り始めたのだと、実感出来るようになったのはいつのことだったろう。 何もかもが鬱陶しくなって、どうにもならなくなってしまったのはいつのことだったろう。 『……憎くはないか?』 今年の春、ただ我武者羅に街を歩いていた、それだけだった。 それなのに何の前触れも無く目の前に現れた彼は、どこかこちらの気を逆撫でするような物言いでそう告げた。 最初、一見しただけで彼は日本人ではない、外国人だと分かった。 だが中世ヨーロッパ風の豪華な服、風に翻るマント、腰に帯びている数本の長剣。どれもが見慣れないものばかりだった。 それに加えて、彼は軽々と宙に浮いてこちらを見下ろしていた。 『世界が、お前を取り巻くものすべてが、憎いだろう?』 そっと耳に囁きかけてくる彼の声に足を止める。 自分とよく似ている顔付きから、ドッペルゲンガーなのかと考え直した。 ならばこれから自分は彼に殺されるか、それともこれは死の予兆に過ぎないかのどちらかだな、と悠長に思ったりもした。 空也がじっと彼に怪訝な目で応えていると、彼も同じく何も言わなかった。 ただ彼の醸し出すオーラというか雰囲気というかが、どこか懐かしく感じられた。 「……憎かったら、どうなんだ?」 しばらく経ってから放ったどこか挑戦的な言葉に、彼は腹を立てずに、どちらかと言うと満足そうにふっと口元を緩めた。 『この世界がお前の手で回すことが出来るのならどうする?』 「あ?俺は無駄な努力は嫌いだぜ」 『そういう意味じゃない。支配、という意味でだ』 支配、の二文字を強調されて、顔には出さなかったが内心首を傾げる。 とうとう自分も幻聴が聞こえるようになり思考までもが堕落したのだろうか、そう思いながらも聞き返した。 「支配?」 彼の黒髪がぶわ、とまるで力を放っているような動きで風に乗る。 『見えるか?アレが、お前の敵だ』 すうと彼の黒い瞳が自分の背後に動いたので、空也もその後を追った。 しかし振り返った時に突如身体の中に濁流の如く流れ込んできた前世の記憶に、いっそ悪寒を覚えた。 止まる暇も無く勢い良く切り替わっていく過去の映像。 それらを頭の中で垂れ流しにしながら、空也は彼の指した人物を見付けた。 彼の名前は知っていた。この世界に少しでも足を踏み入れれば、誰でも知っているほどに有名な名だった。 緑木日和、男だか女だか分からない名前だと聞いてすぐに思った記憶がある。 今彼は都内で一位二位を争うという名門の学校の制服を着て、隣には「例の少女」を伴ってこちらを見ている。 「……くだらねえ」 ハッ、と空也は少し離れてこちらを見る日和を見据えながら吐き捨てる。 「俺なら、あんなヤツ一人に梃子摺らねえよ」 宙に浮いていた少年、セルガが更に満足気に笑むのが分かった。 人生はゲームだという人間がいる。対してゲームなどという単純なものではないと反論する人間もいる。 世界には常に一つの意見に対する意見というものがある。なかなか一致する意見と言うものは多くはない。 だが自分はどちらなのかと問われれば、分からないと答えるだろう。 そもそもその質問自体がナンセンスだ。 「どうして生きるのか」という古から人間が長年かかって問い続けてきた質問さえ、まだ皆が納得するような答えは出ていないというのに。 セルガはすっと袖の中から何かを取り出した。 それは記憶の中でも見た、力の媒介として必要不可欠な白く光る真珠のブレスレットだった。 『世界を変える方法を教えてやろう。お前にはその才能がある』 再度振り返った時に見た日和の横にはサーンが立っていた。 空也はブレスレットを空に放り投げた。それはするりとまるで自我を持っている生き物のように、落下しながら左手首に巻き付いた。 その後狂ったように叫んでいたセルガの言葉はよく覚えていない。 ただそれまでどこへ行くという当ても無く進んでいた未来の方向性が示されたような気がしていた。 それだけで十分だった。今までずっと世界を彷徨っていた自分には、そのしるべだけがあればいい。 BACK/TOP/NEXT 06/05/02 |