窓を一枚隔てた部屋の外から朝を告げる小鳥のさえずりが聞こえる。
階下からなにやら慌しい、いつも通りの朝支度の音が聞こえる。

音色は呆けたままの頭を動かして枕元の目覚まし時計を手に取った。
長針と短針が指し示す現在の時刻はいつもの起床時刻よりは少し早い、朝の六時半。

(……起きれた)

無意識の内に溜め息が漏れて、もう一度、倒れこむようにして枕に顔を埋めた。
それにしてもあの夢の中の少年は誰だったのだろう、と天井を見詰めながら考える。
銀の世界の中で炎をまとっていた彼は、確かに日和ではなかった。

そして何故か頭の片隅に違和感が残る。
いつだったか、どこかで彼を見たような気がした。









第二章  -02









「音色ー?」

満面の笑みを顔いっぱいに広げて、いかにも訳ありそうに近付いてきたのは雫だった。
昨日とは違って予鈴が鳴る前に登校できた音色は、学生鞄から引っ張り出していた教科書を手に振り返る。

こういう時の雫は大概何か真実を追究しようとしている。
いったい何事かと恐る恐る構えながら、音色はちらと雫の手に握られていた「国語」と題の付けられたノートに目を留める。

「あれ、今日の一時間目って現国だったっけ?」
「違うわよ」

話を逸らそうとするも、呆気なくかわされてしまった。
そればかりか雫の親しみの込められた手が音色を逃がすまいとして肩に回されている。

音色は教室の前方に掲げられている丸時計を見やった。
まだ朝のホームルームまで時間は優にある。
雫の話の内容は知らないが、勘だ、絶対に朗報ではない。

「単刀直入に訊くわ、音色。昨日どうして緑木君と一緒に帰ってたの?」

雫の言葉に反応して、教室中の生徒が皆一斉に音色の方を振り返った。
空気が恐ろしいほど張り詰めている。首元にちくちくと女子生徒の痛い視線が突き刺さる。

これはあまり好ましくない展開だ。頬が引きつって軽い痙攣を起こしている。
可能ならば雫にはもっと秘密裏にこの件を処理して欲しかった。
だが既に話は公に知られてしまったのだ、今更どうすることも出来ない。

「大丈夫。新聞部は私が押さえておいたから、校内新聞に載ることはまず無いわ」
「新聞!?」

意味が分からなくなって思わず素っ頓狂な声を上げる。
そんな音色を宥めるために、雫は音色の隣の自分の席に腰掛けて、まるで偉い立場の人間の如く大袈裟に足を組む。

「いい?緑木君は転校初日にして今やこの学校の憧れの存在なのよ」
「は、はあ……」
「噂に寄れば昨日の放課後に複数の生徒が、その当の緑木君と音色が一緒に下校しているのを目撃しているって言う」

いったい誰がどこから見ていたというのだろう。
もしかして屋上から出てきた場所から見られていたのだろうか。だとしたら話は更にややこしくなってしまう。

学校の屋上は普通立ち入り禁止になっている。
その区域に出入りしたとあっては、さすがの日和でさえも咎められてしまうだろう。
自分だけならまだしも、名のある人間を巻き込むのは少々気が引けた。

音色はただ呆然と雫の顔を見詰め返すことしかできなかった。
弁解したいのは山々だったが、雫に頭脳戦で勝利を収めることは限りなくゼロに等しい。
だがここで何も言わなかったのがまずかったらしい、雫は黙り込んだ音色を見てしみじみと首を縦に振った。

「やっぱり、そういう関係になったのね……」
「ちょっと待って!もしかして何か誤解してる!?」

雫の一言により、もはや音色のクラス三の五では誰も止められない沸騰したお祭り騒ぎが催されていた。
クラスの生徒と言う生徒はクラス内カップルの誕生だと騒ぎ始める。
悪乗りが素敵なクラスではないか。だがこの時に限り、本当に勘弁して欲しい。

このままでは勝手に話が捏造されてしまう。
前世のことを隠すためにも、ここは何としても否定し続けなければならない。

「誤解だって!別に何にも!」
「じゃあどうして緑木君と一緒に?」

雫は相変わらず抜け目が無い。その作られた偽の笑顔までがもはや拷問だ。
音色はしどろもどろになりながらも、ふと思いついた単語を咄嗟に口にした。

「違うの。ほらあれ、幼馴染!」

すると音色の言葉と同時に、がらりと教室の後ろのドアが開く。
ドアを開けたのは今話題に上がっていたもう一人の人間、緑木日和張本人だった。
彼は昨日とは違うなにやら騒がしい教室に唖然としたまま立ち尽くしている。

これは幸運だ。音色は未だ教室のドアの前で突っ立っている日和の元にすぐに駆けて行って、その腕をぐいと引っ張った。
たった今登校してきたばかりの日和は、当たり前だが、訳が分からないと言う風に瞬きした。

「ごめん!とにかく話合わせて!」
「幼馴染……ってことを?」

音色はこっそりと誰にも悟られないよう日和に耳打ちした。日和さえ話を合わせてくれれば、すべては丸く収まる。

「そうなの?」
「そうだよね『日和』!幼稚園の時に同じ組で、昨日は街を案内していたの!それだけ!」
「本当?緑木君」
「はいまあ……流水、じゃない。『音色』とは、その、幼稚園からの幼馴染で……」

苦しい。かなり苦しい。
後で日和にど突かれること間違いなしだが、これしか方法が無いのだ。

「でも緑木君って、どこか付属の幼稚園とかじゃなかったの?音色と同じってことは普通の幼稚園?」

音色と日和は同時に互いの顔を反対方向へ逸らせた。
やはり雫を侮ってはいけなかった。彼女の鋭い問いには毎回心臓が凍りつく。

だがどうやらクラス中を巻き込んだお祭り騒ぎは鎮火へ向かったようだ。
危なかった、できればもう二度とこんなに危ない橋は渡りなくない。
雫はまだ納得していないようだが、後で何回も何回も繰り返し幼馴染だと言って聞かせれば、多分この件は難なく片付くだろう。

「え、なになに、日和が流水手に入れたってー?」

ようやく教室がいつもの状態に戻りつつあったと言うのに、その一言でまた音色は後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。
いつからそこにいたのだろう。ひょいと、日和の肩越しに覗いた顔に驚いた。
一難去ってまた一難、この話題をぶり返した張本人は日和と音色を交互に見比べている。

だが日和は容赦なく、肩越しに現れた顔にばちんと高速正面平手打ちをお見舞いした。
さすがどんな時も冷静沈着だ。少しは彼を見習わなくては。

「違う」
「あーちょっとかなり大ダメージ喰らいましたよー」

顔面を抱えて唸っている姿を見て、雫が驚いたように口を開いた。

「あら、ミツじゃない。今日は遅刻免れたわね」

ミツと呼ばれた男子生徒、原光之はらみつゆきは赤くなった鼻を押さえながらにっと笑顔を見せた。

「昨日のようなミスは致しませんよ、姫様」
「ああら、遅刻常習犯がよく言うわ」

音色は隣で日和が首を傾げている姿に気付いた。
そうだ、彼はつい先日転入してきたばかりなのだ。説明無しではこの二人の関係は分からないだろう。

「日和は知らないっけ?原君は雫の彼氏です」
「は、お前が!?」

よっぽど意外だったのだろう。
光之を振り返った日和の瞳は完全に見開かれていた。

そう言えば音色も最初は疑ったものだ。
どこからどう見ても、校内でも美人と名高い雫と異常にテンションの高い光之という組み合わせは異色だった。
思わず嘘だと疑いたくなった。もしくはかなり手の込んだドッキリかどちらか。

「日和君、君はそんなに薄情な男だったのか……」
「気持ち悪いからやめてくれ。それにしてもどういった経緯があってそうなったのか知りたいくらいだな」

途端に雫と光之は顔を見合わせた。互いに思い出そうとはするが、思い出せないようだ。

「いやーこの男前に雫姫が惚れたんですなーきっと」
「違うわよ」

バッサリと切り捨てる雫の言葉に、光之は懲りた風でもなくただ笑っている。
二人揃うとまるで漫才をしているみたいだ。音色は日和の陰に隠れて笑いを堪えるのでやっとだった。
すると今気付いたように、今度は雫が口を開いた。

「それにしても緑木君、ミツと随分親しいのね。音色みたいに幼馴染なの?」
「いや初見」

昨日も遅刻常習犯の光之はいつも通り重役出勤並みの時間帯に登校してきた。
だが学年も上がり新しく編成されたばかりとは言え、自分のクラスに新たな人間が一人加わっていることに驚かないほど彼は愚かではない。

―――うわ新入生!?どっから沸いた!?
―――は?

初めまして、等の初歩的挨拶をすっ飛ばして始まった会話は意外にも止まらなかった。

―――何だ、日和って言うのか。変な名前だなー。
―――ふざけんな。
―――うわ、そんな怖い顔すんなよ。冗談冗談……って、誰か気になってるとか?

日和の、一応会話を交わしながらも時折誰かを気にするような視線に光之は首を傾げた。

―――いや、別に……。
―――転校初日にやるなあ。あ、でも雫だけは駄目だからな。この世の中には許されるもんと許されないもんがあるんだぞ!って聞いてんのか?おいってば!

何と言うべきか、光之は日和の名を聞いても態度を変えなかった、将来大物になる予感をさせた。
だが彼にはそんな考えなど毛頭無いのだろう。
いつも人懐っこい笑顔を浮かべて、深く考えることは趣味ではないとでも言いたそうな雰囲気を出している。

「あーあ何だよ。じゃあ日和が流水を落としたっていうのはガセかー」
「どこから訊いたんだ、それ」

そう言えばさっきも似たようなことを口走りながら日和の背後に現れたような気もする。
勝手に一人で落ち込む光之は、舌打ちしながら答えた。

「さっき昇降口で聞いた。つか、学校中で普通に話題になってるぜ」
「何!?」
「何で!?」

音色と日和は光之の最後の言葉を遮るように同時に身を乗り出した。
そんな噂は早くに抹消するに限るが、しかしこればかりはどうしようもない。

予想だにしなかったごたごたは、いつも突然やって来た。













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06/04/14