第一章  -16









本当におかしい。隣の足音を聞きながらうっかり笑いそうになったが、寸でのところで食い止めた。
姿は見えないが音で分かる。
時折すれ違う人々の視線が隣の人間に注がれているのだと知ると、やはり笑いそうになる。

彼はどうやら目立っていると言う自覚が無いらしい。
それもそうだろう。幼い頃から多くの人々の羨望の眼差しを受けてきたのだから。

(運命……)

もしこれが神の計画から外れた運命だったなら、さぞ珍しいことだろう。
音色はちらと、何でも無い風を装って隣の人物を見上げた。
そこにいた日和は咲が丘中学校の学生服を着て、やはり今、自分の隣を歩いている。現実だと強く自分に言い聞かせる。

いつまで経っても続く学校からの帰り道に強引に視線を戻して、音色はこれからの課題を設定してみた。
少なくとも二つは遂げねばならない。
一つはサーンの記憶の中の本を探すこと。もう一つはセルガに洗脳されようとしている同じく前世と関係のある人物を特定すること。

「もしかしたら例の本は、俺の家にあるかもしれないな」
「ふーん……って、え!?」

突然の日和の言葉を一回は受け流してしまったのだが、事の重大さを悟ると驚いた。
いったい彼は何を口走っているのだろう。正気だろうか。

「母親がかなり昔に歴史書やら伝記やらを趣味で集めていたらしくて俺も何回かそれを見たから、多分は」
「あるかもしれないの?」
「可能性はある」
「どこにあったか憶えてる?その本」

それまで同じ歩調で歩いていた日和の足が、ぴたりと止まった。
音色は彼の方を振り返った。日和は怪訝な表情でこちらを見ている。

「もしかして、一冊や二冊だと思ってないか?」
「思ってる」

平然と答えると、日和はひとつごほんと咳払いをしてからまた歩き出した。

「本は家の一室分を分捕ってるんだ。つまり、万単位」

万単位現存する本もどうかと思うが、それらの本を収容する部屋があるということにも驚嘆する。
こういう時こそ少し現実から遠ざかってみたくなる。

また隣を歩き始めた日和につられて音色も歩き出す。
だがさっきから莫大な数が頭の中を駆け回っている。音色は右手をよろよろと額に当てた。

「群青色の本なんて山ほどあるよね?しかも手掛かりは群青色と変な紋様だっけ」
「意味が無いな」
「ありえない……」

すっかり落ち込む音色にであろう、日和は苦笑した。

「日はあるだろ。二人がかりで一日数冊調べていけば……終わる、か」
「何その語尾の不定確要素!」

先はまったくと言っていいほど見えないが、とにかく進むしかない。
神の力をあるべき場所に戻すために、そしてリーネとサーンの魂を安らかに眠らせるためにも早くこの問題を払拭しなければならないのだ。
平穏な毎日は味気ないと思ったことも度々あったが、新たな旋風は忙しい生活をも導いて来てくれたようだ。

目の前には十字路の分かれ道がある。
すっと日和が自分の家とは反対側、左側の道に足を向けたので、ようやく音色は彼とここで違う道を行くことに気付いた。

「あ、私こっちの道だから。じゃあね緑木君」
「ああ。じゃあ」

変な感じがした。
雲の上の存在の人間とこうも簡単に会話ができたとは、まるでそれこそ夢みたいだ。

「青空、消えちゃったな……」

日和と別れて右の道をしばらく進んでから、片手を目の前に翳す。
手のひら越しにじんわりと暖かい橙色の太陽の光を感じる。

ふと、屋上で溢れ続ける記憶と涙を止めてくれたあの日和の姿を思い出した。
彼は黙って傍観するでもなく狼狽するでもなく、直接助けてくれた。それが嬉しかった。
まだ目蓋の上に彼の手の温もりが残っているようだった。

振り返れば日和の後ろ姿くらいは拝めるだろうか。
音色は道の真ん中で一瞬立ち止まってそれから少し躊躇って、やはりやめようと思い直して、帰り道を急いだ。
早く家に帰ろう。最近日が長くなったとは言え、すぐに暮れてしまうのだから。













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06/04/01