第一章 -14 音色と日和には前世から継いだ記憶がある。 しかしリーネが今しがた語った、現世へ呼び出される際の、神と呼ばれていた厳かな人物その人との記憶はない。 けれど音色の脳裏には、リーネが見た神の姿がありありと浮かんで見えた。 死んでから呼び出される間のその一部始終を話し終えたリーネは、数回ゆっくりと瞬きした後でふっと笑みを零した。 感慨深いその表情は、とても命を失った人間の姿とは思えなかった。 『何をすればいいのか、私たちもすべては知りません。もちろん、これから何が起ころうとしているのかも』 「だがその神が最後に言っていた、『あの本の中』ってなんなんだ?」 音色の隣で日和が怪訝な顔をしている。 リーネの話を聞いていた限りでは皆目見当が付かないのだが、重要な鍵であることに間違いはないだろう。 『多分アレじゃないかと思うんだけどな』 それまで黙り込んでいたサーンが急に口を開いた。 同時に彼は胸の前で人差し指で大きい長方形を作って見せる。 『このくらいの大きさの分厚い本だ。色は濃い群青。表紙には、見たことのない紋様が描かれてた』 「それか?」 『可能性の話だ。俺が婚約者候補探しの時に偶然城の蔵書室で見つけた古びた本だが、多くのことが書いてある。今から考えりゃあんなに奇妙な本どうして放っておいたんだろうな、ほとんどが予言じみたものなんだ』 「じゃあそれにもしかしたら?」 興味津々で訊く音色に対し、サーンはにっと口元を吊り上げて笑って見せた。 『書いてあるな、何もかもが』 その表情がどこか悪事を企む人間のようで、でも完全にそう思えなかったのはその日本人離れした外見のせいだろうと思った。 しかしサーンが思い出したその本を見つければ、リーネとサーンが異空間で出会った彼女の言おうとしていたことすべてが分かる。この現実離れした現実も終わりに近づくのだ。 だがどこか心の隅で終わりが無いような気がしてしまうのは何故だろうか。音色は心の中で小首を傾げた。 なにも知らない穏やかな風が現世と前世を繋ぐ四人の間を縫って流れていく。 ふと俯いた時に目に入ったリーネとサーンの足元に、まったく影がないことに気付いた音色はぎょっとした。 やはりこれは夢でもなんでもない。儀式と共に現れた自分たちの前世を名乗る二人は、正真正銘の守護霊だ。 『あの方は、やはり神でしょう』 リーネがぽつりと呟く。その声に反応して、音色は顔を上げる。 『私達の時代に彼女は一度だけ現れました。その方は宇宙へ、本来あるべき姿と場所に戻りたかったのでしょう』 『だろうな。だが……』 リーネとサーンの表情は同時に暗く沈んだ。 『命が絶えてしまったから、だから戻れなかったのです』 『セルガが原因だ』 『ええ。でも、これは私達の時代で終わらせるべきでした。後世にまで影響があるなんて』 リーネとサーンの表情とさっきの話から、ようやく二人の心境が読み取れてきた。 終わると思っていた。終わらせたと確信していた。 悲惨な歴史は、もう二度とこの世に蘇ることはないだろうと安心していた。 だが現実はそうならなかった。 どうやら自力で何かの封印を解いたらしいセルガは再び世界に現れた。 だからリーネとサーンも黄泉の世界から呼び戻された。後世に言伝を届けるために。 違う、それは間違っている。この件は二人だけの責任ではないのだ。 辛辣そうな表情を浮かべるリーネを見兼ねて、音色は慌てて大きく首を横に振った。 「違う!全然迷惑じゃない!」 「俺も同じ意見だ」 「ほら緑木君もこう言ってるし、大丈夫だって。この時代で終わらせばいいよ。ね?」 説得は苦手だったが、今はどうのこうの言っている場合ではないと思って必死に試みた。 だがリーネとサーンは途端に驚いたように顔を見合わせて、そして吹き出した。 またもや何か失態を犯してしまっただろうか。 『よかった、ずっと怖かったので……』 ようやく美しい笑みを浮かべたリーネを見て、音色もほっと胸を撫で下ろす。 「怖かったってどうして?あ、まだあの記憶が?」 『いいえ……ああでも、それもありますが。私はサーンのように意図的に呼び出された訳ではないから、いつ音色が呼び出してくれるのかと思って』 寂しさの宿るリーネの瞳の奥はあまりにも澄んでいた。 きっとずっと不安で仕方なかったのだろう。身体は失われてもやはり人間なのだ。 そう考えた時、妙に心が温かくなった。彼女へ霊として接しなくても、普通の人間だと思えばそれでいいではないか。 音色はぎゅっと強くリーネの手を握った。 遅れ馳せながら行動した後に思ったのだが、どうやら触れることができるらしい。 「任せて。頑張るから」 リーネは初めに現れた時と同様、それでも少し困ったように苦笑してから、眩しい笑みを見せた。 自分の前世、こんな高貴な人物だとは光栄だ。むしろ今が凡人であることに心から詫びたい。 『……サーン』 リーネの表情が、ふと何かを思い出したように止まった。 いつに無く真剣なリーネの言葉に、屋上から街を眺めていたサーンも真面目な顔で振り返る。 『今思い出しましたがあの神の方の顔を、確かにあの方は振り返られたのに、どうしてか忘れてしまって』 『ああ、ずっと気にはなっていたが俺も憶えてないんだ』 さっきのリーネの話から推測すると、神は白ばかりの空間の中で二人に背を向けていた。 だが話の途中で振り返った、その時に顔は見えなかったのだろうか。 隣で日和も訳が分からないと言うような難しい表情をして首を傾げている。 普通なら忘れない筈だが。音色は思い切って聞いてみた。 「でも見たって、言ってなかった?」 『ええ確かに。何故でしょう、後ろ姿は記憶に残っているのですが……』 不可解な謎。どこかに消えてしまった記憶の欠片。 何かが意図的に隠し続けられているような、嫌に気に掛かるこの歴史。 だがこの時はまだ、それほど疑問にも思わなかった。 BACK/TOP/NEXT 2006/09/28 |