風が横から吹き付けるように流れてくる。
さっきまで屋上をいっぱいに満たしていた砂埃は呆気なく消えていった。

『リーネの生まれ変わりか』

砂埃が消えた後の屋上のほぼ中央に残っていたのは、日和ともう一人、出で立ちが現代と遠くかけ離れている金髪碧眼の少年。
しかし音色には見覚えがあった。
まさに彼こそが、ここ何回も見た夢の中で隣にいた少年に他ならなかった。









第一章  -11









夢の中では朧だったその外見が、今ははっきりと明確に見て取れる。
太陽の光を反射する金髪に深い青色を宿す双眸。これほどまでだったとは驚きだ。

金髪の少年は音色をじっと見詰めていたかと思うと、徐に微笑を浮かべた。
その表情は日和と驚くほど似通っている。

『話は聞いていたさ。で、彼女はリーネを呼び出せてないと』
「ああ、そうらしいんだ」

前からの知り合いであるように言葉を交わす日和と少年とは仲が良さそうだ。
いったいどんな交流があって彼と友人関係を結べるようになったのかが気がかりでならなかった。

それにこの少年がいつこの場に現れたのかも分からない。
さっき日和は「呼び出す」とか何とか言っていた。だからと言ってこの屋上まで簡単に他人を呼び出せる筈が無い。
またも話が繋がらなくなってしまったので、音色は心の中で頭を抱えた。

「……あの」
『じゃあまずリーネを呼び出すか』
「流水さん、俺がサーンを呼び出したのを見てただろ?それを真似してやればいいだけだから」

ここでも話が急展開を巻き起こしている。これ以上混乱したら頭自体が爆発しそうだった。

「ただし前世からするに流水さんの眷属は水と風だ。そこは言い換えて」
「え?えっと何が何だかさっぱり……!」

慌てて否定しようとした際に見た日和の顔が、今までで一番複雑そうで気まずいものだった。
遅れ馳せながら実感したが、並んでこちらを見る日和と少年の姿は本当に瓜二つだ。
髪や瞳の色、それに服装など大まかなことを覗けば従兄弟だと名乗っても驚かれはしないだろう。

そのためだろうか。こちらに怪訝な表情を送ってくる二人の視線の重圧が何倍にも思える。
話が分かってないのは自覚済みだ。どうしようもないと知っている。

しかしそれにもかかわらず行動してみせたのは、あろうことか謎だらけの金髪の少年だった。
ふっと突然口元に優しい笑みを湛えて歩いてくる。

『僕の名はサーン・フラキトネス、数百年前を生きた日和の前世です。因みに当時十五歳だったから、今の君と同じかな』
「ご丁寧にどうも……」

まだ話が飲み込めなかったが、とりあえず軽く一礼だけはしておいた。
すると何故か目の前にいるサーンと名乗った少年が嬉しそうに目を見開いた。

「……え?」
『本当にリーネと同じと言うか、ガードが固いところまで一緒と言うか』

喜ぶべきなのかここは突っ込むべきなのか、判断が頭の中で見事二つに割れた。
一方今のサーンは腕組みをして何かを考え込んでいるようだ。するとすぐ思い付いたように顔を上げた。

『やっぱりここは強制的に呼び出すか。日和、お前やれ』

その日本人離れした顔立ちから発せられる言葉とは思えないほど、王様的な発言は耳に毒だった。
音色と日和は互いにサーンの方へ身を乗り出す。

「はい!?」
「何言ってんだお前!」
『呼び出さないと俺も困る。勿論リーネも困るからな』

サーンはぽんと日和の肩に手を置きながら、口元を吊り上げて怪しく笑んだ。

『早く行ってこい!』
「……分かったよ」

日和は深い溜め息を付いた、そのままこちらへ来る。

(うわ、話が本当に分からない……!)

混乱するも、この二人からはどうやら真実を聞きだすことは出来なさそうだ。
腕をぐいと掴まれて引っ張られて、音色は日和の方へ数歩駆け寄る形になる。

「緑木君!その、守護霊とか呼び出すって、私まだ何も分からなくて!」
「まあサーンがあの調子だから、ここはまずリーネを呼び出してから説明ってことで……」
「それ本気!?」

「命を狙われる」という言葉と「守護霊を呼び出す」という言葉が相反するように思えるのは自分だけだろうか。
どちらを信用すればいいのか、まだどちらとも決心が付かなかったと言うのに。

日和は勝手に呼び出すらしい作業を続けていく。
首筋になにかの這う感覚を覚えて見てみると、日和の指が制服の下に密かに身に付けていたネックレスチェーンを引っ張り出していた。
音色はふと確信した。彼には異性に対する常識的な態度が欠けているらしい。

「我は代行者。水と風を司る者の代わりに成す者。我は日と地を司る者」
「ちょっと、何……?」
「悠久の時間を越えた神の化身よ、我が前に現れ給え」
「だから、何して―――」

普段なら襟元に隠してある真珠が、今は日和の手によって制服の上で太陽の光を浴びている。
傍で日和がさっきと似たような言葉をぶつぶつ呟いている。

これは迷惑にも程がある。だいたい十分な説明もせずに儀式を始めるなど、在り得ないではないか。
さっきの日和のような異変は起こらない。ただ訳が分からないままだ。
音色は目の前にある日和の身体を押しのけようと、手を彼の元に突き出そうとした。

だがその刹那、今まで経験したことの無い激しい吐き気が込み上げてきた。
伸ばしたその両手を咄嗟に頭へ持って行く。今頭を抑えなければ、このまま破裂してしまうような気がする。

「……ぐ、あっ」

頭が割れるように痛い。胸が身体の奥から熱湯が噴き出すかのように熱い。
突如現れた異変は瞬く間に身体中を侵食し始めた。
その身を焼くような痛みに、音色の叫びは喉に張り付いた。

ネックレスが日和の時と同様、金色の光と大量の風を伴って揺れている。
真珠が胸元で眩いほどに光っている。
それらをちらと薄い視界の中へ留めながら、音色は次に現れた異変に唖然とした。

どこからか大量に情報が流れ込んでくる。
それらは一挙に頭の中へ、我先へと詰め掛けるようにして押し寄せる。

(なに……!?)

白と黒のノイズの入った色褪せた映像が脳の中で一瞬ごとに素早く切り替わっていく。
いったいこれは何なのだろう。今まで生きてきた中で見たことの無い風景ばかりだ。

笑う人たち、泣く人たち、怒る人たち。
眩しい夜明け、賑やかな街、穏やかな夕暮れ、星空が綺麗な夜。
それが頭の中で何百と流れていく。痛い、頭が痛い。

耐えられなかった。胸が締め上げられるほどの苦しみが身体中を引き裂く。
膝はがくんと折れて、音色はその場にうずくまるような形になった。
辛うじて苦しみの中で見上げた先にいた日和とサーンは、あろうことか黙ってこちらを見ている。

(騙された……!?)

音色は再度目線を伏せて胸を抱えた。頭痛が、吐き気が著しい。

―――命を狙われます。

ああそうだ。春休みに出会ったあの少女の言っていたことの方が正しかったのだ。
現に今、こうして日和とサーンに殺されかけているではないか。

迂闊だった。急な展開に油断し過ぎていた。
何も分からないまま良いように利用されていたに過ぎなかったのだ。
しかしどんなに後悔しても、頭の中へ流れ込んでくる「誰か」の記憶は止まらなかった。

「……やめて」

突如映像が荒々しいものに切り変わった。
何故かどれも真っ赤な炎が背景に映っている。それがとてつもなく苦しい。

目の前に光り輝く短刀が差し向けられている。
黒い髪を持つ少年がこちらを見て口元を不気味に吊り上げている。
金髪の誰か、何故サーンがそこにいるのだろう、彼が目の前でゆっくりと倒れていく。

「やめて!」

頭の中を掻き乱さないで。記憶の蓋を開けないで。
どんなに願っても見たことの無い記憶が頭の中に怒涛の如く流れ込んでくる。
瞳を見開いた一瞬の間に、何日もの記憶が生々しく展開しては消えていく。

膝の上に何か透明なものがぽたりぽたりと落ちている。
それが自分の流している涙だと気付くのに、いったいどれくらいの時間がかかったのだろう。

ただ悲しかった。胸が潰れてしまいそうだった。
日和とサーンが交わしていた言葉から察するに、恐らくリーネと言う人物の体験した記憶。それが時間を越えて身体に染み込んでくる。
まるで自分が昔に体験したかのように感じられた。

「俺の時とは、違わないか?」
『……だろうな』

現実の声もどこか遠くの声のように思える。
日和とサーンの声が薄い意識の向こうでちらちらと現れる。

『彼女の前世は間違いなくリーネだ。リーネは多分、四人の中で一番力を受け継いでいた。力の程度が俺らとは違ったからな』
「だからか?」
『恐らくな。それにリーネは……過去を忘れてる。俺も何があったか知らない』

サーンの言葉が別世界で響く。
どうやらリーネと言う人は過去を忘れていたらしい。だが、さっき見た記憶ではすべてのピースが揃っていた。

感嘆するほど綺麗な天に向かってそびえ立つ城、長い銀髪を持った優しい母親の顔。
廊下を歩けば侍女から話しかけられて色々な遊びを教わる。
それと、幼い頃の記憶だろうか。黒い髪の少年と夜空と豪華な広間でのパーティ風景が広がった。

真珠からは今も勢いを増しながら光と風とが吹き出ている。
全身を戦慄させるような痛みは、治まるどころか次第にその棘を鋭いものへと変えていく。

(……リーネ……?)

頭の中に現れた言葉に、音色は漠然と涙を流し続けながら呼びかけた。

『そう、リーネ。リーネ・クロルド。あなたは私、私はあなた』

銀色の長い髪、儚くそれでも美しい少女の声。
記憶の間を縫って映像の影に現れる、その姿はぴたりと静止していて微動だにすることが無い。

しかし痛みが堪えきれない音色は、いっそう強く身体を半分に折り曲げた。
耐え切れない。とてもではないが、身体が熱を帯びたように熱い。熱すぎてしまう。

瞬間、堪えていた痛みと熱さ、何もかもが一気に全身から弾け飛んだ。
空気中を緊張を含んだ爆音が凄まじい勢いで伝わって行き、辺りに遠慮なく響き渡る。
どんとまたも大きい音がして舞い上がったのは灰色の砂埃。朦朧とする意識の中で音色はぼんやりと目蓋を上げた。

(……リーネ、クロルド?)

あなたは私、私はあなた。
ようやく数百年もの眠りから覚めることができた、後世で作られた、同じ魂を基にした同じ器。

早く早く、急がなくては。
未来を左右する運命の時間は、既に進み始めているのだから。













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06/03/08