第一章  -09









街の遊歩道沿いに植えられた桜の木々は、今や相応しい季節を迎えて一斉にその花弁を天に広げていた。
薄桃色の花びらはいつになく透明で、それら道の上に振り撒かれたものは外に出た人々を楽しませた。
あと数日で散るであろう、だが今を精一杯生き抜こうとするその姿は眩しく美しかった。

幸いにも今日は爽やかな青空が四月を彩っている。
現実とはどこかかけ離れた幻想的なその中を、音色と雫は並んで周りの人々と同様歩調を緩めて歩いていく。

「わ、きれい……!」
「うんまあ綺麗だけどね。それより音色、やっぱり買いすぎたんじゃない?」

雫は音色が手にしている数袋の買い物バッグに目を留めた。
どれも違う店のロゴの入っている袋は、遠慮を知らないと言わんばかりに膨れ上がっている。

だが買い物と言っても、新学期に合わせて買い揃えたものがほとんどだった。
久々のショッピングにつき欲を言えばもう少し私服のストックが欲しかったのだが、金銭面から贅沢なことは言えない。
とりあえず前から欲しいと思っていた服が買えたことには喜ぶべきだろう。

色鮮やかな街を通り過ぎると周囲の風景は切り替わり、閑散とした住宅街が広がる。
最近の交通網の発達によって、街と住宅街とを繋ぐ道は立体交差道の下をなだらかに下る半地下道に変わっていた。

灰色の無機質なコンクリートで固められた壁と天井を気にすることもなく、音色と雫はその半地下道に足を踏み入れた。
時折がたんがたんと、頭上の道路を通過していく車のタイヤがどこかの溝に引っかかる音がする。
半地下道は昼でも薄暗かったが、街へと通じることから夜になってもその人通りは衰えることがなかった。

「……いつ通ってもここは薄暗いわね。ああ、嫌だわ」
「雫、暗所恐怖症だった?」

薄手の袖の上から腕を擦る雫に、思わず音色は目を瞬いた。

「ううん、違うけど。今日はなんかこう、幽霊が出そうなほど身震いがするだけ」

音色は思わず辺りを見回した。
確かに今歩いている場所は暗いが、音色にはおどろおどろしい雰囲気みたいなものは感じられなかった。
それにたまに反対側から歩いてくる他人とすれ違うのだから幽霊が出そうだとも思わない。
雫は時々勘が鋭い時がある。きっとそれは常人には分からないものなのだろう。

「音色、流水音色様」

不意に耳の間近にまで声が届いて音色は驚いた。
最初は呼ばれたのは自分ではないと思ったが、苗字を差し出されて本当に自分が呼ばれたのだと確信を持った。

しかしそれにしても、今自分の名を呼んだのは聞き覚えのない、あまりにも澄んだ、幼い声だった。
音色は声の主をそれとなく探すために辺りをちらとだけ見回した。

「音色様」

尚もひっそりと囁きかけるような幼い少女の声に、音色はさっき以上に広範囲をぐるりと見回した。
どこから聞こえるのだろう。半地下道の中でその声は幾重にも反射して、居場所をいっそう分かり難くさせている。

しかし声の主は音色の身近な所にいた。それは何故今まで彼女の姿が視界に入らなかったのかが不思議なくらいだった。
暗がりによく目を凝らしてみると、音色の右手の壁沿いに少女が一人、麻で作られたような簡易なフードを羽織って座り込んでいた。
フードから垣間見える日本人離れした銀色の瞳と髪がちらりと光る。

彼女は外見からしてまだ十歳くらいだろうか。しかし名を呼ばれたにもかかわらず音色はその少女と知り合いではない。
どこの少女だろう。もしかしたら迷子なのかもしれない。
音色は少女の前まで行くと、しばらく考え込んでからすっと屈んだ。

「えっと……大丈夫?迷子になっちゃった?名前、言える?」
「名は言えません」

音色は面食らった。まさかこんなにもハッキリした口調で告げられるとは思いもしなかった。

「急を要します」

突然フードの下から伸びた少女の細い手に、予想外の強い力で腕を掴まれる。
音色はあまりの痛さに顔をしかめて痛みを堪えた。

だがそれなりの痛さもあったが、同時に彼女の手の氷のような冷たさも感じた。
どうしてこんなにも体温が下がり切っているのだろう。まるで本当に氷のようだと思った。

しゃらんとその場に似つかわしくない音が響いて、音色は改めて少女から目線を外した。
掴まれた腕の先、自分の手のひらの中に何か異物がある。
この銀髪の少女に手渡されたのであろう、己の手中で儚く光るそれを音色はまじまじと見つめた。

「……ネックレス?」

純白の親指大の真珠が薄暗闇の中でも綺麗に光っている。
その真珠をひとつだけ通した淡い色を放つ銀のネックレスチェーンが、今音色の手の中に収まっていた。
音色はただ単純に高価そうなネックレスだ、とだけ思った。

「音色様、これだけはお守り下さい」
「は、はい!?」

再び無機質な声で呼びかけられて、音色は驚いて姿勢を正す。

「これが最後の機会かもしれません。どうにかして、その真珠を持つものを四人集めるのです」
「え、それってどう言う……」
「私が施した数百年前の封印術は効力を失い、彼をその鎖から解いてしまいました。あの者は、既に後継者の元へ」

言っていることが分からない。
人違いだ。確かに自分の名前は合っているが、少女の言葉の意味がまるで分からなかった。

音色は今聞いたことを少しずつ引っ張り出して頭の中で並べ替えることにした。
珍しい容姿を持つ日本語を喋るこの少女は迷子らしいけど名前は不明。それと―――。

「それと、これから間違いなくあなたは命を狙われます」

真珠と何かを四人集めて、数百年前のナントカが失われて、命を狙われて―――。
そこまで頭の中で反芻した途端に音色の思考回路は停止した。最後の単語が頭の中に残留する。

「え!?命って!?」
「そのネックレスのこと、他言しないで下さい。必ず命を狙われます。勿論あなたの家族にも、です」

最後の言葉を口にしながら、彼女の姿は背後にあるコンクリートの灰色と同化していく。
いや違う。少女がその場から消えていこうとしているのだ。

音色は異様なその光景に瞬いた。
その間にも少女は灰色の瞳を寸分の狂いも無く真正面に据えながら確実に消えていく。
どういうことなのか。これは現実に似た夢なのか。

「待って!」
「急がなければ。偉大な御方を、助ける、ために……」

手をこれでもかと言わんばかりに伸ばしたが、掴めない。
力いっぱい伸ばされた音色の手は空を切ってがくんと空回りした。

「……このままでは神の存在しない宇宙は破滅へ、それは阻止しなくてはなりません……」

頭上を見上げる。どこからかさっきの少女の声が降ってくる。
途端、背筋の下から上に向かって一直線に悪寒が駆け抜けていった。

(そうだ、雫……!)

音色は今の出来事に若干恐怖を覚えたが、すぐに雫の存在を思い出した。
しかしさっきまで隣を歩いていた雫はどこに行ってしまったのだろう。

音色が少女に気を取られて話し込んでも、その間、雫からは何の呼びかけもなかった。
もしかしたら置き去りにされたのだろうか。焦りながら音色は背後を振り返った。

「なに?なにかゴミでも付いてる?」

雫は隣にいた。音色が数分前、少女に呼び止められる前と同じ場所に同じ体勢のまま。

「え、雫……どうしたの?」
「それはこっちの台詞よ。そんなにまじまじと私の顔なんか見て」

雫は怪訝な顔でこちらを見て、それから首を傾げた。音色は驚いて雫に詰め寄る。

「ね、なにか聞こえなかった?」
「いつ?」
「今さっき!小さい子なんだけどしっかりした口調で、透き通るような!」
「今さっきって……今まで私たち話してたじゃない。気付かなかったわ」

音色は勢いよく、また背後を振り返った。
さっきまで麻のフードを羽織った銀の少女が座り込んでいた壁際には今、空っぽの空間しかない。

頭上を騒音残して走り去る自動車も、たまにすれ違う人々も、なんら変わらない。
彼らはまるで、さっき音色と一人の不思議な少女とが言葉を交わしていたということを知らないように見えた。
切り取られた時間。闇に揉み消された時間。それらを考えた時、また言い表すことのできない恐怖を覚えた。

「あら音色、そのネックレスいつ買ったの?」

雫に言われて、音色はすぐに胸元に目を落とした。
ちょうど鎖骨の間を通るようにして、さっきまで手中にあったはずの真珠のネックレスは光っていた。

音色は驚いて両手を広げた。が、そこにネックレスはない。
恐る恐る震える指でネックレスチェーンをなぞってから、そのまま真珠の部分を服の襟元に押し込んだ。
誰にもこの存在を悟られないように。さっきの少女の言葉が頭に残っていた。

「うん、えっと……この前、ね」
「あ、ねえ今思い出した。新学期に提出物があるじゃない?あの中の課題で―――」

さっきと同じようにまた二人並んで歩き出す。
数メートル先にある半地下道の出口から、目も眩むほどの眩しい白い光が顔を見せた。

音色はちらと、肩越しに後ろを振り返った。
やはりあの少女は幻だったのだろうか。しかし、胸元には今まで持っていなかった不可解なネックレスがある。

「どうか、どうか願いを―――」

風が流れ込んでその微かな声を吹き飛ばしていく。
凛とした少女の声は、再び前に向き直った音色の背中をゆらりゆらりと見送った。













BACK/TOP/NEXT
06/03/08