その姿を見間違える訳が無い。だが在り得ない。訳が分からない。
ひょっとすると、まだ自分は夢の中を彷徨っているのかもしれない。

一瞬の内にそんな事を考えた。
けれどその夢に似た現実は、いつまで経っても風化することは無かった。









第一章  -04









頭の中が混乱で掻き乱されている。
途切れ途切れに映る転入生の姿に確信を持った、彼は夢の中の彼と同一人物だ。

背の高い部類に属するのだろう中田と並んでも、彼の身長は同じくらいだ。
まさに今日の夢の中に出てきた金髪碧眼ではない方の少年にそっくり。
いや仮に彼が金髪碧眼だったとしても、基本的なパーツはどことなく合っているような気がした。

「なんだ流水、知り合いか?」

自分の名前を呼ばれた気がして視線をずらすと、中田がこちらを見て不思議そうに目を瞬いている。
音色が反射的に返した答えは、どちらかと言うと頭で考えたものではなく勝手に口走ったものだった。

「いえ……多分……知りません」

どこか間抜けたような声に、クラス中がどっと笑いの渦に包まれる。
だが笑っているのは大方が男子生徒であった。
女子生徒はと言うと、ルックス抜群のこの転入生に今も尚、黄色い声を上げている。

緑木と呼ばれた彼は、まさにさっきまで女子生徒たちが思い描いていた理想を具現化したものだと言えるだろう。
パステルブラウンの髪が眩しく、切れ長の瞳からは鋭い眼差しさえ見受けられる。

だが今は恰好いいどころではない。
音色は彼から目を逸らすように素早く目を伏せて、自分の膝に視線を移した。

どうして今日の夢に出てきた転入生が今、目の前に立っているのだろう。
夢と現実は多少なりとも似通っているものだが、これはあまりに異常すぎる。
似ているどころの話ではない。彼そのものだ。

(まだ、夢の中とか……!)

音色は辺りの喧騒の中でこっそりと頬を抓ってみたが、ただ痛さが如実に感じられただけだった。
夢ではない。どういう訳か分からないが、現実が続いている。

その時、ずっと俯いていたから分からなかった。
転入先の教室に入るなり、一番早く誰よりも強い反応を示した音色を見過ごす筈が無い。
転入してきたばかりの彼は、窓際の席に座る音色の方に一瞬ちらとだけ視線を送ったが、それきりまた前に向き直った。

「ほらほら静まれ!じゃあ自己紹介頼もうか、緑木君」
「はい」

彼は中田の方へ軽く頷いてから冷静に答えた。
教室のどこからか、きゃあと軽く好意の込められた声が上がる。

「緑木日和ひよりと言います。親の都合で都内の中学からこちらの学校に転校してきました。宜しくお願いします」

日和の自己紹介に感服したのか、それとも都内から転校して来たと言う点に重点を置いたのか、生徒は途端に、おおと感嘆の声を漏らした。
咲が丘中学校は東京から少し離れた、とは言え田舎染みた場所ではないが、それでもそれなりの自然が残る新興地に立っている。

都内からの転入生は重宝がられても仕方が無い。
いやたとえ彼が北海道から転校してきたのだとしても、遙々ロサンゼルスから帰国編入したのだとしても、皆同じような反応を見せただろう。
だがその一大事ともいえる最中、音色はただ一心にひたすら祈りを捧げていた。

(か、神様……っ!私には予知夢能力も無いし、ましてや霊感体質でもありません!これが夢ならどうか一刻も早く覚めて、ここから助けて下さい!)

こっそりと机の下で両手を組んでまで祈り続けても、望むべき変化は訪れてはくれなかった。
代わりに音色の異常事態に気付いて気を利かせた雫が、誰に悟られるでもなく再度声をかけてきた。

「音色、平気?どこか変よ」
「いや変なのは、私っていうか……」
「え?」

自分でも語彙や文法が滅茶苦茶になり始めていることくらい分かる。
しかも今の会話は十分成立しなかった。どうやら脳が混乱に陥ったらしい。

ホームルームの後の一時間目の授業科目は数学だ。
この様子だと、最も理解力を要する数学の授業は溝に捨てたも等しい。
色々なショックが重なるに重なって、もういっそ保健室に逃げ込みたい気持ちになった。

「よし、あと一年も一緒に過ごす時間は無いが、仲良くな!……さて」

仲良くしようとしても、絶対に夢の先入観が先走って仲良く出来る筈がないと直感した。
日和が自分の夢に出てきたというだけでもどこか近寄り難い。

「彼の席をどうするかだな。空いている席はどこだ?」

中田の何かを探るような言葉の意味を理解して初めて、音色は全身を戦慄させた恐怖を見た。
静かにそろりと中田の顔を伺う。

音色のクラスだけではなく、咲が丘中学校の教室の席の配置は一席ずつ離れている。
だが今開いている席は、音色と同じ窓際の列の一番後ろの席。または正反対の廊下側にある、一番後ろの席との二つだ。
日和は自分の席と隣の席、という笑えない展開に陥る羽目からは免れたものの、同じ列でもかなりの衝撃はある。

どうせ奇跡は起きないと分かっていても、願わずにはいられない。
音色はすぐさま目蓋をぎゅっと閉じて祈りに落ち着いた。

一生分の運を今、この瞬間に賭けてもいい。
ここで日和が廊下側の席へ行かなければ、何かが終わってしまう。絶望が訪れるような気がする。
音色はじっと、次の中田の言葉を待った。

「今日は天気がいいからな、あの窓際の席にしようか」

窓際付近の席に座る女子生徒の間からは歓声が上がり、廊下側からは何とも言えない重い空気が漂った。
しかしそんな空気をも総無視して、音色の生気はこの瞬間、体内から完璧に抜けた。













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05/12/31