不意に地面が激しく縦に揺れ始めた。
時に激しく、すべてを包み込むように地の底の底から響いてくる。

「なに!?いったい何なの!?」

サラは驚いて足を止め、顔を上げて辺りを見回した。
石造りで頑丈な造りの筈のエターリア城が、今やあちらこちらで狂った音を立てながら軋んでいる。

セルガと別れてウィリネグロスを探していたが、まだ彼女の姿は見付からなかった。
だがしかし、この大規模な揺れは何なのか。
辺りに散らばっていた兵は突然の揺れに恐れ戦き城内を逃げ回った。サラもまた彼らと同じくどこかへ走り出そうとした、その時だった。

「セ、セルガ様……っ!」

突如サラの足元に現れたのは、大きい揺れと共に地面が溶けた、その間から漏れた金色の光だった。
まるで沼のようなその光は人々の抵抗に屈する様も見せず、サラの足も次第にずぶずぶと地面の中に引き込まれていく。

恐怖と困惑が飛び交う状況の中で最後にサラが見たものは、城内に攻め入っていたシュラート国軍も、殺されて地面に伏していた侍女や召使いまでもが一人残らず地面に呑み込まれて行く異様な光景だった。
万物を呑み込む金色の光がすべてを照らし出す。
他の人間同様サラの身体もまたその光に包まれた途端、それまでの意識はあまりにも呆気無く消えた。









序章  -25









「そろそろ、終わる頃」

ウィリネグロスは辺りに視線を走らせてから目を細めた。
彼女の足場も揺れながら融け始めていると言うのに、彼女は慌てもせず眉一つ動かさない。

セルガが見た、屋上から眺めることの出来るエターリアの街からは、徐々に炎が消えていく。
いったい何が起こっているのか、まったくと言っていいほど理解できなかった。

セルガは眉を顰めてチッと舌打ちした。
この異常な揺れ、根底に何か解せないものがあるような気がした。
天災ではない。何者かがこの揺れを引き起こしている。

(早くしないと、シュラート国軍も巻き添えだ)

セルガはちらとウィリネグロスの方へと目線を戻した。
相変わらず何を考えているのか読めない灰色の無機質な瞳だ、と思う。

未だ鎖に拘束されたままの手足は動かない。偉大な神の力も封じられた。
それならば打つ手は一つしか残されていない。
身体中を鎖に縛られたまま、セルガは突然苦笑した。

「すぐに御身を封じる」

セルガの笑みも無視してウィリネグロスは再度、宙にすっと手をかざした。
すると何も無かった屋上の、それもセルガの背後に、頑丈で大きい鉄の棺がどこからともなく現れた。
子供が二人くらいは余裕で入れそうな、勿論大人一人入るのにでさえ十分な大きさだ。

途端に鎖がずるずると動き出した。
セルガをその棺の中に無理矢理押し込もうと、数多の鎖は棺へと走り出していく。

「俺が力を使えないと思ったんなら、それは間違いだ!」

しかしセルガはこの状況下において、今度は口を大きく開けて笑った。
指一本さえ動かせない、それならばやはり無理矢理力を解放するしかない。
これでも己の神の力を日々磨いてその精度を高めてきた。力をすべて解放すると身体にかなりの負担がかかるが、この際仕方ない。

セルガは神経を心の一点に集中させた。
鎖が身体に重く圧し掛かってくる。だがここで集中を切っては失敗するだろう。

身体が棺の中に押し込まれて棺の蓋を閉められそうになって、セルガはようやく力を解放した。
突如地面から現れた炎が屋上の上に凄まじい速さで広がる。
ウィリネグロスはそれでもただ慎重に、辺りに広がった炎を横目で追うだけだった。

だが炎は辺りを燃え尽くそうとしたばかりではない。
頑丈そうな鋼で作られた棺さえ、今やその餌食にしようとしていた。

「無駄」

ウィリネグロスの表情はそれでも冷静を保っていた。
彼女の合図と共にすぐに何重もの鎖ががらがらと蓋の上から襲い掛かってくる。それは神の力さえも抑えていく強さだった。

神の力を凌ぐ鋼の力、セルガはふとそれが気にかかった。
ウィリネグロスは力の源であり媒介である真珠を持っていない。
だがそれを除いても有り余るこの大いなる力、彼女の存在はいったい何なのだろうか。

辺りに響き渡る大地の揺れは未だ収まるところを知らなかった。
セルガの力の解放も空しく押さえ込まれたために力の均衡が崩れ、ぎりぎりと強引に蓋が閉まっていく。その隙間から、ウィリネグロス自身も地面に呑まれていく姿が見えた。
彼女の足元の床は底なし沼のように融解している。その中に引き込まれていく。

ああ可笑しい。何もかもが可笑しい。
すべてはウィリネグロスの思惑の上に動いていたのだ。セルガはこの時になってようやく理解した。

シュラート国に来て彼女が何よりも先に口にした言葉は、力を持つ者を四人集めることだった。
だがそうしなかった。そればかりか、ウィリネグロスが持っていた神剣を奪った。

だから彼女はシュラート国を去ったのだ。
そして次に足を運んだのは、残り二名の神の力を持つ者が生きているエターリア国。
何ら無駄な箇所は無い。ウィリネグロスの使命は最初から一つだった、四人を一所に集めようとしていたそれだけ。

しかしこれですべてが終わる。
力を持つ内の二人は神剣によって力諸共引き裂かれて死に、もう一人は恐らく既に金色の光を放つ地面に呑まれたであろう。
そして最後の一人である自分は、これからこの暗い棺の中で強制的に死を迎える。

セルガは苦痛に顔を歪めながら、何かを悟ったように苦笑した。
結局道が変わっただけだ。行き着くところの運命は所詮、変わりはしなかったのだ。

「大した小娘だ……」

感服、と言うよりはむしろ呆れた。
何がウィリネグロスをそこまで動かしたのか興味が湧くところではあったが、今となっては何の意味も成さない。

「来世に、願いを託します」

棺が完全に閉じる前、ウィリネグロスの身体が首まで地面に引き込まれた時。
目蓋を閉じてぽつりと何かを呟く彼女の姿が目に入った。

それが最後にセルガが見たものだった。
解放していた炎の力が尽きると、がしゃんと重い音を残して勢いよく棺の蓋は閉じた。
辺りに残った鎖は凄まじい勢いで棺へと押し寄せ、一部の隙間もなくきっちり巻きついて静止する。

そうして屋上には誰の姿も見受けられなくなった。
ただ一つ、屋上の出入り口近くに立てかけられた、大きな銀色の棺を除いては。







身体が引き込まれていく。エターリア国の生きとし生けるもの何もかもが引き込まれていく。
生まれ育ったこの大地に、元始から何もかもを創り上げたこの大地に戻るために。

意識が朦朧としてきた。眼前の風景がぐにゃりと歪んで行く。
リーネは瞳だけをゆっくりと動かして辺りの様子を窺った。
静かだ。国が大きく揺れている音以外、何もかもが静寂を保っている。

自分でも驚くほど後悔というものは無かった。
リーネは強くサーンの冷たくなった手を握る。目蓋を閉じたまま動かないサーンの姿を見て、無意識に笑みが零れた。

これからが怖くないと言ったら嘘になるだろうか。
怖い、世界から取り除かれることが何よりも怖い。だが少しだけ、安らかでもあった。
争いすべてを終わらせるために、悪しきものを元に戻すことが出来た。

「すべてが、安らかでありますよう……」

そう良いものも悪いものも、元は一つだった。
また一つであり続ければいい。志が同じになればいい。

リーネの瞳から零れた一滴の涙は、つっとその白い頬を伝って流れる。
そしてそれはそのまま静かに床の上に落ちた。

途端にエターリア国が、エターリア城を基点として金色の光の波動で包まれる。
厳かで雄大なエターリア国のものではない鐘の音が、遙か天からゆっくり鳴り響いて聞こえた。
すべてが地に戻る。太古に生まれた場所が、そこであったように。

(……神様)

リーネは胸に祈った。
どこまで意識を保ち続けたのか、覚えてはいない。ただ祈ったと同時に辺りが真っ白になって、何も分からなくなった。

分厚かった雲の切れ間から太陽の光が覗いて、焼けた大地を照らし出す。
エターリアの街から炎は消えた。残ったのは焼け落ちた廃墟と辛うじて炎の中を生き延びた植物だけ。

街と同じくエターリア城からも炎は消えていた。しかし昔は栄えていたその場所に人間の姿は無い。
ただ城が以前と同じ場所に厳かに建ち続けていた。
どこからか一羽の鳥が飛んできて、何も知らずに城壁の上で小さく毛繕いをしてから、数回小さく鳴いて飛び去っていく。

いつの間にか誰もいなくなったリーネの部屋の中。
床の上にある涙だけは、窓辺から差し込んできた太陽の光を反射して静かに光り輝いていた。

やがて何百年もの時が流れ、エターリア国は何人も立ち入ることのない秘境の地となった。
誰もこのことを知らない。誰もこの小さな歴史が存在したことを知らない。
だがそれでいい、と誰かが言った。

エターリア国に注ぐ太陽の光は、何百年経とうとも変わらず今日も眩しかった。
険しい山を越えた風が、エターリア国を一気に吹き抜ける。
それはまるで、過去に紡がれた物語をどこか違う場所へ運ぼうとでもするように。













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05/11/21