拭い取られた過去は頭の中で一斉に咲いた。
辛かった記憶も嬉しかった記憶も、何もかもが生暖かいまま蘇る。

だがそれらはあまりに残酷過ぎた。
何よりもアライネとヴァドの死が自分のためだと知って、リーネはその場に崩れ落ちた。









序章  -22









ずっと知りたいと思っていた。
どんなに辛い過去でも、真実だけを知りたいと思っていた。

知らなかった。母の姿を、父の姿を、故郷の姿を覚えていなかった。
それがずっと悔しかった。
小さい頃の記憶は多少なりとも残っているものだと気付いた時、では両親の姿を覚えていない自分はいったい何なのだと、心が折れそうだった。

(私の、せい……)

けれどまさか、忘れた過去が忘れたいくらい悲惨なものだったなんて思わなかった。
母のアライネが命を落としたのもヴァドが冷たくなったのも、すべては自分を助けるため。
シュラート国でセルガと婚約して運命通り世界を力で掌握するのではなく、自らの手で未来を切り拓くため。

だが、受け入れることが出来なかった。
涙が次々に頬を伝って、街の炎を反射する無機質な床に落ち続ける。

「母、様……っ」

何のために、何の希望を見出して自分を逃がしたのだろう。
どんな将来への期待を自分にかけたのだろう。

しかし結局、運命は変わらなかった。
セルガともう二度と出会わないためにエターリア国へ命からがら逃げてきたと言うのに、また会ってしまった。
そればかりかその自分を追ってきたシュラート国軍によって、無関係なエターリア国が炎の中に呑まれている。

どこからリーネがエターリア国にいると言う情報が漏れたのか、定かではない。
エターリア国は閉鎖的で、国外に出る者は年に数人が限度だ。国境の地理条件はそれほどまでに厳しい。

不明な点が多くあり過ぎる、完全にこちらの分が悪い。頭の中が色々な情報で掻き乱される。
その中で急に、どおんとまた爆音と共に部屋全体が上下に揺れた。

リーネは思わず顔を上げた。
悲鳴が聞こえる。けれど今までの悲鳴とは違う、もっと弱弱しくてか細いものだ。
街でさっきまでとは違う異変が起こっている。

リーネはそのままちらとセルガの顔を見上げた。
その顔には今や不敵な笑みが浮かべられている。

「街を……」
「ああ、街?」
「……街を、街に何を?」

セルガはすっと肩を竦めて、別に何でも無いとでも言うような素振りをみせた。

「全員皆殺しだ。特にこの国は、すべてを狂わせたお前の母親が生まれた土地だからな」

言葉の単語の一つ一つが胸に食い込む。
セルガのその狂人じみた鋭い眼差しが怖いと思えないほど、胸の内から何かが噴き出してくる。

むしろ怖いのは運命そのものだ。
この状況を引っ張り込んできた運命、それをこの時ほど心から憎んで恨んだことは無かった。

(……許さない)

途端に辺りにそれまでとは違う緊張が走った。
セルガはちら、と横目でリーネを見て、ふっと微笑を漏らした。

リーネの身体の周りには幾重もの風の層が渦巻いている。
その音がはっきりと聞いて取れるほど、びゅうびゅうと、まるで嵐の時のような激しく不規則な音を出している。

「許さない……!」

怒りが身体の奥からふつふつと込み上げてくる。身体の周りが、身体自体も燃えるように熱い。
部屋の窓が一斉に開いて大量の突風が部屋の中に流れ込んでくる。
それらはリーネの元へ、リーネの怒りを象徴するかのように身体中を取り巻く。

耳元で風の通る音がうるさく鳴っているが、リーネの気には留まらない。
ぐっと固く握った拳が怒りで小刻みに震える。

「力を使うのか?」
「使わない。ただ怒っているだけです」
「ハッ、矛盾してるな」

記憶が戻って助かったことが一つだけある。
セルガもまた莫大な神の力を操ることができる人間だと分かった、と言うことだ。

彼もリーネが力を持っていると知っているが、国王であるサーンも力を手にしているのだと言うことは知らない。
冷静に考えてみればこちらが有利だ。
セルガの力は炎、炎は水で消し止めることが出来る。

リーネは神経のすべてを研ぎ澄ます。
だがしかしこちらが臨戦態勢をとっていると言うのに、セルガは剣一つ構えずその場に立っているままだ。
どういうことなのだろうと考え始めた矢先、セルガはこちらを嘲笑うかのように口を開いた。

「リーネ、お前は見たところ、今まで力の存在を知らなかった。違うか?」

確かにシュラート国にいた時は何か不思議な力があると自覚していたが、肝心の記憶を失っていた。
それから今まで十年、サーンと出会うまで力の存在を知らなかった。

風の声が分かるのも、水を思いのままに動かせるのも、すべて自然のことだと思っていた。
神の力という人智を超えたものの名称を知ったのは極最近のことだ。
リーネが黙り続けていると、セルガは更に喋り続けた。

「だが俺は幼少期から常に己の力の精度を磨いていた。毎日毎日同じようなことを、時に戦の場に出た」

ふと、その最後の言葉が気になった。
何を思い出したのか、セルガの顔は忌々しそうに歪んでいる。

炎は文字通り破滅、破壊の力だ。きっと戦に出てもすぐに結果が出たのだろう。
だが何故彼がそこまで嫌な顔をするのか、分からなかった。

ようやく思い出すことができたた記憶の中のセルガの姿は、優しかった。憧れだった。
本家の第一王子と言う重圧を見事に打ち負かし、多彩な才能と剣術の腕は早くから開花した。

今のセルガは恐らく、過去の自分の才能を上回って成長したことだろう。
どこか昔の面影が残っていると言うのに、これほどまで自分の考えを押し付けるような人間ではなかった。
この十年で、いったい彼の何が変わったのか。

「リーネ、お前たち王族は上手く誤魔化してたみたいだな」

セルガがくる、とこちらに向き合う。

「知ってるんだぜ。ここの誰かが、地を司る力が使えるってな」

途端に、心臓が凍って動かなくなってしまうかと思った。
何故隣国の、しかも何の交流も無かった国の王がそのことを知っているのか、唖然とした。

「そうじゃなきゃ、隣国となんの貿易もない小国が何百年も続くか?」

知っている。彼はサーンの持つ力の意味を知っているのだ。
彼の推論は驚くほど当たっている。

図星だった。エターリア国がここまで栄えたのも、すべてはサーンの力があってこそ。
街で暮らしを営んでいた時はそんなこと知らなかった。知ったのは王家に入ってからだ。

サーンの仕事は、エターリア国の大地を潤わせること。
彼の持つ力を駆使して大地を肥やし、作物が良く育つように力を配分すること。
だがそれには莫大な時間と体力が必要となる。だからサーンは数日間部屋に篭って仕事に取り掛かる。

だからこそエターリア国は今まで平穏のままだった。
特に飢饉に見舞われることも無く、人々はみな毎年同じ量の作物が取れることが普通だと思っている。
だが義理の母から聞いた話では、数十年前はムラがあったという。その話はてっきり噂か何かだと思っていた。

知られてはいけない。
エターリア国王が力を持つ者だと知られた時、セルガはきっと国を丸ごと殲滅するだろう。

「さて、昔話はもう終わりだ」

セルガは一歩、自分の元に歩み寄る。
リーネの身体を取り巻いていた風の勢いは、心なしか衰える。

「最後にもう一度だけ訊く。お前はシュラートに戻ってこないのか?戻ればいい暮らしが出来る。それにここの国王がどんな野郎か知らないが、お前はこんな辺鄙な国で死ぬつもりか?」
「……戻りません」
「そうか、残念だな。契約決裂だ」

セルガは思ったよりあっさりと諦めた。
不敵な笑みをその口元に浮かべたまま、すっと腰に手を当てる。
てっきり思い通りの返事をしない自分に呆れているのかと思った。

だが違った。それは単に自分の楽観視に過ぎなかった。
セルガの腰には数本の長剣が刺さっている。
腰に帯びていた長剣ではない、単なる短剣を素早く鞘から抜くと、急にその短剣を突きつけてきた。

「ならお前はいらない。その力を寄こせ。力すべての源のその真珠を」

彼の黒の双眸が獲物を捕らえたように光る。
シュラート国から逃げ出したときと同じような身も凍える恐怖が蘇ってきた。

リーネは一歩後退りした。
だがセルガはそれよりも速い速度で迫ってくる。短剣の鈍い光が目を貫く。

勢力を無くした風は、ただの空間に溶け込む空気へと変わった。
誰も助けてはくれない。絶望が頭の中を真っ黒に染める。
逃げなくてはならないのに、リーネは硬直する身体を動かせなかった。

昔と同じだ。何も変わっていない。
アライネとヴァドが自分に生きるための道を残してくれたというのに、これでは同じ結末だ。
短剣が腹部のすぐ手前まで入り込んできた映像が、ゆっくりと視界に入ってきた。

(……血……?)

何かを無理矢理切り裂く音がして、目の前で赤い飛沫が上がった。
人間は危機的な状況に陥る時ほど動くことができないと言う。まさにこの時、リーネは指一本動かせなかった。

突如現れた鮮血は、ゆっくりと宙を舞っていた。
リーネはそれがどうしても信じられなくて、その異様な光景に目を見開いた。
あまりの息苦しさに、心臓が潰れそうになってしまうほど。













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05/11/21