Heiland  -01









窓という窓に暗幕が下ろされた広い部屋の真ん中に、場所の大半を占めるようにして楕円形の大きなテーブルが置かれている。
その上には何倍にも拡大したラルコエド国と近隣諸国の地図がいっぱいに広げられていた。

いつもなら壁際に大勢控えている侍女の姿は、この部屋の中には一人も見受けられない。
代わりと言っては何だが、煌びやかな衣服を身に纏った男たちが重々しい雰囲気でテーブルを囲んでいた。
しかしその部屋に国王がなんの前触れもなく扉を開けて入ってくると、彼らははっとして一斉に椅子から立ち上がり軽く頭を垂れた。

ラルコエド国を治めるキア王家は代々見事な銀髪を生まれ持つ。
早すぎるとは言えないが、それでも十八という歳で国王の座に就いている彼の容姿もまた歴代のどの王にも引けを取らないくらいだった。
彼らは颯爽と部屋の中を歩いていく彼のそんな姿を見、会釈をすると、誰からともなく席に着く。

「フロール国の進行状況は」

ラルコエド国王、シルヴィオが一番奥の席に座り発言すると、近くに腰掛けていた勇壮な男が答えた。

「フロール国軍は第一都市エルミーラを征服後、数日留まってから本国からの追加の軍隊と合流し、どうやら昨日、動き始めた模様です」
「しかし各都市は荒れてないようですな。フロールはラルコエドを陥落させたそのまま利用するつもりなのでしょう」

地図上の、フロール国に攻め入られ落とされたラルコエドの都市は、黒のインクで×印が付けられていた。
最北の小都市コルネリア、その次は北西の第二都市ロゼリス、そして王都に最も近い第一都市エルミーラの順に敵が攻めてきているのだと一目見て分かる。
一方で国の東側の都市はまったくと言っていいほど攻撃を受けていなかったが、このままフロール国が進軍すれば今は平静を保っている各都市も危うくなることは必至だった。

「北西からか……。他の方角から攻めてくるという可能性はあるか?」

シルヴィオのその問いに、今まで発言してきた男とは違う男が首を横に振る。

「今のところ偵察部隊からそのような報告は入っておりません。恐らく、真正面から一気に来るものと思われます」

余程の自信家なのか、それとも臆病で計略の浅い国王と軍師の浅知恵なのか。シルヴィオは心の内で嘆息した。
だがどちらにしろこちらも敵を真正面から、それも全力で迎え撃たなければならないことはもはや確実である。

「そうでしたら、王都まで侵略されるのは避けたいものですな……」
「ああ」

その言葉に、この広い部屋に居合わせている多くの顔が曇った。

「やはりここで待ち構えるのが策ではないでしょうか」

しかしすぐに暗い雰囲気を消し飛ばすような威圧感ある低い声が部屋に響き渡った。
比較的シルヴィオの近くに腰掛けていた髭をたくわえた男が、地図上の一点を指差していた。

「イルミア平原。ここならどの都市へも影響はありません。王都に近付く手前で、捻じ伏せられます」

イルミア平原、王都から北西に少し離れたところに位置している殺伐とした場所だ。
第一都市エルミーラと王都を直線で結ぶとやや横に逸れるが、それでも北西から進行してくるフロール軍を待ち伏せするのには恰好のポイントに思えた。
シルヴィオだけでなく他の者たちも同意見らしく、今や誰もが考え込むような素振りを見せている。

そう言えば数年前のジルヴィラート国との大戦の最終決着場も、王都郊外の殺伐とした荒野の上だった。
荒野では黄色い粉塵が舞い、そのせいで空がやけに霞んでいた。
あの時の独特の匂いは今でも忘れることができない。鼻の奥にこびり付いてしまったかのように、何年経とうとも消えてくれない。

「俺も行こう」

数年前の大戦を思い出したとき、シルヴィオはいつの間にかそう口走っていた。
もちろんこの場に集まった人々からは途端にどよめきの声が漏れた。シルヴィオの近くに座っていた男たちが声を荒げる。

「なにを仰いますか!シルヴィオ様は城で待機されてください!」
「そうです。もし国王がなにか傷を負ったとあれば兵たちの意気にも関わります」
「いざとなったら城で自害しろと言うのか。そこまでラルコエド軍も弱くはないだろう。俺の腕や足が一本吹っ飛んだくらいで意気消沈されては困る」

シルヴィオのその言葉にいくらか場の動揺も収まったが、それでも人々の不安は顔から拭えていないのが見て取れた。
部屋を一度ちらと見回してから、シルヴィオは駄目押しとばかりに口を開く。

「お前たちの腕には一目置いている。だからこそ俺も安心して背後を任せられるんだ。次の戦いで、最後にしたい」

一刻も早くこの戦いに終止符を打ちたいというのは、この場にいるすべての者の共通の願いだろう。
しかも今回ばかりは敵が優勢なのだ。こちらとしては次の戦いで全力を尽くしどうにかしなければならない。
裏の裏をかく、という手は通用しない。なにせフロール国側には「例の資源」があるのだ。あれだけは裏もなにもなく、どうにもできないのだ。

広い室内が一気に静まり返った。ただならぬ静寂が空間を支配して、少しずつではあるが人々の意志が結束しようとしている予兆が感じられた。
その中で、シルヴィオの隣に座っていた貫禄のある老年の男が重々しく口を開いた。

「では、せめて後方で……」
「無論だ」

それはジルヴィラート国との大戦でシルヴィオが前線に出て戦った、そのことを指しているのだろう。
しかしあの時の自分と今の自分は違う。軍を統率する術も、それになによりも戦術スキルが数年前より上がっているという自負はある。
前回のジルヴィラート国との大戦のようにはさせない。もう大切な人を失わせはしない。その想いが、今の自分を駆り立てているようだった。

「少なくとも五日以内にフロール国軍は王都に接近する」

大きいテーブルを囲む人々の真剣な眼差しが、一斉にシルヴィオの方を向く。

「最低限の軍隊を城と各都市に残し、また念のため追加の偵察部隊を各地に派遣。他はすべて前線へ回すが、異議はないか」

いかにも勝てる、という口調と圧力をかけて話すと、人々の顔に士気が戻ってきた。
場の空気は少し前までの弱気を含んだ粛然としたものとは異なり、皆の瞳の奥には熱のこもった意志さえ見られる。

戦場を目の前にしたときと似たような感情の昂ぶりが全身を襲ってきた。
頭の中がかーっと熱くなって、どんなに小さくてもなにかのきっかけさえあれば途端に飛び出していきそうなそんな感情だ。
シルヴィオの提案に誰も異議を唱えるものはなかった。ここにいる者の考えが一つになった気がした。

「イルミア平原だ。そこでフロールを迎え撃とう」

力強く頷く男たちの顔を見渡し、シルヴィオ自身も頷いた。
それは、この件の発端となった北の小都市コルネリア陥落から三十日あまりが過ぎた日のことだった。













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2009/03/27