Kummer  -06









「……それなりに、好意はあったつもりなんだけどな」

部屋の扉が静かに閉められてからしばらくして、笑い混じりにサシャは呟いた。
しかし部屋にいるのが自分一人だと思うとなんだか思い出し笑いをしているようで嫌になったので、それきりにしておいた。

意外に真澄には鋭いところがある、と思った。
こちらが最後まで言わなくとも、彼女は言いたいことを読み取ったようだった。だが、それがすべてを理解しているのかどうかは判別しかねる。
けれどそれでいいような気がした。すべてを知ることなど、そんなもの所詮できないことなのだ。本人しか与り知らないということは必ずある。

―――シルヴィオにまた門前払いになったら、こんなあたしでも……貰ってくれますか?

あれは彼女なりの賭けだ。
きっと真澄は戻ってはこない。この後成功したとしても失敗したとしても、どちらにしろもう二度とこの部屋の敷居を跨ぐことはないだろう。

でもね真澄ちゃん、真澄ちゃんは知らないんだろうな。サシャはティーカップを手に窓の外に広がる空を見上げた。
真澄ちゃんは気付いていないかもしれないけれど、ちゃんとシルヴィオに好かれているよ。
シルヴィオはきっと、まだ自分の心に歯止めをかけているから表立って行動しないだけで。

―――あいつをここから逃がそうと思う。

その時、ふと先日のシルヴィオの言葉が蘇ってきた。
模擬試合での怪我が気にならなかったわけではない。だからこっそりと、かまうついでにシルヴィオのところへ見舞いに行った。

だがシルヴィオは見舞いのことなどどうでもいいらしく、それよりも重要なことなのだとその話題を出してきた。
いつしか彼は真澄のことを言い伝えになぞらえて捉えていた。それをその時になってようやく思い出した。
しかし言い伝えは言い伝えだ。どこまでが本当なのか、そもそも真澄が「例の存在」だという確証もない。だからこそシルヴィオに、それだけは留めさせようと思った。

真澄ちゃんのこと、気に入っていたんじゃなかったの?
そうでも言っておけばシルヴィオは、考え直すまではなくとも少しは躊躇うだろうなと思った。
しかしシルヴィオはなにも答えずに珍しくひどく眉間に皺を寄せて黙り込むと、大分時間が経った頃に呟いた。

―――あいつをここで死なせる訳にはいかない。国が、駄目になる。

これは重症だ。彼の国に対する想いの深さにも、ここまでくると感服するどころか救う余地なし。
あの時はただそう思って諦めたはずだった。この際、真澄を国外に逃がしてあとで彼が後悔でもなんでもすればいいと思った。

だが、いざ当日になってシルヴィオの部屋の前を通り過ぎようとすれば、シルヴィオはまったく本意を伝えずに国外追放を言い渡しているし、真澄は今にも泣きそうな顔をしているしで、とても放っておけずにはいられなかった。
老婆心ながら彼らに助け舟を出してしまったことを悔いているのかいないのかは、自分でも分からない。
これから自分の元へなにかしらの罰が巡りやってくるであろうが、だがそれでこの件が済むのなら案外それでもいいような気がした。

たとえ真澄が「例の存在」で死なせる訳には行かなかったとしても、もはや真澄はシルヴィオに影響を与えている。
彼は国王だ。その国王に逆らおうとするのは、今までは少なくとも自分だけだった。それでもまともに逆らったりなどはしない。

しかし真澄は真正面から啖呵を切って逆らう。それは彼にとって意表をつくものだったに違いない。
もしかしたらそれが始まりだったのかもしれない。
他とは違って自分に突っかかってくる少女が珍しかったから、だから気にかけたのかもしれない。だがそれも、言うまでもなく本人しか与り知らぬことでもある。

しかしなんにせよそこで問題になるのは、シルヴィオがある一定のラインから他人と接触を絶とうとすることだ。
それはもちろん彼の幼少期が原因なんだろうなと思う。

今でもよく覚えている。特にシルヴィオの母、先代の妃が亡くなった時の、彼の喪服の黒に染み込んでいく大粒の涙は、彼の行き場のない哀しみを表していた。
昔の稽古場でまだ幼かった彼の肩を叩いた時、こちらに振り返った顔は、ひどく怯えていた。
シルヴィオは自分の母の隣に最期の時まで付き添っていたらしい。病状は詳しくは知らない。だが目の前で弱っていく母の隣でなにもできない心情を思うと、やるせなくなる。
それに加えて数年前に彼は父も失った。しかもシルヴィオは、その瞬間を見ている。

(……私だったら、たまんないよ)

きっと自分が彼の立場だったのなら、親しい人を奪ったこの世界を恨むだろう。そしてそのまま生きていることに希望さえ見出せなくなる。
しかしシルヴィオは立ち続けた。代わりに、もう二度とあんな想いをしないようにと、親しい人間をつくることを拒絶して。
彼にとって自分はまだいい部類に入れられていると思う。それでも昔ほどには心を開かなくなったとは感じる。

だからこそ、国王を相手に引けを取ることを知らない真澄に期待してしまう。
無理なことだとは分かっている。だが彼女ならシルヴィオの心の傷を癒せるのではないかと、せめて応急処置でもいいから、なにかやり遂げてくれるのではないかと期待してしまうのだ。
このままではシルヴィオはいつかぬかるみにはまってしまう。そうなればそれこそ国が駄目になる。仕方がないのだ。たとえ、それで真澄が「犠牲」になったとしても。

シルヴィオは幼い頃からずっと暗闇の中を彷徨っている。誰かが手を伸ばさなくては彼に光は見えない。
それに今のシルヴィオは、「高木真澄」という自分に反論してくる珍しい少女を手元に置いておきたがっているに違いない。そうだとしなければ、先述の自分の問いに、彼は難なく「そんなことはない」といつもの冷淡な口調で即答したはずだ。
恐らく今はそれが単なる占有願望でしかないのだろう。しかしそれがひょんなことから別の感情までもを伴ってしまったとしたら―――。

「いやあ、楽しみ楽しみ」

まだ温かいティーカップを口元に持っていきながら、自分以外誰もいない部屋の中で、サシャはにんまりと笑んだ。













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2009/02/07