Garten  -06









手際よく手元の書類を束ねていくその仕草、慎ましやかな表情、どれをとっても清楚という言葉がぴたりと当てはまる。
真澄はじっと、執務机を挟んでシルヴィオと話す一人の若い女を横から見詰めていた。

独断で恐らく彼女は自分よりも二つか三つ年上だろう。サシャよりは幼いような気がするが、しっかりしている。
可愛いなあ、と普段シルヴィオの隣にいる所為か、同性を見ると変な見方をするようになってしまった。いけない、これでは変態だ。
彼女はこちらの視線に気付いたらしく、ふと顔を上げるとにこと笑んだ。

「では明日のスケジュールはこの通りに進めさせて頂きます」
「ああ、頼んだ」

ぺこり、と何から何まで綺麗な動作で丁寧にお辞儀をした後、彼女は静かにシルヴィオの部屋から出て行った。
しかし彼女は俗に言う侍女ではなく、服装も今までに見た侍女の服装と少し違っていた。
必要以上にふんわりとしていない服の裾は落ち着いて、デザインも大人っぽいといった方がいいだろうか。とにかく、例えるならばそんな感じなのだ。

最近になって、真澄はようやく自分以外の秘書の姿をちらほら見かけるようになった。
と言うのも今まではシルヴィオの隣の部屋に閉じ込められていたからであって、城内の出歩きを許可された日以降、秘書の姿を見かけるようになったこと以外にも侍女の身分にさえ幾つかランクがあることも知った。

真澄はすっかりいつも通りの静寂を保つようになった部屋を見回してから、本当にだだっ広い城だとしみじみ思う。
それを統括しているのが自分の隣の大きな椅子に脚を組んで座っているこの若い男だというのだから我が目を疑ってしまう。

「……で、なんであの秘書さんは時々顔見せるだけで、私はシルヴィオに付きっ切りなの?」
「最初に言ったこと忘れたのか。俺の監視下で動けって言っただろ。城内出歩きだけでも譲歩してやってるんだ」

シルヴィオの言葉に真澄は溜め息と共に肩を落とした。

「分かってるってば。でもだからって何を証明すればいいって言う……あ!」

そこで真澄は思い出したように小さく叫んでから、手をぱんと胸の前で叩いた。
どうしてすぐに思い付かなかったのだろう。この時ほど今までの自分の行動を悔やんだことはなかった。
この世界から帰りたいのならば、元来た道を逆に辿ればいいではないか。事は単純明快だ。

真澄はドレスの裾をつまんで持ち上げながら、急ぎ足で秘書の出て行ったあとの扉へと向かった。
大きな扉をくぐって、真澄は開けた扉越しに腰掛けるシルヴィオと向き合う。
いつも偉そうな態度で、それでも時々優しかったことを思えば、やはり自分は恵まれていたと思う。

「じゃあね、シルヴィオ。本当に今まで有難う」
「は?」

心の中に少しの寂寥があったが、それでも真澄は覚悟を決めて手元の扉を閉める。
そして数回深呼吸をしてから、ドアノブを握る手にぐっと力を込めた。

まさか、まさか本当に帰ることが出来るのだろうか。
今まで何回も考えて悩んでいたその帰り道が、こんなに簡単に見付かってしまってもいいものなのだろうか。
真澄は複雑な心境と共に、目蓋をぎゅっと閉じると勢いよく扉を開けた。

途端、目の前に白い光が現れた。目蓋を閉じた乳白色の世界の中で、真澄は縋るように祈った。
心臓がどうしようもないくらいに強く拍動している。
真澄は目蓋を上げるべきかどうか一瞬躊躇ったが、それでもすぐにゆっくりと目蓋を持ち上げた。

「……あれ?」

しかし目蓋を持ち上げた先に待っていたのは、目蓋を閉じる前と変わらないシルヴィオの部屋だった。
真澄は焦りながら、こちらもさっきと変わらないままのシルヴィオに向かって口を開いた。
もしかしたらこれらは残影なのではないか。そんな考えが頭の隅を過ぎった。

「え?あれ?シルヴィオ?」
「……なんだよ」

しかし残影だと思ったシルヴィオが流暢に答えたことから、これはやはり現実なのだ。
真澄は肩に圧し掛かっていた緊張がぷつんと切れたような気がして、へたへたと扉の前に座り込んだ。

「駄目だ。この扉のせいかな、とか色々考えてみたんだけど……」

同じ場所を経由しても帰ることが出来ない。
いったい何がいけないのだろうか。記憶の中では扉を開けた瞬間にこちらの世界に来ていた、と思い込んでいた。
しかしこうして逆のことを試してみても現実は変わらない。いったいどういう仕組みになっているのだか。

真澄は立ち上がって扉を何回も開け閉めしてみた。
何の変哲もない、少し大きさと飾りが普通のものとかけ離れているが、この城では極普通のものだ。

「同じ状況にすればいいのかな。それとも時間?あ、もしかしてタイミング?」
「だからって裸になるのだけはやめてくれ」
「なっ!シルヴィオの前でする訳ないでしょ!しかもあれは不可抗力!」

どこまでも失礼な国王だ。
真澄は荒々しく扉を閉めてから、またシルヴィオの部屋に戻った。

その時ふと、真澄の視界になにか動くものが飛び込んできた。
シルヴィオの背後の壁には大きな窓がはめ込まれている。そこからちらりちらりと濃い緑色の旗が風と戯れているのが見える。
あれは確か―――。

「……エディルネ」
「は?」

シルヴィオの訝しげな声を聞いて初めて、真澄は無意識の内に考えていたことを口走ってしまったのだと思って驚いた。

「今お前……何と言った?」
「あ、ううん。なんでもない!なんでもないの!」

しかしその苦し紛れの誤魔化しが功を奏すわけもなく、真澄はついにシルヴィオの鋭い視線に耐えられなくなって観念した。
国旗を見た途端に、ガラヴァルと言う神と同じ名を持つ少年のことを思い出してしまったのだ。
彼はこの城に住んでいたはずのエディルネという人を気にしていた。それらを考えていたら、いつの間にか呟いていたらしい。

しかしそれだけならまだよかっただろう。
問題なのは、「エディルネ」と言った時のシルヴィオの不意を突かれた、という驚愕にも似た表情である。
もしやまた自分はなにかまずい発言をしてしまったのだろうか。

「あの、エディルネさん、って今はどこにいるの?」

もう後には引けない。真澄は意を決して、エディルネのことを改めて問うた。
しかし自分から蒔いた種とは言え、この微妙な空気が次第に気まずくなり、真澄は思わず目線を下げる。

「ちょっと風の便りで耳にして……って言ったら怒る?」
「怒らねえよ。意外ではあるけどな」

それでもシルヴィオは銀色の瞳をやや見開いたあとで、ふうと嘆息した。

「エディルネ様は二十歳の生誕式を迎えられる前日にお亡くなりになられた。今から十何年も前のことだ」

真澄は伏せていた顔を上げた。
シルヴィオは手元の書類をぺらぺらとめくりながら、いかにもやる気の失せた仕草で独り言のようにぶつぶつと呟く。

「俺も詳しくは知らない、俺がまだ赤ん坊の時だったからな。だが聞いたところによると、エディルネ様は自身で崖の中に身を投じられて命を絶たれたらしい。後を追った侍女が見たとか何とか……」
「……身、投げ」

壮絶な最期だ。あまりの衝撃に真澄は言葉を失った。
エディルネと言う人物を実際に見たことはなかったが、ふと脳裏に、涙を流しながら風に抱かれて崖の中へ一歩足を踏み出す少女の姿が映った。

ガラヴァルからエディルネに似ていると言われたせいだろうか。
想像したエディルネにどこか自分の面影を当て嵌めてしまって、自然と気持ちが心の奥底へ重く沈んでいく。
十七年前にガラヴァルと競り合って、その後身投げして命を絶った故姫君。彼女をその決断へと誘った理由は何なのだろう。

「シルヴィオは見たことある?と言うか、この場合記憶って言うのかな?その、エディルネさん」
「ない。エディルネ様には肖像画が許されなかったからな」

素っ気無く言うシルヴィオは、しばらくしてからこちらに眉根を寄せた難しい顔を向けた。

「お前の国ではどうだか知らないがな、この国では一夫多妻制がまかり通るんだよ。エディルネ様は俺の父の父、つまりは祖父王だな、祖父王の愛人からお生まれになった方だ。本妻ではない愛人やその間に生まれた子供には肖像画は許されない」
「ってことは、本家の血筋ではないと?」
「だがエディルネ様がお生まれになってすぐに愛人は死んだ。それで身寄りのなかったエディルネ様を祖父王がお引取りになられたんだ」

一夫多妻制という事実が目の前に突き出されてみるとは思いもしなかったが、エディルネの最期にもまた閉口してしまう。
つまりなんだかんだでエディルネはシルヴィオの伯母ということになるのだろうか。

そう言えばガラヴァルもエディルネのことを、今生きていれば四十歳くらいの女だと言っていた。
エディルネはガラヴァルと同じように銀髪だったのだろうか。
女の人の銀髪はきっと綺麗なんだろうな、と自分の黒髪を指に絡ませながら考えた。

「……じゃあ、シルヴィオも愛人の」
「お前、少しは黙ったらどうだ」

シルヴィオの額に青筋が立つのが分かったので真澄は咄嗟に、はい、とだけ頷いておいた。

「違えよ、俺は王族直系だ。父王は俺の母親しか迎え入れなかったから異母兄弟はいねえ。俺の知る限り祖父王だけは……今話しただろ、多少気が多かったらしいが」

気が多過ぎだ、と一応心の中で首を横に振る。
一夫多妻制が承認されているとあって、シルヴィオも将来多くの女性を迎え入れるのだろうか、と考える。
こっそりその光景を思い描いてみれば、それがあまりにもお似合いでどこかのクラブかと思えたので笑いそうになってしまった。

だがシルヴィオの恋愛経験はかなり乏しいと聞くので、いっそ心配になる。
大丈夫だろうか。離婚などなければいいが。
他人のことなのにどうしてか心配になってシルヴィオを見てみれば、ふと同じくこちらを見ていたシルヴィオと目が合った。

「なに?」
「……いや」

さっと視線をそらされて、少し胸が痛む。
ここのところのシルヴィオの豹変振りと言うか、変に神経質なところは日に日に顕著になっているような気がする。
なんだか腹が立ってきたので、真澄はじっとシルヴィオを睨みつけてやった。

そう言えば明日はシルヴィオとサシャの模擬試合がある。サシャに強く誘われたが、未だに観に行くべきか迷っていた。
騎士の間にも自分の存在が愛人として間違った情報のまま浸透していたのだ、更に変な誤解を受けたのでは自分も、もちろんシルヴィオもたまったものではないだろう。

どうしてこの世界はこんなにももどかしいのだろう。
広い部屋の大きい窓の外を見詰めて、その青い空の中に一点の黒が見えたような気がして、途端にどくんと心臓が嫌な音を立てた。













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2008/04/06