「ついに、愛妾を囲ったって?」

ほんの軽口のつもりだったのだが、剣を交える相手の眉はぴくりと不機嫌につり上がった。
周りで剣の練習に打ち込んでいた若い兵たちも、彼から発せられる異常なまでの冷気に驚いて振り返る。
だが自分は昔からそんな彼と付き合ってきたのだ。少しくらい彼の機嫌を損ねてしまったところで、簡単にたじろぐようには出来ていない。

「……んな訳ねえだろ」
「あれ。そうなの?」

だが今、ラルコエド城内で知らない人はいないとさえ言われる「例の噂」は本当だ。
国王の自室の隣の「例の部屋」に、年頃の少女を住まわせて更に世話までしていると言う、初めて聞いた時は性質の悪い噂だと思っていた。

しかし例の部屋に出入りする侍女の話すところによると、本当らしい。
何でも彼女は以前城中を騒然とさせた王の私室に立ち入った侵入者だそうだ、だが普段の彼なら侵入者を自分の傍に置くことなどしない。

真上から照り付ける、少し強めの太陽の光を反射する剣を握り直す。
機嫌が悪くなった時の彼の剣術は荒くて鋭い、真面目に取り合わないと痛い目を見ること必至だ。
城中を駆け回っている不思議な少女の噂。懸念通り荒くなった厄介な剣を防ぎながら、その彼女の姿を一目見てみたいと思った。









Garten  -01









雰囲気が違う。匂いが違う。目にする世界がまったく違う。
最近狭い部屋で生活し続けていた所為で余計に広く見えるのだろうが、それにしても本当に広い。

無駄に高い天井に開放的な空間、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間を彷彿とさせる廊下は太陽の光を乱反射させて燦然と光り輝いている。
ずらりと数メートル間隔で置かれた調度品はまるで美術館の展示品のようだ。
これが今まで生活していた城の中の光景なのかと思うと、これまでの日々を無駄に過ごしてしまった気がした。

「すごい!すごいすごい!!」

気付けば思わず感動をそのまま声に出していた。
時折すれ違う侍女や兵士が苦笑しながら通り過ぎて行くが、いちいち気にしていたらこの感動は冷めてしまう。

もっと準備をした上でラルコエド国に飛ばされたら良かったのに、と思う。
カメラの一つでも手にしていたなら、元の世界でも稀なこの風景を一枚でも多く収めようと躍起になっていたことだろう。
つくづくラルコエド城は西洋風だなと思ってはいたが、どちらかというと中世ヨーロッパの雰囲気を若干アジアに近付けたような、例えるならばそんな感じだ。

「では真澄様、なにかございましたらお近くの侍女へお申し付け下さい」
「はい!有難うございます!」

嬉しい。嬉し過ぎる。
外の世界がこんなに明るくて、しかも輝いていたとは。もっと早くにこの風の中に身を滑り込ませたかった。

部屋からここまで案内してくれた侍女と別れると、真澄は手当たり次第、扉と言う扉を開けては閉めた。
沢山の数え切れない部屋に面食らう。無駄になっているのではないかと思う部屋さえある。

新たな好奇心に心の片隅をくすぐられながら、ふとシルヴィオの嫌々外出を許可した渋い顔を思い出して心の中で小さく笑う。
まさか本当に城の中の出歩きを許可してくれるとは、勝った、と勝負事ではないのだがそう思った。
今頃あの狭い―――この城に比べればだが―――部屋で眉間に皺を寄せて紙切れとにらめっこを続けているのだろう。

―――ラルコエドの第二都市ロゼリスが落ちた。

ガラヴァルの言葉がふっと頭の片隅を過ぎった。
国王であるシルヴィオはきっと今の状況を知っているに違いない。だがまだ自分は知らない振りをしている。
彼の口から聞かされるまでは黙っておこうと思っていた。あまりシルヴィオに気を遣わせたくも無かった。

しかしあまり国政に憑かれて疲労されるのも隣人として困る。
彼へ何か手土産でも持って帰った方がいいのだろうかと、この城がシルヴィオの城だと言うことも忘れて、真澄は左右を何回も見比べた。

(……眩しい?)

いつの間にか一番下の階を歩き回っていたらしい。
少し離れた場所に幾つかの端整な彫刻が施された太く白い柱が林立している、その先にあるのは太陽の光を受けて風に靡く緑だ。

(庭、かな)

真澄はそちらの方へ恐る恐る歩み寄って、誰もいないことを確認して緑の上へ足を踏み出した。
綺麗に刈り入れされた芝の向こうに石塀が立っていることからして中庭のようだが、これまたかなり広い。

芝生の上にしっかりと足を付け天を仰ぐ。目にじんと染みるのは四角に切り取られた青い空。
胸の奥がぶるりと、ほんの一瞬だけ小刻みに震えた。

ここまで来ても閉じ込められたままなのだ、と感じた。
空がこんなに近くにあるのに。手を伸ばせば太陽の光がこんなにも纏わり付いてくるのに。
逃げ出してしまいたい。抜け道を探して、元の世界に帰るために。

「ぶっ!」

やはり余所見をしながら歩くべきではなかったらしい。
何か大きく柔らかいものに真正面から当たって我を取り戻したが時既に遅し、身体はぶつかった反動で後ろに倒れた。

尻餅をついた先が柔らかな芝生の上で助かった。
大した怪我もしていないことを確認して、醜態を晒さないためにすぐにドレスの裾に手をかけた。
だがぶつかった時にであろう、肝心の鼻がじんじんと痛みを発している。真澄は思わず鼻頭を押さえた。

「これは申し訳ございません!姫様、どこかお怪我は?」
「い、いえこちらこそ、前方不注意で……」

すっと目の前に差し出された手を躊躇いつつも取る。
どうやら人間にぶつかってしまったらしい。強く暖かい手はゆっくりと優しく真澄の身体を引き起こしてくれた。

「……貴女は」

よかった、鼻血は出ていない。安心する真澄の耳に届いた、驚きの混じった心地よく響くアルトの声に顔を上げる。
視線が相手の足元から上へゆっくりと移動する。

(うわ、綺麗……)

突然目の前に現れたその姿に強く惹き込まれそうになった。
綺麗なブラウン色の少し長い髪を後ろで一つに結っている、髪の色と似た赤のような茶のような瞳はとても澄んでいる。
感嘆してしまうほど美しい容姿だと言うのに着ている服は男物で、腰には数本の剣さえ帯びている。

男装の麗人、ふとそんな単語が頭上にぽんと姿を現した。
ただじっと見入る真澄に対して、突然現れたブラウン色の髪と瞳を持つ人間は驚き顔のまま思い出したように口を開いた。

「貴女はもしかして……真澄様?」

突然現れた、何故か自分の名前を知っている勇壮で見目麗しい女騎士。
第一印象はこの一瞬で物の見事に決まった。













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2007/12/25