Besucher  -07









まさか、まさかありえない。この世界に来てから何度そう考えたことだろう。
この世界はすべて自分が勝手に作り上げた夢で、シルヴィオとの生活云々もその夢の中の出来事であり、それが真実であったなら。
けれど残念なことにこの世界は元いた世界と等しく存在するらしい。しかも出口が見つからない。

城の至るところから掲げられている濃い緑色の旗が、今も青空の中を気持ち良さそうに泳いでいる。
真澄は呆然と突っ立ったまま、この高い一面ガラス張りの壁からその異様な光景を見下ろした。
だってあれはどこからどうみても。

(カラス、だよね……?)

元の世界では極普通の、一歩間違えば退治されかけている生き物が国旗になっているとは、やはり文化の違いは侮れない。

「お前は……もしかして」

ふと背後から聞こえた神妙な声色に気付いて振り返る。
そこにはなにやら思い詰めた表情のシルヴィオがいた。真澄は、初めてそんなシルヴィオを見た気がした。

もしかして?その次には何の言葉が続くのだろう。
首を傾げて真澄が窓辺から離れてシルヴィオの方へ一歩歩み寄ると、途端に彼は頭を振って苦笑した。

「いや、さすがに違えな」
「何が?」

やはりシルヴィオが変だ。
今日に限ってと言うことではないが、特に今日は神経を尖らせている気がする。

もしやガラヴァルと言う少年と交流を深めたのがいけなかったのだろうか。
ガラヴァル、その名前はこの国における神の名だとシルヴィオは言う。親が神にあやかって付けたのだとしたら文句は言えないが、自分が親だったらまず付けないだろうなと思った。

そう言えばガラヴァルはエディルネという人と自分を間違えていた。
いったいエディルネと言う人はどんな人なのだろう。本当に自分そっくりなのだろうか。
シルヴィオに彼女のことも聞いてみたかったが、今は複雑な状況だ。また今度にしよう。

眉間に皺を寄せて考え込む真澄を見てなのか、シルヴィオは唐突にふらりと笑い出した。
真澄は少しだけ彼の笑顔に驚いた。
そしてシルヴィオはすぐに笑うのをやめ、じっと真澄を食い入るように見詰めてから真顔でぽつりと呟く。

「まさかお前、男じゃないか?」
「は?いきなり何てこと言ってんのよ」
「いつだったか女装して俺に取り入ろうとした野郎がいたな……でもまあ、あの夜のあの様子からして女装は除外か」

そう言われてみればそうだ。と、初めてラルコエド国に来た日の夜を思い出して真澄は赤面する。
確かにあの服装はいけなかった。
いけないと反省したところでどうにかできる訳でもなかっただろうが、何故あのタイミングでこちらの世界に来てしまったのか、一番不思議で仕方ない。

カラスと言えば、シャワーを浴びていた時にカラスの鳴き声を聞いた気がしていた。
へえ、カラスは夜にも鳴くんだなと思ったりもしたっけ。
そう言えばその時に何か変な感じがしなかっただろうか。身体に不思議な重力がかかるような、カラスの鳴き声が遠くに聞こえていたような。

(……いつ、戻れるんだろう)

この世界に来る前のことを思い出すたびに、元の世界が恋しく懐かしくなってしまう。
豪華なドレスや、一流レストランのような食事が出来なくてもいい。今更だが、ただの普通の慣れた生活が好きだったのだと自覚する。

「ナンバー7」

真澄が顔を上げると、シルヴィオが石碑の上に腰掛けてガラス張りの壁の向こうを眺めていた。
しかし今彼が腰掛けている当の石碑は、ラルコエド国に現存する限り最も古いものではなかっただろうか。

「お前、いい環境で育ったんだな」
「それって嫌味?」
「さあな」

この世界に来て今日で二日目。
まだ日は浅いけれど、初日の見解と変わったところがある。

(……シルヴィオって、案外)

他人をじっと凝視するのもいけないと思ったが、ここは蔵書室だ。本のタイトルは読めるはずもない。
また黙ってしまったシルヴィオは今も漠然とガラス壁の向こうを眺めている。
風にはためくラルコエド国の深緑色の国旗、似たような色のドレスを着ていることに気付いて、真澄は大空を揺らめく国旗と同化したような気分になった。

中庭や城壁のその向こう、遙か遠くに王都が見受けられる。
シルヴィオはそちらの方を見ているのだろうか、それよりももっと遠くを見透かそうとしているような気がした。
真澄も同じくそちらの方に目線を変えてみたが異国の風景はよく分からなかった。

(案外、面倒見がいいのかも)

本来なら不審者が城内で発見、ましてや国王の私室に立ち入ったとあれば有無を言わせず処刑されていたらしい。
そう考えれば今この場にシルヴィオといることは奇跡だ。

どうかまた奇跡が起きて無事に帰れますように、と願わずにはいられない。
静かな蔵書室。時折聞こえる鳥の群れの鳴き声。
頭の片隅にひっかかる、元いた世界とこの世界とを繋ぐ謎。

「静かだね」
「……お前が黙ってるからだ」

まだまだこの世界には慣れないけれど、生きて帰るその日まで、頑張ってシルヴィオに歯向かいます。













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2007/07/23