「いいな、絶対にそこから一歩も動くなよ」 シルヴィオに指を差された挙句堂々と言い渡されて、唖然と真澄はその場に立ち尽くした。 彼は真澄を置き去りにして一人でずんずん先に進んでいく。 思い違いをしていたのは自分の方だと気付いたのは、それから数分以上も経った後のことだった。 Besucher -06 この部屋までどういった道順を追って辿り着いたのか、皆目見当もつかない。 ふとどうしようもなく不安になったので、真澄は背後の大きい扉から垣間見える廊下を背中越しに振り返ってみた。 しかしそこには長く広い大きな絨毯敷きの廊下が果てしなく続いているだけだった。 あまりに長すぎてもう二度と戻れないような嫌な気がしたので、真澄は廊下からさっと視線を外した。 代わりに視界一杯に飛び込んできたのは何メートルもの本棚が林立しているこの部屋の光景、所狭しと並べられている数々の書物だ。 辺りを幾ら見回してみても、視界に飛び込んでくるものと言ったら本だらけ。 数分立ち尽くしていて分かったのだが、ここにはシルヴィオと自分以外誰もいないらしい。広い割には結構閑散としているようだ。 まるで古代から代々受け継がれてきた図書館みたいだ、と思う。 辺りを簡単に見回した真澄は、近くの本棚の上で可愛らしい動物が描かれた本がこちらに表紙を向けているのに気付く。 難しい本ばかりが揃っていると思っていたのだが、もしかしたら絵本だろうか。真澄は興味津々それを眺めながら、そっと手を伸ばした。 「ナンバー7!」 突然前方の何本も隔てた本棚の向こうからシルヴィオの鋭い声が響いてきて驚いた。 顔を上げてみれば、シルヴィオはこちらに顔を覗かせているが、その眉間には今やくっきりと深い皺が形作られていた。 「動くなっつっただろ!」 「なっ……ちょっと身動きしただけじゃない!」 人間は完全に停止し続けることなんて出来やしないのだから言いがかりだ。 なんとなく癪に障ったので、真澄も負けじと大音声で言い返してやった。 まったくこの国王はもう少し礼儀と言うものを勉強した方がいいのではないだろうか。 一方のシルヴィオもぶつぶつと、大方文句であろう、何やら呟きながらこちらへ歩いてくる。 すると彼は真澄の数メートル手前まで来て立ち止まり、真澄に向かって面倒そうにちょいちょいと手招きをした。 「ナンバー7、来い」 「……はい、ただいま」 このまま行くと、自分も少なからずこの我儘な王に馴染んでしまいそうだ。 どこかで一区切りつけなければこの雰囲気にもろとも呑まれてしまうだろう。 真澄は指示通りシルヴィオの呼ぶ方へ、ひらひらとしたドレスのスカートの裾をやや持ち上げるようにして向かう。 この部屋もシルヴィオの部屋以上にだだっ広いので歩くのに手間取ってしまうが、仕方ない。 そうして幾つもの本棚を通り過ぎてシルヴィオの元へ歩み寄った時、突然眼前に現れた強い光に眼光が焼かれるような気がして、真澄は一瞬怯んだ。 どうやら部屋の突き当たりの壁だけ一面ガラス張りになっている、そこから太陽の光がまともに入ってきている。 ガラス張りの壁の向こうには城壁や中庭が下へ下へと複雑に入り組んで続いている様子が見て取れた。 この本だらけの広い部屋は自室と同様、城の中でもかなり高い位置にあるらしい。 見る場所は違えど、シルヴィオの部屋から眺めた風景と同じくらい、地面が遙か遠く、地平線がくっきりと見える。 (……すごい) 真澄は思わずごくりと唾を飲んだ。 滅多に目にすることのない、高い場所からの眺望に呆然とする。 だがこの時、真澄は窓の外の風景以外に、シルヴィオの横にある分厚い鉄の板のようなものにも気を引かれていた。 真澄は小首を傾げながら、シルヴィオの隣に近寄って少し身を乗り出してその鉄の板を覗き込む。 すると背後から長身を折るようにしてシルヴィオも覗き込んできた。 「なにこれ?」 「石碑だ。ラルコエド国で現存する限り最も古いもんだから壊すなよ。ここ、読んでみろ」 「だから読めないってば!」 「っと、面倒臭えな……」 真澄はもっと近くでその古い石碑を見ようと、シルヴィオの横に少しだけ身を寄せてみた。 壁一面のガラス窓から差し込む金色の陽光を反射して、石碑は長い年月を背負っているどっしりとした風格を有している。 ああ、まったくと言っていいほど解読不能。シルヴィオが自身の名前を書いた時と同様踊っているような文字に変わりない。 シルヴィオの指はそんな石碑の文字を追うように、そっと石碑の左上から右上へと滑る。 真澄の瞳は彼の指の後を追った。だがやはり意味はさっぱり分からなかった。 「彼の国が危機に瀕する時、異国の救済者在り。救済者は伝説の神を呼ぶ使者となり、国を救う助けとなる。我が民よ謳え、ガラヴァルの名を」 正直、シルヴィオの高らかな朗読を聞き終えての第一声は「だからなに?」だった。 だからなんだと言うのだろう。救済者、国を救う者という意味だろうか。 しかも何かところどころに重要な語句が紛れていた気がするのだが。 「……あの、シルヴィオ。質問してもいい?」 シルヴィオが石碑から顔を上げたので、真澄は幾分自分より背の高いシルヴィオを見上げる形になる。 「意味は分からないでもないけど、その……途中途中で意味不明な単語が出てきたり、あとガラヴァルって……なに?」 ふーと長い溜め息がシルヴィオの口から漏れる。 呆れられると薄々予感してはいたのだが、いざ目の前で現実になると腹が立つことこの上ない。 「ガラヴァルは俺達ラルコエドに生きる者にとっての神」 「は?」 「お前本当に何も知らないのか?城のあちこちに国旗が立ててあんだろ。ガラヴァルはラルコエド国の象徴だ」 真澄はその言葉を聞くなり、ドレスを着ているという事も忘れて石碑と反対側のガラス窓に勢い良く駆け寄った。 見えるのは先程と同じく階下の城と城壁だ。しかしよく見てみると、あちこちの塔や窓からは同じ旗が掲げられていた。 濃い緑の地に黄金色の絹の縁取り。 そしてその中央にはガラヴァル、さっき偶然に出会った(命を狙われかけた)少年と同じ名前を持つという神の姿がそこにはあった。 だがその神とは、真澄の世界で日常的に見られるカラスの羽ばたく姿だった。それが中央に黒い姿で模されていた。 BACK/TOP/NEXT 2007/06/15 |