深い深い森の中、静かに息を吹き返す姿がある。
長い間眠らされ続けていたその恨みを屈辱を果たすべく、静かにゆっくり立ち上がる。

あいつはいる、あの城にまだいる。
今日こそが長年の戦いの終焉を迎える日なのだ。









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今日はこれでいったい何度目の着替えなのだろう。
朝食を取り終わってからすぐに次のドレスを差し出されて、真澄はさすがに我が目を疑った。

他人に着替えを任せることには慣れないし申し訳ないのだが、今は助かったとでも言うべきだろうか。
真澄の着替えを手伝っている侍女は、今、自分の部屋に彼女一人だけだった。
この機会を逃したら次はないかもしれない。意を決して、真澄は口を開いた。

「国王、シルヴィオのお父さんって、亡くなられてたんですか?」

真澄がちらと横を見ると、自分と同じか少し年上の侍女は驚いたように目を見開いている。
それからなにやら一人で考え込むと彼女はすぐに頷いた。

「ここだけの話ですが、その通りです。あの時はシルヴィオ様も大変落ち込まれまして」
「それはそれは……想像できない……」
「シルヴィオ様は前国王が亡くなられてすぐ国王になられたのですが、妃様を娶らなければならないと周囲が申しましてもただ戦に没頭するのみ。ここ数年の王の姿には涙いたしました」

彼女のその言葉は結構大袈裟な表現を含んでいるような気がしたが、ここにいる侍女は王を敬う傾向にある。
真澄は彼女もその中の一人なのだと思うようにした。

確かにシルヴィオは剣一筋なところがあるように思える。
この世界の結婚適齢年齢は何歳なのかは分からないが、彼女の話からして日本よりは早いのだろう。
すると侍女は思い出したように言った。

「妃様をずっと迎え入れないようにしていたのには理由があるのです」

そう言えばこの城の侍女たちは、真澄が城に来た当初もそんなことを言っていたような気がする。
訳も分からずこの世界に来て着替えさせられた時、数人の侍女が口々に「シルヴィオ様もとうとう結婚をお考えに……」と涙していた。
それでシルヴィオはまだ独り身なのだと知ったのだが。

侍女は真澄のドレスの背中の紐を手際よく結び始めた。
ベージュのドレスから一変、今度はどうやら深い緑色の大人っぽいドレスだ。

「多分一番大きいと言われているのはシルヴィオ様のお母様ですね。不治の病にかかり目の前で弱っていくお母様を自分は見ていることしかできなかったと、それは大層嘆いておられました」
「あいつにもそんな時期が……」
「それから、これは最近私共の間で言われ続けていることですが」

侍女は着替えを手伝う手を止め、やや声のトーンを落とすと言った。

「シルヴィオ様は『ただの結婚』より『政略結婚』を望まれていまして」
「はい!?」

やはり結婚と一口に言っても、その土地その歴史によって違うのだと思い知らされて眩暈がする。

「ラルコエド国は大国ですから、政略結婚によって妃様となられる方の国はこちらの領地も同然」
「それってつまり……領地拡大目当て?」
「恐らくは。まあどちらに致しましても、シルヴィオ様はもう親しい方が亡くなられるのをご覧になりたくないのでしょう。優しい方です」

侍女は普段喋ることを禁じられているためか、許された時にはすべて吐き切ってしまうようだった。
彼女も同じく胸がすっとしたような晴れ晴れとした顔を見せ、真澄の部屋を出る際の表情はそれは素晴らしい笑顔だった。

それにしても考えさせられてしまう。
シルヴィオのあの整った顔立ちから政略結婚に難はないはずだが、結婚に肝心の愛はなくてもいいのだろうか。
もし自分が政略結婚をしなければならない立場だったとすれば、そんな強引な結婚は即お断りだ。

「あいつがそんなこと考えてただなんて……」

人間は外見だけでは分からない。
あんな無愛想で口が悪い彼も、昔は少なくとも今よりも純情だったらしいのだから。

ああだから、自分が彼の父親の事を聞いたときに場の雰囲気が気まずくなったのだろう。
シルヴィオの遠くを見るような瞳の意味も、なんとなく分かった気がする。

けれど優しいのだろうか。愛のない政略結婚は自分を傷付けないためだとしても、本当に優しいのだろうか。
もし仮にも万が一、シルヴィオにとって本当に好きな人が現れた時、彼はそれでも政略結婚を選ぶのだろうか。
真澄は彼の何事も冷静に対応する無頓着な姿を想像してから、きっと諦めも早いんだろうなと思った。

「って、なんであいつに親身になってんのよ!」

両手で気合を入れんばかりにぱんと頬を引っ叩く。
そして叩いた後に残った現実のじんじんと染みる痛さに、やはりこれは夢ではないのだと文字通り痛感する。

ふうと一息ついた真澄は、気晴らしに窓でも開けて空気の入れ替えをしようと窓枠に手を伸ばした。
この時初めてラルコエド城外の世界を見たような気がした。

複雑に入り組んだ城壁、どうやらこの部屋は城の中でも高い位置にあるらしく、王都が遙か下方に見られる。
あそこでは人々が自由に街を行き来しているのだろう。
真澄は城での生活を満喫するよりも、あの街で楽しく暮らしたい、と思った。

しかし不意に、ちらと視界の中に何か黒い点が飛び込んできたので、真澄は目を瞬いて視線を窓の外に移した。
澄み切った青空の中で黒い小さな点は不自然に浮かんでいる。
心なしかそれがゆらゆらと揺れているような気がするのは、自分の幻視だろうか。

(……鳥?)

真澄はその黒点の正体を不思議に思うまま窓辺に近寄った。
金で縁取られている窓は隈なく磨かれていて、外の風景がよく見えた。

その窓を通して見えた、最初は小さいとばかり思っていた黒点は、次第に輪郭を増長させていく。
何故か分からないがその黒点が明瞭に見えるにつれ寒気がしてきた。

いけない、窓を閉めなくては。
真澄は窓の鍵を閉め直そうとするが、それよりも速い速度で「黒点らしきもの」は迫ってきた。
それはまるで、なにかの殺意によって突き動かされているように。













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2007/02/28