ガラヴァルが鳴くのは求める者を見出したとき。 我の民に味方するとき。 たとえそれが、どんなに過酷な状況下であろうとも。 Anfang -06 「いい?これがあたしのいた世界で日本はここ。この細長いやつ。あたしはここに住んでたの。で、本当はこの世界ってのは球形になっていて、宇宙って言うなんだか無重力でダークマターとか含んでる……ああやっぱり分かんなくなってきちゃった。えーっとつまり、世界は地球で地球は宇宙の中に浮いてる太陽系の三番目の惑星なの。分かった?」 「全然分かんねえ」 シルヴィオのあまりにもさっぱりとした即答に、真澄は溜め息と共に項垂れた。 それもこれもシルヴィオがここにきた経緯を説明しろというから、手渡された羊皮紙にわざわざ世界地図を描いて、自分が住んでいたのはここなのだと主張したのに、努力の甲斐もむなしくまったく理解を得られないのだ。 常日頃なにも知らない自分たちに勉強のなんたるかを教える教師の気持ちが、この時に限って少しだけ分かるような気がした。 シルヴィオの部屋の、本来は執務用に使うのだというこれまた絢爛な机を挟んで、真澄とシルヴィオは早朝から羊皮紙とにらめっこを繰り返していた。 机の上の両脇にはうずたかく分厚い本が積まれているので、用心しなければ肘で崩してしまうかもしれない。 「まあ後半の宇宙云々は置いといて……」 「じゃあ説明するなよ」 「あたしが住んでたのは確かにここ、日本。だけどいつの間にかこのラルコエド国に来ちゃったの、何で?」 「逆に俺がお前に訊きてえ」 シルヴィオは、はあと盛大な溜め息を付く。 真澄の言っていることが支離滅裂に聞こえてきたのだろう、彼の眉間には幾つもの皺が寄っている。 「大体な、この世界が球形ってなんだ?丸かったら歩けなくないか?」 「だってあたしの世界じゃそんなの常識だし。それにあたし、そこまで物理とかに詳しくないし」 「ウチュウっていう水のようなものに世界が浮いてるって話も、解せねえな」 「あ、宇宙はまだ未解明。でも浮いてるんじゃない?無重力だから」 「お前の理論は滅茶苦茶だな……」 滅茶苦茶でもなんでも仕方がない。自分にはそんな大それた知識などないのだ。 ああ、こんな時に世界の名賢者が自分の後ろに控えてくれていたら、どんなに感激したことだろう。 しかし彼らはもうとっくの昔に役目を終えている。その役目を引き継いでいるのが、あの忌々しい教科書だ。 もう少し勉強しておけばよかったな。と思うと同時に、高校での勉強風景が目蓋の裏に浮かんで無性に勉強したくなった。 「あれ、そう言えば」 今まで気付かなかったのがおかしいくらい、真澄はこの時になってふと疑問を抱いた。 真澄は羊皮紙そっちのけで、目の前のシルヴィオの覇気のない瞳を覗き込む。 「なんであたしとあんたの言葉通じてるの?」 よく考えてみれば、これが一番不思議なのだ。 真澄は正真正銘現代の日本人で高校一年生。英語のテストはそこそこ、流暢に喋れるほどではない。 一方のシルヴィオはラルコエド国の十八歳にして国王。まさか日本語は知らないだろう。 ならばどうしてなんの接点もない世界の二人の会話が、こうして通じているのだろうか。 もしかしたらラルコエド国の言語は偶然に日本語と同じ系列を辿っているのだろうか。 「シルヴィオ、自分の名前この羊皮紙に書いてみて」 真澄は多少の希望と共に、はい、と持っていた羽ペンを手渡した。 渋々ながらシルヴィオは差し出された羽ペンを手にすると、インクに羽ペンを浸し直してからさらさらと、真澄お手製の世界地図の真ん中に自分の名前を書く。 「……うわ、なにこれ。読めない」 「は?じゃあお前が書いてみろ」 真澄もシルヴィオの書いた名前の上辺りに自分の名前を書いた。 羽ペンは使い慣れなかったが、どうにかして「高木真澄」と書くことができた。 「なんだその角張ったような文字」 「失礼ね、日本語よ。あたしが今こうやって喋ってるのも日本語」 理由は不明だが、どうやら真澄とこの世界の言語は通じ合ってるらしい。 もしこれで言語さえ通じていなかったらと思うと寒気がしたが、言いたいことが言えるだけまだマシだ。 真澄はこの世界ではポジティブシンキングで行こうと思った。 いちいち挫けていたら、とてもではないがやっていられるものではない。 「あたしがスパイじゃないって分かった?」 「なんとなく、な。けど俺を騙すために演技してるっていう可能性もあるからな」 「……あんた結構スパイに騙されてきたのね」 「若い頃から優秀だと他人に目え付けられるんだぜ?」 苦笑しながら明後日の方向を見る彼の顔は真剣だ。 そもそもシルヴィオは十八歳にして既に国を治める立場にある。楽そうな生活を送っているように見えて、案外苦労人なのかもしれない。 真澄は、本当に少しだけだが、彼に対する嫌悪感が解けたような気がしてほっと肩の力を抜いた。 それと昨夜はこの部屋も真っ暗で気付かなかったのだが。 「シルヴィオって綺麗な髪してるよね」 真澄は机の上に肘を付きながら手を伸ばして、目の前にある彼の銀髪をすいと掬ってみた。 染めたわけでもない見事な銀髪は、さらさらと指の間から流れ落ちる。 綺麗な銀色の髪に加え、彼の瞳もよく見ればどことなくアッシュ、銀色。侍女たちがああして騒ぐのも無理ないのだろう。 しかしシルヴィオは、真澄が彼の髪に触れた途端にそれまで目を落としていた羊皮紙から驚いたように顔を上げてこちらを見た。 髪に触れただけなのにそこまで驚かれても、逆にこっちの気が引けてしまう。 「それを言うならお前の黒髪と黒い瞳も珍しい。黒はこの国では神の色だ」 「へえ、やっぱりこの国ってヨーロッパ色素強いんだ」 今着ている(厳密に言うと着せられた)ベージュ色のドレスも、どことなく中世ヨーロッパ的だ。 そうやって己の恰好を見回す真澄に対し、なにかを考えていたらしいシルヴィオは、徐に机の引き出しから一つの丸いケースを取り出した。 「ナンバー7」 「その呼び方やめて欲しいわ」 「こっち回れ」 どうせ逆らえないのだ。真澄は彼に言われるままに立ち上がり、執務机を回ってシルヴィオの隣に立った。 彼が今手にしているのは、綺麗な金細工の入ったコンパクトのような、手のひらに収まる大きさのケースだった。 「わ、綺麗……」 「そのままじっと目え閉じてろよ」 さらりと言われたその言葉に、真澄はぎょっと目を剥いた。 「は!?あんたここに来て何しようって言うの!?」 「勘違いするな。不逞な行動をするときにはご丁寧に前もって言ってやる。そんなんじゃねえから安心しろ」 「信じられないわよ!」 「平気だっていうのが分からねえかな」 シルヴィオは後退しようとする真澄の顎を人差し指でくいと上げる。 真澄はいきなりの彼の行動に固まってしまって、身動きひとつさえできない。 だが固まる真澄を無視して、彼の小指は唇に触れるとそのまますっと柔らかく唇の上をなぞっていく。 思わず目を瞑ってしまった真澄は、彼にぺちぺちと頬を叩かれたことでようやく目を開けた。 シルヴィオが手にしているコンパクトは開いている。そこには鮮やかな朱色が浮かんでいる。 「黒髪と黒い瞳には赤が必要だな。明日はもっとド派手なドレス頼んだらどうだ?」 机の上にあった鏡を覗いてみると、さっきまではなかった彩が唇の上にあった。 唇はショッキングピンクでもなく濃すぎるほどの赤でもなく、ちょうどいい朱色。 「あんたにそんな趣味があるなんて知らなかった……」 「一応念のためだが、これは母親の形見の紅だ。趣味だとか違うからな」 「え、そんな大事なものいいの!?」 「どうせ使わねえよ。それにこういう色はお前がよく似合うだろ」 意識して言っているのか、時々不安になる。 多分シルヴィオの清々しい顔からして、今の言葉の意味もあまり意識していないのだろうと思った。 どちらにしても真澄の胸はぐっと締め付けられて、心なしか顔が熱くなる。 彼にどんなお礼を言えばいいものか分からない。 (いけない、この人って自覚ないんだ……) シルヴィオは戦いの場においては優秀なのだろうが、恋に関するところでは疎いらしい。 さっきの着替えを持ってきた侍女も言っていたように彼には妃様、つまり奥さんがいないらしいし。 「あんた、きっと晩婚よ」 「……その言葉すげえ腹立つ」 また羊皮紙とにらめっこを繰り返しながら、迷い込んだのが過去の日本じゃなくてこの世界でよかったかもしれないと思った。 BACK/TOP/NEXT 2006/12/27 |