「やっぱりこの色は駄目かしら」
「そうねえ。大人っぽいものより可愛らしいものがいいわ」

次々に目の前に差し出されるのは、見たことも無い豪華なドレス。
真澄が侍女に連れられたのはドレスがこれでもかと揃っている大きな衣裳部屋だった。
真澄はそこに着くなり抵抗空しく数人の侍女によりバスタオルを引き剥がされ、まるで着せ替え人形のようにあれやこれやと飾り付けられていく。

そう言えば、また一つ思い出したことがある。
どうやら元の世界とは似て非なるこの世界に来る前、シャワーを浴びている最中のことだったか、真夜中なのにどこからかカラスの鳴き声が聞こえてきたと言うことを。









Anfang  -04









広い部屋にはいつに無く物々しい雰囲気が漂っている。
大きなゆったりとした椅子に腰掛ける若い男の前には、同じく若い青年が跪いている。

勢い息が詰まりそうになってしまうのも無理ないだろう。
たった今しがた、王の私室に侵入者が現れたという話題で城内は混乱に陥っているのだ。
王はこうして今も無事だが、もし命を取られていたらと考えると、城内に仕える者たちは皆慌てふためいた。

「城付近を隈なく捜索しましたが、侵入の形跡は見られませんでした。当直に当たっていた兵も皆揃っております」
「そうか。下がれ」
「はっ」

青年は深く頭を垂れた後で、すぐに部屋から退出していった。
残された若い男は溜め息混じりにふーと長い息を吐いてから、椅子の背凭れに寄りかかる。

このラルコエド国王の私室兼執務室は最も警備が厳重になっている場所だ。
しかし彼女はいったいどうやって警備の目を潜り抜けて現れたのだというのだろう。しかも「あんな恰好」で。
丸腰もいいところだ。剣を突き立てなかったから良かったものの、スパイにしては警戒心があまりにも無さすぎではないだろうか。

ラルコエド国王、シルヴィオは椅子から立ち上がり大きなベッドの上に倒れ込んで、近くに投げ出してあった本を引き寄せた。
彼女は本当に取り入るつもりだったのだろうか。だとしたら気を抜くことは許されない。
それはもはや言うまでもないことだったが、何か心の奥底に眠る違和感がさっきから騒がしい。

それからどれくらい経っただろう。廊下が嫌に騒々しくなってきたなと気付いたのは、ベッドに倒れこんですぐのことだったような気もする。
シルヴィオは手にしていた本から顔を上げた。同時に、こんこんと軽い音が部屋の扉を叩く。

「シルヴィオ様、姫様の用意が整いました」

やはりさっきの少女は愛人だと勘違いされているらしい。

「通せ」
「では私達はこれで失礼します。真澄様、前へどうぞ」

扉を開けた侍女の顔は嬉しそうにほころんでいる。それに彼女の後ろにはさっきは見なかった侍女が二、三人ほど増えていた。
どうやら早速「彼女」の噂は広まってしまったらしい。
後々の処理が面倒になりそうだ、と内心舌打ちしながらシルヴィオは頭を掻いた。

数人の侍女たちに抱えるようにして前へと押し出されたのは、真紅のドレスを身に纏い、慣れないようにしている少女だった。
どこか戸惑っている顔は、ひらひらとしたレースを鬱陶しく思っているようでもある。
この国で神の象徴として謳われている黒い髪と黒い瞳を持つ容貌は、少なくともこの国の人間とは思えなかった。







「お前、真澄って言うのか?」

きゃいきゃい黄色い声を上げる侍女達の声が大分遠ざかってから、真澄はベッドの上で寛ぐシルヴィオをちらと見た。

「なんだその顔」
「ちょっとこの服窮屈すぎない?あんたの服もそうだけど、この国の服っていつの時代の影響なの?」

何も身に付けずにこの国に来てしまったため、何から何までお世話になってしまった。
コルセットらしき下着がさっきから腹部の辺りを締め付けている。

白いレースに滑らかな生地、そして細かな装飾のドレスは、世界史の授業の時間に資料か何かでちらと垣間見たような気がする。確か中世ヨーロッパ辺りだっただろうか。
そして今着ている服がまさにそのものだ。そしてシルヴィオと呼ばれていた彼が着ているのも、資料集で見た偉い男の人の服装に似ている。

まさか何かの弾みで過去のヨーロッパにでも流れ着いてしまったのだろうか。
いやまさかそんなはずはないだろう。タイムマシンなんてまだ開発されていないのだから、表向きには。

「今って西暦何年?」
「セイレキ?」
「キリストが生まれてから……だっけ?とにかく年の数え方よ」
「キリストってのは知らねえけど。年号なら、今はカスファ暦三十七年だ」
「……もう、なによそれ」

ここに来てようやく事情が飲み込めてきて、薄らと予想はしていたのだが辛かった。
カスファ暦なんて聞いたことがない。彼と出会ってからと言うもの、意味不明な単語が増えるばかりだった。

今まで異世界で迷ってしまった、というのは単なるおとぎ話だと思っていた。
それが如実に自分に降りかかって来ると、どうして想像できただろう。

「帰りたい……」

元の世界に帰りたい。父と母の待つ我が家へ帰りたい。
この世界では誰も助けてくれない、助けようとしてくれる人もいない。
いきなりなんの準備もなく放り込まれたのは、風習も風土もまったく違うであろう未知の世界。

どこか違う世界に迷い込んで何とかその世界に馴染んで生活する。
そんなこと出来やしない、出来る自信はまったくない。
自分は必ずしもハッピーエンドで終わる世界にいる訳ではない。もしかしたら一生帰れないかもしれないのに、前向きに行動なんてできる訳がない。

色々なことを考えてしまったのが影響したのか、どこからともなく涙が溢れてきて真澄の頬を伝った。
思いは溢れるだけ溢れて行き場をなくしてどうしようもなくなる。

「泣いてるのか?」
「……違う。少し目にゴミが入っただけ!」

どうしてこんな訳の分からない世界に来てしまったのだろう。
今もベッドの上で本を読む男、シルヴィオと呼ばれていた彼は見るからに頼りにならなさそうだ。

違う世界に行くなら、どうせなら過去の日本がよかった。
過去の日本ならいつの時代にしろ、まだ分かり合えることが多かったかもしれない。

「気が強いと言うか、強情と言うか」
「放っておいてよ!」
「ま、これでお前のスパイ容疑は半減した。それじゃあ、これから俺直属の秘書ナンバー7として働けよ」

突然吐き出されたシルヴィオの言葉に、真澄は我が耳を疑った。

「なに……その俺直属の秘書ナンバー7って……」
「ここに置いてもらえることを有難いと思え。本来ならお前みたいな人間は国外追放だ。ちなみにお前は七番目の秘書、直属なのは俺の監視がある所で動けって意味だ」

国外追放もたまったものではないが、秘書と言う扱いも頷けない。
だいたい、どうしてこの王はこんなにも偉そうなのだろうか。

「あんた本当にいけ好かない性格してんのね」
「追放するぞ」
「まだ見るからに若いのに王様なんて分からない」
「俺の年で王は普通なんだよ。今年で十八だからな」
「十八?あたしより二つ年上なだけじゃない」

十八歳といったら、真澄の世界では高校三年生か新米の社会人。少なくとも一国の王を務める年齢ではない。
それにさっき着替えを手伝っていた侍女も、真澄と同じくらいか少し上の少女たちばかりだった。

異世界での生活は本当に訳の分からないものばかりだ。
この国が日本ではなくラルコエド国なのだと言うことも、さっぱり実感が湧かない。
本当にここは違う世界の違う国なのだろうか。もしかしたらこの場所だけは人為的に造られていて、外に出たらそこは日本なのではないだろうか。

「ね、シルヴィオだっけ?」
「国王を呼び捨てとはいい度胸だな」
「会ったときに仰々しい敬語使うなって言ったのはどこの誰よ」

シルヴィオはまだベッドに寝そべって本に目を通している。
真澄は彼の方に少し近寄って、シルヴィオの顔を覗きこむようにして身を乗り出した。

「外に出てもいい?」

ずるり、とシルヴィオが手にしていた本がずり落ちる。
本の下から現れたのは、こちらを驚き顔で見詰め返してくる双眸だった。

「おい、ナンバー7」
「……その呼び方腹立つ」
「お前まだスパイ容疑かかってるんだからな。勝手に動いたら有無を言わさず刑に処すぞ」
「わ、本当に王様なんだ。すごい!」

シルヴィオは溜め息混じりにようやくベッドから腰を上げた。
どうやら真澄のあまりの危機管理の無さに呆れているらしい。

「お前は危険重要度最高値だ。仕方ねえな、当分のお前の部屋はそう遠くないところにしねえと……」

シルヴィオは立ち上がると億劫そうに部屋中をぐるりと見回した。

「こいつの部屋を俺の部屋から遠ざけるってのも危ねえな。だからといって近くにするのも逆に……」
「さっきから一人でなに言ってんの」
「今は戦乱の世なんだよ。勝つか負けるかのどっちかだ」

それまでぶつぶつと呟きながら眉間に皺を寄せていたシルヴィオは、しかしすぐに思い付いたように指をぱちんと鳴らすと真澄の腕を取ってぐいと引いた。

「あったな、近くにあってこいつが勝手に動き回れない部屋が」
「は!?ちょっと!あたしを秘書として扱うって話はどこに行ったのよ!」
「んなもん名目だ。だけどな、呼んだときには必ず来い」

完璧に彼の考えは自己中心的ではないか。
いや、ここは拾われた挙句に世話までして貰えることに感謝すべきなのであろうか。

混乱する頭の中で色々と考えてみたが、とりあえず礼だけは述べておかなければと思った。
こんなひらひらの綺麗なドレス、結構値が張るだろうに。
真澄がシルヴィオに向かって口を開きかけたその時、彼はベッドのちょうど反対側の壁の前で立ち止まった。

ベッドはだだっ広い部屋に入って右側に位置している。
真澄とシルヴィオが立っているのはその正反対の左の壁、しかしそこにはさっき出入りした部屋の扉ではないもう一つの扉がある。
どういうことなのだろう。この部屋は二本の廊下と面しているのだろうか。真澄は首を傾げた。

「ナンバー7、入ってみろ」
「え、向こうに何があるの?」
「入ってみてのお楽しみだ」

真澄は恐る恐るドアノブに手をかけて、そっと扉を手前に引いた。
この扉の向こうに何が待っているのか。想像しようと思ったができなかった。

初め小さく開いた扉の隙間からは、ただの暗闇しか見て取れなかった。
しかし真澄が意を決してがちゃりと大きく扉を開けると、その向こうで待ち受けていたのはシルヴィオの部屋より一回り小さいが対照的なつくりの部屋だった。
人気はないので使用されてはなさそうなのだが、手入れはきちんと行き届いている。

「わ、これあたしの部屋?」

思わずじんと胸が熱くなって、真澄は胸を両手で押さえた。
急ぎにもかかわらずこんなに立派な部屋を用意するとは、シルヴィオも結構優しいところがあるではないか。
ありがとう、と礼を言うために真澄が振り向いた時だった。

目と鼻の先にあるのはさっき自分が開けたばかりの濃いこげ茶の扉。
何故か遅れて聞こえてきたばたんという扉を無理矢理閉める音に、その後に続く、じゃらじゃらと金属同士がぶつかり合うような音。

もしかして、と疑う余裕も与えられなかった。
真澄は今やシルヴィオに謀られて、この部屋に閉じ込められたのだ。

「ちょっと!ここから出して!」
「夜も遅いからな、明日になったら開けてやる」
「ふざけるんじゃないわよ!プライバシーの侵害よ干渉しすぎだわ人権っていうものがこの国にはないの!?」
「それじゃせいぜい静かにしてろ」

まったく不本意だがラルコエド国王の隣室、真澄はそこに居を構えることになった。













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2006/12/26