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ラルコエド国、初めて聞いたその言葉を何度も頭の中で反芻してみた。
無意識に世界地図を思い浮かべる。そのいかにも滑舌のよさそうな名が付いた国は、いったいどこに位置していただろうか。

だが結局埒は明かなかった。
世界各国をすべて言える訳ではないが、ラルコエド国という国名は今まで十六年間生きてきた中でも聞いたことがない。
真澄は目の前に立ったまま同じく眉間に皺を寄せて不審そうにこちらを見下ろす彼の顔を見返した。

「ラル……なんだっけ?」
「ラルコエド。お前、いったいどこの人間だ?」
「日本人」
「ニホンジン?」

彼はさも新しい単語を見つけましたと言わんばかりの口調でオウム返しにしてくれた。
どうやら両者の言いたいことがまったく噛み合っていない。真澄の心の中はいよいよ焦ってきた。

もしかしたら、仮にも万が一の話だが、相手もこの場所も元の世界とはまったく違う世界なのではないだろうか。
目が覚めて気が付いたら違う世界。そんな設定の物語を幾つか知っている。
まさかとは思うが、いやしかし、そうとでも仮定しない限りこの状況が上手く処理しきれないのだ。

だがただそれだけが分かったからと言ってどうしようもないのも変わりない事実ではある。
仮にここが違う世界だとしても、帰り方そのものが分からない。どんな方法を持ってしてこの世界にやってきたのかも定かではない。
致命的だ。真澄は頭の中が再度真っ白に塗り潰されていくような気がして、思わず項垂れた。

ここでこの複雑な状況から脱するために妥協しようと動いたのは、真澄ではなく男の方だった。
どうやら真澄が開けたらしい部屋の扉の向こうには一本の廊下がある。その廊下に向かって、彼は気だるくぱんぱんと手を叩く。

「おい、誰か手の空いている奴いないか!」

彼の声に若干怖くなって、真澄も恐る恐る背後を振り返る。
するとぱたぱたと小さく走る音が遠くから聞こえ、すぐに扉から一人の侍女が顔を出した。
侍女はすっと軽くお辞儀をしてから使え主である王を見て、それからその足元に座り込んでいる少女とを見比べる。

「……あの、シルヴィオ様。御用事は?」
「ああ、この女を着飾らせてやれ」
「この方を、ですか?」

ぱちぱちと驚きで目を瞬きする侍女と目が合う。
彼女にしてみれば、どうしてこんな場所にバスタオル一枚の少女が座り込んでいるのかと言った心情だろう。

これはかなり宜しくない展開ではないだろうか。
薄暗い部屋に初対面とは言え男と二人きりでいるのだ。侍女が戸惑うのも無理はない。

しかし侍女はしばらく考え込むと、それから合点が行ったように頷いた。
突然柔らかな手を差し出されて真澄は身体を強張らせる。
だが彼女はあくまで笑んでいる。侍女はその美しい表情のまま、ラルコエド王ににこと会釈した。

「承知いたしました。すぐに着飾らせて参ります」
「言っておくが、こいつは秘書だ。愛人だとかそっちじゃねえぞ」
「平気ですわシルヴィオ様」

秘書?愛人?二人の会話に思考回路が爆発して吹っ飛んだ。
なんだか自分のいないところで勝手に話が進みすぎていないだろうか。
頬を赤らめて、まったくシルヴィオ様も隅に置けない方、と呟く侍女に引かれて真澄は広すぎる部屋を後にした。

しかし本当にここはどこなのだろう。
いつまで経っても長い廊下しか現れない場所。広い部屋と豪華な装飾品がある、男が「ラルコエド国」と言っていた場所。
いつ、どうして、どうやって自分がこの場所に来たのか、皆目見当も付かなかった。













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2006/12/26