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それはまるで夢のような速さで あたしの人生は、驚くほど嘘にまみれた人生だ。 口を開けば大半が虚言で、咄嗟の理由を取り繕うのにも、難なくすらすらと条件が揃えられてしまうことに自分で絶望する。 そうやって嘘をついて最終的には他人に迷惑をかけるあたしが、あたしは反吐が出るくらい一番嫌いだった。 嫌いだ。嫌いなのに、どうしてかあたしは嘘をつくことをやめてはくれない。 どうしてこうなってしまったんだろう。分からない。 どこで嘘の魅力に取り憑かれてしまったのか、思い出そうにも思い出せない。 気がつけば、自分に不利なことがあると、いかにも真っ当だと考えられる言いわけを作ることにいつの間にか抵抗がなくなっていた。同時に、心の中には、とても言葉では言い表せないような淀んだ空気が押し溜まっていくのも事実だった。 つらくないはずがない。すべての嘘を、今すぐにでも剥いで取り去ってしまいたい。 けれどあたしの中から嘘を除去する術を、あたしは知らないのだ。 嘘をついたあとに残るのは虚しさだけだと、何回も痛感してきたと言うのに。嘘をつくたびにあたしの身体の奥にあるとても小さな部分が少しずつ崩壊していくことも、分かっていたと言うのに。 どうすればいい? どうすればあたしは普通の人間でいられるの。 それともこうして人間の中で底辺にのさばっているあたしには、知る由などないと言うのですか。神様――。 「俺はむしろ、今まで耐えてきたあんたのその精神力を疑うよ。そんなになるまで自分を追いつめて、苦しくないわけがないだろ……」 目の前の足の低いテーブルの上で揺らめくコーヒーの渦を見つめながら、あたしは彼の沈痛な声を聞いた。 あたしのことなのに、まるで自分のことのような調子で話す彼の行為が理解できなかった。 彼の顔を見ようとは思わなかった。 顔を少しでも上げれば彼の表情などすぐに読み取れるだろうなと言う予想はついた。 おおかた彼はやや顔を伏せて、自分と同じく白いマグカップの中に渦巻くコーヒーの模様を見つめながら考えごとをしているだろう。 だがあたしはこのとき最早、半ば自暴自棄になっていたのだと思う。 だからこそ普段は他人に微塵も話すはずもない自分のことに対して、ここまで恥ずかしげもなくすべてを公にしているのだ。 「……苦しいに決まってるでしょ」 彼が口を開いてから長い沈黙が訪れたあとで、ぽつりと、けれど強くあたしは吐き捨てた。 あたしの背後にある大きな窓から風の塊がふわりとなだれ込んで、あたしの背中をゆっくりと撫でた。 今まであたしがどんなに嘘に辟易してきたか、普通の人生を歩んできたあなたには分からないでしょう。 どんなに嘘の呪縛から逃れたいと思っても、そのたびに新たな嘘に捉われるあたしの気持ちなんて理解できないでしょう。 そう言いたかったが、彼にそこまで言ってのける権利が自分にないことなど既に承知していたので、あたしはそれきり黙った。 「嘘の悪い面ばかり見すぎだよ、あんたは」 静かに紡がれた彼のその言葉に、あたしはようやく顔を上げた。 「いい嘘と悪い嘘があるって聞いたことがあるだろう。あんたはその二つの嘘を、全部悪いものだって思ってる。だから今、自分の中でいっぱいいっぱいになってるんだ」 「……それは、素敵ね」 理想論だわ。心の中で呟いてから、あたしは苦笑した。 「よく考えてみろよ。あんたが今までついてきた嘘、それって半分は人のためになっていないか? 人を傷つけまいと、あんたのその脳味噌で考えに考えた末で出した結論じゃないか?」 「……そうかもね」 「それに嘘をつくなんて人間だれしもやるもんだ。嘘をつかないで生きてきた人間なんてよっぽどの正直ものか、ただの事情だだ漏れのどうしようもないやつだよ」 「でもたとえその残りの半分でもあたしが悪い嘘をついて他人を騙してきたのだとしたら、あたしはそれに耐えきれない」 早口でそう言うと、彼は面食らったような顔をして口を噤んだ。 そんな彼に申しわけないと思いながらも、あたしは静かに言葉を続ける。 「他人がよくても、あたしは駄目みたい。一般的な定規から、あたしは外れすぎたみたい」 言い終えて立ち上がると、くるりと踵を返して窓辺へ近づく。 いつもより少し薄い今日の青空の中では、遠くで数羽の鳥が優雅に羽ばたいているのが見えた。 「こうすれば神様の元へいけないってことも知ってる。禁忌だもの。運命以外の死を、神は絶対に許さない」 そうと分かっていても。それがあたしにとって「最も報われないこと」であったとしても。 「……それでも、あたしは、この世界に合わないの。こればっかりは、もうどうしようもない」 そう言ってあたしは、クラクションや生活の雑音がひしめき合うこの世界に背を向けた。 他人に迷惑をかけるあたしなど、この世界には必要ない。 「さよなら」 建物の下から吹きつけてきた風があたしの背中を押し上げる。 けれどあたしのかかとは既に窓のサッシを軽く蹴っていて、風の浮力などお構いなしに身体はすぐさま重力に従い、加速度を伴って落下を始める。 そうして全身を浮遊感に包まれたあたしの視界に、彼の、ひどく焦った顔が映った。 ほんの一瞬だけ瞬きをすると、彼の身体は先程よりもあたしに近い場所に移っていた。 恐らく力いっぱい伸ばされたであろう彼の腕が、あたしの身体の、どこでもいい、落下を止めることができる箇所目がけて突き進んでくる。 あたしは、笑った。笑ったと言っても、口の端を、気持ち少しだけ上に上げる感じで。 彼の腕と空に放り投げ出されたあたしの腕が一直線上に重なる。その光景を、あたしは第三者が見ているような心持ちで眺めて目を細めた。 無駄なの、無駄なのよ。今までできなかったのはきっと、生の鎖が重くて、なかなか解くことができなかったからなのよ。 でももうあたしは消えるの。それが正解だったの。あたしと言うこの一個の存在は、こうしてこの瞬間にこの世界から消えるの。 そう。それはまるで、夢のような速さで。 CLOSE 2010/03/24 |