Dark side









暗雲が風に流されるように空からその姿を消していく。
次第に今まで長い間顔を覗かせることのなかった太陽の白い光が漏れて、地上を眩いばかりの光で照らし出した。

寒さと恐怖に怯え震えていた人々は、家々の窓から身を乗り出して両手を天高く広げた。
青白いその手には今、ここしばらく触れることができなかった暖かい日の光が宿っている。

雑草にしてもひ弱な草や細々と生を繋いでいた木々も、光を受けると途端に風にそよぎ始めた。
国や街を流れる川は、濁った濃い青から澄んだ水色へとその色を変えた。
空から分厚い雲が去ったあとの世界は以前と驚くほど変わった。いや、生まれ変わった。

遂に闇の時代が終わったのだ。彼らがそう確信するのに長い時間は必要なかった。
誰もが歓喜の声をあげ、互いに抱き合って喜んだ。

「……や、やった……倒したんだ!」

その一言で、ジゼルははっと我に返った。
手には自分の前に立っている二人の少年と同じ、銀色に光り輝く長剣が握られている。

さらに少年たちの数メートル前には、一人の人間が倒れていた。
その胸は鋭利な剣で斜めに大きく切りつけられている。闇の世界を支配していた彼はつい先程、自分たちの手によって絶命したのだった。

闇を象徴する黒い髪は乱れて、ぴくりとも動かない顔に張りついている。
赤と言うよりは少し黒さが混じった鮮血の中に仰向けに倒れている。
ジゼルは複雑な想いで彼の姿を見送った。目を逸らしたかったが、できなかった。

「これで世界が戻ったんだ!」
「……そうだ、戻った。や、闇が終わった!」

ヒラリオンとロイス、共にこの世界を支配する闇の王を倒すべく今まで苦労を共にしてきた少年二人が、汗を額に残しながら口を大きく開けて互いに叫んだ。
いつもは冷静に物事を見極めて判断するロイスも、今は嬉しそうにヒラリオンと戯れているほどだ。余程嬉しいに違いない。

誰もが待ち望んでいた新世界の誕生。
今までの闇の世界はあまりにも酷だった。わずか数年で世界は冷えて、闇に属するもの以外、この世のほとんどが死に絶えた。
皆闇の滅亡を祈っていた。だがその矢先、神の指名を受けた自分たちは、この闇の王が住まう塔までの道を苦難と共に乗り越えてきた。

もうすぐ王を失ったこの塔も崩壊するだろう。
国に戻れば英雄の称号を受け、誰からも感謝と祝福を受けるに違いない。
しかしジゼルは喜べなかった。世界が自分たちによって救われたにもかかわらず、気分は以前よりも落胆した。

(終わった……)

なにもかもが終わった、と思った。
闇の世界が終わった。自分の使命が終わった。そして、彼の命が失われた。

ヒラリオンたちは知らない。
英雄である自分たちが一度だけ、闇の王本人と面識を持っているのだと言うことを。

――珍しい恰好ですね、旅ですか?

この最終ラウンドとも言うべく塔に着く一週間前、途中立ち寄った宿場町で、それまでの運命にひびが入った。
ジゼルたちが一晩寝泊りするために道中の宿でチェックインする際に、どこから現れたのか、一人の少年がジゼルの背後から静かにそう問うてきた。
この世界には珍しい黒い髪を持つ少年は、寒さを凌ぐためのフードを深くかぶって同じく黒の瞳を覗かせていた。

自分たちより少し年上くらいだろうか。それなのに彼の中身は外見よりも幼いように思えた。
変わった人間もいるものだ。ジゼルはどことなく違う雰囲気を持つ彼に一目で惹かれた。

アルベルトと名乗った彼の名前に一瞬怯んだが、考えてみれば珍しい名前ではない。
ただ今の世界を支配する闇の王と名前が一致しただけだ。国中を探してみれば、同じ名前を持つ少年など掃いて捨てるほどいるだろう。

ヒラリオンとロイスは旅の疲れが相当溜まっていたのか、アルベルトと挨拶を交わしてすぐに部屋に直行して眠り込んだ。
ジゼルはこれからどうすると言う当てもなかったので、ただ宿の食堂で彼と談笑を続けた。

これからどこへ行くのか。
旅の途中で何回も訊かれたその問いに、ジゼルは動じることもなく「最北にある闇の塔へ」と答えた。
動じたのはアルベルトの方だった。

気づいたとき、すべてが遅かった。遅れ馳せながら、彼は普通の人間と違うのだと知った。
ジゼルが言葉を切って、彼も薄々気づいていたのか。
アルベルトは苦笑を漏らして己が闇の王であることを、こともあろうか敵の、一人の英雄の前で暴露した。

――別に、構わない。それが俺の運命なら。

あのときのアルベルトの声も表情も仕草も、なにもかもが忘れられない。
それが場を変えてこの闇の塔へと移っても、アルベルトの姿が仮初の民の姿から王の姿へと変わっても、彼への想いは変えられなかった。

(変えるべきだった……)

ヒラリオンとロイスは気づいていない。闇の王が自分たちの力であまりにあっさりと倒れたことに。
アルベルトは言った。
自分たちになら倒されてもいいのだと。もう闇の王として民を苦しめ君臨し続けるのは嫌なのだと。

アルベルトはあまりにも優しすぎた。
彼の属性が闇であったからこの世が闇に覆われただけで、彼にはなんの罪もなかった。

ジゼルは誰にも知られないよう天を仰いだ。今はロイスとヒラリオンに加わって喜びを表すことさえ億劫だった。
そこには塔の最上階の、アルベルトの王室だけがあった。それは自分たちの最後の戦いの場の、暗く高く広い天井でもあった。
幾度となく敵を倒してきた剣がジゼルの手の中からするりと抜け出して、地面に静かに落ちて倒れた。

気づけば、ジゼルは頼りない足取りでふらふらと歩き出していた。
喜び合う少年二人の間を抜けていつの間にか向かっていたのは、今しがた倒された偉大な闇の王アルベルトの元だった。
この世界でその名を知らない者はいなかった。それほどまでに彼の存在は大きかった。

このときジゼルの足が自然とアルベルトの方へと向かったのは、もしかしたら彼の最期の姿を見たかっただけなのかもしれない。
そこに宿場町で出会ったあの優しい眼差しはあるのか、最後にもう一度だけ確認してみたかったのかもしれない。

彼の言葉は如実に現実に反映された。
もう彼は戻ってこない。絶望にも似た感情が心のうちで泣き喚く。ジゼルは二度と起き上がらない彼にそっと近づいて、足元に倒れているその顔を覗き込んだ。

「ジゼル」

突然目の前に現れた、漆黒の双眸にジゼルは言葉を失った。
確かにアルベルトは今まで身動き一つもせず倒れ伏していたはずだ。だが今は生々しく口元を緩めて、笑っている。

ぞっと、今までに体験したことのない恐怖が背筋を一直線に駆け抜けて行った。
同時に首筋にちくりと、なにかが刺さった奇妙な感覚を覚える。
すると目の前が勢い良くぐるぐると回転し始めた。意識が遠く彼方にすうと離れていく。

「英雄」とは、いったいなんなのだろうか。
アルベルトと宿場町で別れてからずっと考えていた。

「ジゼル! そいつから離れろ!」
「そんな、倒したのに、まだ生きて……っ!?」

薄れ行く意識の向こうで、こちらの異常に気づいた、特に血の気が多いヒラリオンがぐっと剣を構え直している。
だが無意味だ。アルベルトの本当の力は王を称するに値するほど大きい。

さっきの自分たちの攻撃は、彼にとってなんでもない、簡単に避けられたものだった。
それなのにまともにその剣を身体に受けたのは、この闇の世界をわざと終わらせるため。
闇の王はこの世の中から消えたのだと皆を欺き騙すため。

「お前は俺のものだ」

胸を切りつけられたにもかかわらず呼吸一つ乱すことのないアルベルトにそっと耳元で囁かれて、ジゼルはああそうなのかと単純に受け入れた。
さっきまで心の中にあった恐怖は、呆気なく消えていった。

なにか毒でも入ったのだろうか。
さっき首筋に違和感を覚えてからと言うもの、手足が言うことを聞いてくれなかった。それらはだらりと支えを失ったように崩れた。

「アル……」

ジゼルがぽつりと彼の名を呼ぶと、彼は嬉しそうに目を細めた。
アルベルトの腕が背に回される。彼の冷たい温もりが身体の心にまで伝わってきた。
もう逃げられない。この闇の王に捕らわれた自分は、二度と元の世界に戻ることはない。

「ジゼル!!」

ヒラリオンの叫び声が聞こえる。
ずぶずぶと、突如足元に現れた闇の沼に、ジゼルはアルベルトとともに引きずり込まれていく。

世界から闇が消えて英雄は確かに本物の英雄になった。
ヒラリオンとロイスは、間違いなく国の内外問わず、世界中の皆から祝福されて英雄となるだろう。
表向きには闇の王を倒す犠牲として消息を絶った自分もまた、「命を懸けた英雄」として名を残す。そんな気がした。

可笑しくなった。
忌み嫌われた闇の王と惹かれ合った者が果たして「英雄」として名を残していいものか。
だが自分とアルベルトの関係を知らない人々は気づかない。ただジゼルと訊いて、命を懸けて儚く散った少女をその脳裏に思い浮かべるだけだろう。

ああ、どうしてか眠くなってきた。目蓋が閉じるその向こうで、ヒラリオンとロイスが再び剣を手にこちらへ駆けてくる姿が見える。
けれどそれより先に自分たちは消える。闇の向こうへ、閉ざされた世界へ。

暗雲が風に流されるように空からその姿を消していく。
次第に今まで長い間顔を覗かせることのなかった太陽の白い光が漏れて、地上を眩いばかりの光で照らし出した。

そして今度こそ、闇は世界の中から姿を消した。













Thanks 3rd Anniversary!


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2007/09/18